第06話:武家の学び
父、信秀が本拠を古渡城へと移してから、二年が経過した。
俺は八歳になった。
六歳で那古野城主となり、それから二年。
この二年間は、傅役となった平手政秀による教育が主だった。
そして、林秀貞も傅役として機能し始め、俺への教育は熱を増した。
その内容はこうだ。
・領国統治の基礎:城の運営、年貢の徴収システム、織田の家を動かすための財政・行政の基礎
・軍事の基本:兵の動員方法、戦術の初歩、物資の調達・輸送(兵站)などの戦知識
・家臣の役割:家臣の身分と役割の序列、そして彼らをどのように用いるべきかというマネジメントについて
・礼儀作法と体面:当時の格式社会で、名家嫡男が守るべき服装、振る舞い、言葉遣い
・文武:古典的な教養や和歌、蹴鞠、絵画などの文化的な素養。弓馬や軍学といった武芸
・外交について:敵対勢力とどのように出し抜くべきか。それか、婚姻同盟などでその関係を安定させるかどうかの判断、またはその方法。
・人質外交:臣下から受け取る人質と敵対者との間で交わされる人質。その効果と結末、対応について。
中身が50過ぎのおっさんとはいえ、この時代の常識は前世とまるで違う。
帝王学なんて俺は学んだことなんてないから、外交や領地経営なんて初級も初級である。
ましてや、戦のことなんて歴史書かシミュレーションゲームでしか知らない。
しかも、この戦ってやつは、ゲームのように天からの視点で自分と相手の戦力が見えるわけじゃない。
見えるのは目の前だけだ。
それ以外にも違いは多い。
算術も和算が主体。
文字にしたって現代で使われる楷書体ではなく、草書がメインだ。
草書。
ミミズの這った後にしか見えんって。
前世の知識は残ってるから、計算もできるし、文字もまぁわかる。
でも、この時代の書物はそもそも解読から始めなきゃならんし、草書なんて書いた事ないから一からの学びだ。
まー、やることができてよかったとは思う。
正直、暇で死にそうだったからな。
記憶を取り戻してから、この歳になるまで寝るか食うか鍛えるか、これくらいしかしてないのだ。
書物なんて高価だし、それほど面白いもんでもない。
古書については一通り学んだことあるしな。
書物の数もめっちゃ少ないし、読んだことのない本の方が少ないのだ。
現代にまで残ってない書物とかは興味がバリバリあるんだがな!
だけど、そんなものほとんど書棚にはない。
当たり前だが、高価で希少だからだ。
印刷技術は明から伝来はしているだろうが、それを使う意味そのものが低いのだ。
焼かれてしまったら終わりだからな。
こんな時代じゃ設備投資なんて、戦を主導する側の大名くらいにしかできないのだ。
寺や神社も力くらいあるだろうって?
あるけど無理。
寺や神社ていう宗教勢力は、人間関係がフラットだから。
つまり、上意下達じゃねーの
集団ではあるけど、命令のもとに動けるような葬式じゃねーのよあれは。
みんな、そこのところを誤解してる。
要は、名乗りは「〜〜〜神宮の」とか、「〜〜寺の」とか名乗るけど、意思統一ができてない事がほとんどなんだよなぁー。
当然、大名家にもそういうのはないわけじゃないけど
勝手しすぎたら処罰されるからね、武家は。
宗教勢力には罰とかないもん。
破門があるだろうって?いや、それは最終手段。
それに、西欧みたいに他の宗教がないに等しい様なところならともかく、日本じゃ無理だよね。
それに、印刷機を作ったとして、宗教勢力が何に使うのさ?
聖書みたいに聖典みたいなのを印刷しても、確かにいいのかもしれない。
宗教を広めるっていう観点だと。
でも、権力を得るっていう意味だと逆効果。
金集めも一揆も出来なくなるね。
そうすると、仏僧や神官からすると害悪なんだよね・・・。
だから、今の時代にも印刷技術はあるけど、流行ってはいない。
一部が細々と使っているだけなんだわ。
だからこそ、江戸時代にそういうのが華開いたわけなんだが。
江戸時代はすげーぞ。
生活保護もあったって知ってたか?
ちなみに、戦国時代にはない。
精々が、宗教団体が戦力にしているくらいか?
そして、1番の問題は、この時代の礼法や作法。
めちゃくちゃ厄介なのだ。
俺の傅役は平手政秀。
織田家の外交をん会う家老である。
当然、礼法作法には極めて煩い。
そしてこの礼法には、おおまかに分けて三つの流派がある。
このことは、俺も◯馬◯太郎さんの小説くらいでしか知らなかった。
いや、別の人のだったか・・・?
まずは、「小笠原流」
これは、足利将軍家の師範家ともなっている流派だな。
戦国のシミュレーションゲームで、小笠原家が弱小大名として扱われる事が多いけど
もしかすると、これのせいかもな。
戦争、というか、現実社会って方にハマったもんでもないだろ?
でも、師範家という立場と歴史がある
家臣たちからも、そこから外れることを認められないだろうしなぁ・・・
結果、戦国大名家としてみれば、弱小にしかならないよね・・・。
まぁ、それはともかく、
【小笠原流礼法】
これには、弓・馬・礼。
この三つが一体となったものが核とされている。
まとめて「糾法」とも言われるらしい。
現代でも有名なのが、『流鏑馬』(やぶさめ)
まさしく、武士といえば、小笠原流といってもい礼法なんだよな。
武家の作法ってやつ
次が、【伊勢流】
これは簡単に言うと、
『書式ルールとビジネスマナー』
公文書の書き方、目録の書式、署名の仕方、日付けの書き方まで
色々含まれてる。
領地経営だけじゃなくて、他家に手紙を書くときもこの流派のルールに従わないといけない。
絶対のルール。
あとは、服装規定。
公的な場での服装ルール、戦場での甲冑の形式、あとは格式なんてのにも適応される。
最後は、【今川流】
饗応、つまりもてなしかたや、あとは宴の時のやり方について。
現代的に言うなら、『食事マナー』『接待ルール』『パーティマナー』
この三つがまとまったものなわけだね。
本当は、それぞれに重複している部分もあったらしいんだけど、
今では、『三儀一統』として、足利義満の指示でまとめられたらしいね。
戦国時代から、江戸時代まで続き、現代日本の礼法基礎ともなる社会規範ってわけだね。
まぁ、結構ぐだぐだ語ったけど、これが戦国時代の武家を継ぐっていうことだよ・・・。
わかるか?織田信長が史実で「うつけ」と批判されたのは、この服装ルールなんかを無視したからなんだろうよ。
俺だって無視したいわ。
無駄でしか無いもん。
こんなもんいくら学んだって、戦では勝てないしな。
親父がこの城を奪った方法なんて、この三儀一統の中には書かれてないもんな
それに書式ルールもだよ・・・
草書見づらい・・・
この爺説得してとっとと楷書にする。
財政関係も複式簿記に変えよう。
単式でやってたって無駄でしかない。
親父経由で訴えればいけると思うんだよな。
あー、しかし、そのためにもまず手紙の書き方からか・・・・・
勉強すること多いって!マジで……
戦国時代は、現代知識で無双できるんじゃなかったんですか、先生・・・・・
そうして俺は物覚えの良い子供を演じながら、政秀から知識を吸収し続けた。
(来る日も来る日も、鍛錬勉強鍛錬勉強鍛錬勉強鍛錬勉強・・・。辛い。能力の検証すらできてねぇぜ・・・へへへ)
転生者、織田信長の日々は続く




