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聖人:織田信長録  作者: 斎藤 恋
元服後:織田信長

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第43話:信玄逝去

元亀元年(1575年)

武田家が足利義秋を担ぎ出し、上洛を果たした。

足利義昭はこれを機に"義昭"へと改名。

暦も"永禄"から"元亀"へと改元を果たした。



織田の兵によって、越前・加賀・飛騨は陥落し、武田に引き渡され、永禄18年だったこの年、武田は六角攻めを決行、上洛をなしたのだった。

三好は武田が六角に勝利した頃には京から兵を引き、様子見の姿勢を示している。


しかし、武田家の方も、越前に加賀、飛騨、美濃という四カ国の地は荒れていて、とてもではないが京の支配を継続することは難しそうだった。

そのため、翌年兵を引いたのち早速、三好の反抗を受け、足利義昭は義輝と同様、朽木へと逃げることになる。


武田家は、織田から領地を受け取る以外では、自ら領土を増やすことをせず、この年まで、内政官の育成に努めたようだった。

そんなこともあり、武田家も、かつての頃とは様相を変えている。


だが、そんな武田家も、この頃には当主であった信玄の寿命が尽きようとしていた。

史実より2年は長く生きたが、信玄の肉体は病に侵され限界だったようだ。



「義信。いいか、よく聞け。わしはもう長くない。お主が武田を継ぐのだ」


「・・・はい、父上。」


「よいか、最後の言葉だ。織田とは決して敵対するな。あやつらは、こちらが無理を言わねば、何もしてこないだろう。

だが、こちらが一度牙を向けば、武田は蹂躙されるほかない、わかっておるな?」


「大丈夫です、父上。この数年でそのことよく理解しました。」


「うむ・・・。わしには多くの夢があった・・。

海が欲しい、天下を取りたい、甲斐を豊かにしたい・・。そんな夢だ・・。」




信玄は、ゆっくりと目を瞑るようにしていった。


「だがな、そのほとんどが叶ったのだ。織田のおかげでもある。そなたのおかげでもある。多くの者らに支えられてここまで来れた。」



義信は父親との最後を感じとり、信玄の手を取った。


「父上。天下は武田のものとなりました。父上と皆で天下を得たのです!この夢は100年・・いえ、1000年続く夢となりましょう!」



信玄は、うっすらと笑顔を浮かべ、噛み締めるように目を閉じた


「父上・・!父・・・上・・・!」



義信は、信玄の手を握り続け、部屋の中では彼の嗚咽が響いていた。




───武田信玄、享年:55歳


史実より2年長い寿命だった。






───────────────────────────



「信玄が逝ったか」



武田信玄の訃報は、そのまま全国へと伝わった。

史実とは異なり、義信も武田家の当主とし半ば活動しており、信玄が亡くなったとしても家中の動揺は少ないだろうという考えもあったのだろう。

信玄の死は隠匿されずに伝わった。


武田家は、領内のほとんどが、織田の手によって荒れていたこともあり、蠢動するような余裕のある家臣が少なかったのも理由の一つかもしれない。



「はい。しかし動揺もほとんどなく。信玄という巨星が逝ったにしては響いておりませんな。」


「それはそうだろうな。義信も新たな領地の支配には貢献しておる。それに、歯向かうための気力もない領主が多いじゃろ」




史実で敵対関係にあった長尾も、武田家に分断されたまま安定を欠いているし、北条に至っては当家の水軍の活動を警戒し、動きが鈍い。

そのため、動いたのは三好と六角だけだった。




三好、六角の両家は、陰ながら同盟し、京と南近江を取り戻すため蠢動を始めた。






───三好家


「ふ・・、信玄翁が逝ったか。好機だな」


「松永はどうする?」


「放っておけ。私たちが京を支配すれば良いだけよ。あやつには何もできんわ」


「義昭はどうする?」


「適当に放逐してしまえ。また朽木にでも逃げるだろ」



こうして、三好の反抗作戦が始まり、翌年元亀2年(1576年)。

三好家は再度、"京"を支配することとなる。








───織田家



「この内にワシらは四国を攻めるぞ!」



元亀2年(1576年)3月


織田家は、土佐への侵攻作戦を開始する。


織田家にとって、土佐侵攻は将来にとっての布石でもあり、資源確保のための侵攻でもあるのだった。




「信長様!船が出ます!」


「おう!では頼むぞ!水野!」



今回の土佐侵攻作戦は、段階を経た計画がされている。

第一段階は、紀伊の三尾と串本の制圧と拠点化。


第二段階は、安芸郡と香美郡の制圧だ。

この2つの地域を上陸地点として、そこからさらに浸透していく、といった計画なのだ。



───土佐強襲


太平洋の荒波が打ち寄せる土佐国・安芸郡の海岸。

長宗我部元親による土佐統一の熱気が高まる中、海を見張る者たちは、水平線に現れた"モノ"に驚きを隠せなかった。


それは船だったが、彼らの知る船といえば、"関船"や"安宅船"、それに"明船"と"南蛮船"だったろう。

しかし、その船はどれとも異なり、まるで火がついているように黒い煙の上がる船だった。


最初、海を眺めていた侍たちは、「燃えた船が見える」ということしか認識できず、よもや攻めてきているなどとは考えもしなかった。


だが実際に来たのは、織田家の最新の船である"機帆船"の船団。

逆風であっても進み、無風であっても進行をやめないそれはあまりにも早く港へと近づき、砲撃を始めた。


それに対する、土佐の地侍たちは、襲撃され続けている紀伊や関東の者たちと比べると、動きがあまりにも遅かった。



「な、なんだあれは・・、船なのか?」


狼狽する長宗我部兵の声を掻き消すように、海上の船団からの砲撃音が轟く。


次の瞬間、海岸に集まる木船に木玉が一斉に降り注いだ。

矢の届く範囲でもなく、一方的なまでの蹂躙。

三好や毛利ですら持ち得ない圧倒的な火力が、土佐の玄関口を粉砕した。



混乱する浜辺へ、上陸用舟艇が雪崩れ込んでくる。そこから吐き出された兵たちの姿が、土佐兵に更なる恐怖を植え付けた。

全員が、頭の先から爪先まで"漆黒"に統一されていたのだ。



織田家が誇る電気化学工業の産物『塩化鉄とタンニンによって染め上げられたその軍服』は、不気味なほどに色が均一で、陽光を一切反射しない。

ムラのある草木染めを見慣れた者たちには、それが人間ではなく、海から這い上がってきた「影の軍団」に見えた。



織田軍の動きは、迅速かつ冷徹だった。

彼らは、瞬く間に安芸郡と香美郡を制圧した。



岡豊城・安芸城など、周辺の城も制圧され、長宗我部家は本拠を追われることとなった。

西の須崎城まで制圧した後は、一旦、兵の動きを止め、織田の兵は香美郡と安芸郡の港湾整備へと取り掛かった。



この制圧劇は、尾張港を出港してから一月と掛からずに達成された。

そのため、三好も河野も西園寺も、最初は誤報だと思い、何も行動しなかった。


そして、一条は長宗我部に飼い殺しの状態であったのが持ち直し始め、長宗我部との力関係は逆転することとなる。



そして、さらに1ヶ月が過ぎる頃には、それぞれの港湾は簡単に整備され、織田家の機帆船が次々に入港していった。

織田家は、ピストン輸送で織田領内の余剰人員を送り出し、土佐開発事業を始めていたのだった。


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