第41話:グレシャムの法則
永禄13年(1570年)
「・・・どうしたのじゃ?」
その日、長恒が突然俺の寝室にまで押しかけてきた。
「大変です信長様。どうも、本願寺が布幣を偽造しているという話がでまして・・」
「偽造?できるわけなかろう。できたとしても僅かであろうし、放っておけば良い。」
織田布幣は、食塩水の電気分解でできる塩素ガスを鉄に反応させて作られる"塩化鉄"を触媒にして作られている。
"塩化鉄"と"タンニン"、そして、"消石灰"を使うことで、この時代にはない特徴的な"黒色"を出しているのだ。
「しかし、草の報告では、黒色の布幣が出ているのを見たと・・・」
「ふむ・・・。まぁ、一つ二つ手に入れば持ってこい。心配はいらんだろうがな」
結局、この日はそんな話だけで終わった。
───翌月
「殿・・・、以前話した本願寺の布幣偽造についてなのですが・・・」
「ん、どうであった?問題なかったであろう?」
長恒は、心底呆れたような疲れたような顔をして報告し出した。
「はっ・・。実物を手に入れ見ましたが、比較するまでもなく色合いが異なります。草も、作り方の方までは分からなかったようですが、鉄と米の研ぎ汁のような白い水が持ち込まれているのを見たそうです。」
鉄。
米の研ぎ汁。
この二つで作れる黒染めに使う素材といえば・・
「鉄漿水だろうな。米の研ぎ汁に鉄を入れて作っておるのじゃろう。じゃが、その方法では当家ほどの生産性も出ないだろうよ。色合いも淡いものとなる・・はずじゃ。あー、現物も持ってこなくとも良いぞ。別段、興味もないわ」
結局、本願寺による布幣偽造は、本願寺の正式貨幣として量産が決まったらしい。
本願寺から話が来てそういうことになった。なったのだが・・・
「あやつら、阿呆なのか・・・?」
「あー・・・、私からはなんとも・・・」
本願寺は、本願寺門徒専用の通貨として新たな布幣を作ったと宣言し出した。
しかし、その生産性は極めて低く、どう考えても全国で流通させられるほどではない。
「あの方法では結局、5000ほどが限界であろ?うちは、8万反は毎年出しておるのだぞ?」
「そう、ですな・・。ですが、それでも採算が取れると思ったのではないでしょうか?年間5000反として、当家の布幣と同価値なら3000貫です。毎年それだけの利益が出るのなら御の字、といったところなのではないでしょうか?」
確かに、単純に一つ200文の布幣が出るとなれば、その通りだろう。
しかし、そこには大きな穴がある。
「いや・・・、無理がありすぎるじゃろう。似通った黒い色、にも関わらず、一方にはむらがありもう一方にはそれがない。しかも、それは少数しか生産されないという。普通、少数しかないのなら高額貨幣となるのじゃろうが・・、質の悪い高額貨幣なんぞ誰が使いたがるんじゃ・・・?」
だが、俺が思っていたのとは違う方向で事態は決着した。
「そういえば、最近は本願寺の布幣の話は聞かんが、結局どうなったんじゃ?」
俺はふと、本願寺の作った貨幣のことを思い出し、長恒に聞いてみた
「それが・・・、本願寺の貨幣はもはや流通してはおりませんな」
「ふ・・・、やはりそうなったか。当然じゃの!」
と、俺はこの時予想が当たって盛り上がっていたのだが・・、どうにもそう単純な話でもないようで。
「いえ、それが、流通当初は本願寺の布幣の方が評価は高かったのです。なんでも肌触りが良く使い易い、と。」
「なに・・・?」
「いえ、それがどうも、本願寺の布幣は布としての肌感触がよく、色合いも黒過ぎずに良いという評価でして。」
「え?あ?あ・・・・もしや。」
「はい、ご推察の通りかと。本願寺の布幣は、布として使われるか、そのまま仕舞われるかしてしまい市場には流れておりません」
『悪貨は良貨を駆逐する』
のちにグレシャムの法則とも呼ばれるこれだが、どうにもこの世界でも同じことが起こってしまったらしい。
「悪貨は良貨を駆逐する・・・。うちの方が悪貨じゃったと・・・?そんな馬鹿な・・・。」
「あ、い、いえ、当家の布幣の方が、貨幣としては優秀であったということです。彼方は布としての価値を高め過ぎ、そのまま布として消費されたという話でして・・・」
長恒がフォローしてくれたのだが、この時の俺には、本願寺に負けたということしか頭になく、この日はショックで寝込んだのだった。
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永禄13年(1570年)
美濃を制圧し、そこを武田へと譲り渡した俺は、次の目標として越前を見定めていた。
「で?美濃で手に入れた資材は、伊豆へと送ったのか?」
「はい。既に輸送が始まっております。これからは、彼方も水軍基地として発展していくでしょうな。」
美濃での略奪品は、人的なものを含めて多くのものが伊豆大島へと送られることとなった。
これ以降、伊豆大島は織田水軍の拠点として、食糧生産基地や歓楽街として扱われ、栄えることとなる。
「釜石の開発はどうだ?」
「そちらは、まだ人員を送ったばかりで、未だ柵などで港から鉱山までを繋いでいる頃でしょうか?採掘も始まってはおらぬかと。」
釜石の鉄鉱山は、織田家と南部家の間で交渉が行われ、租借という形で話が決まった。
南部家としても中央に近い国との関わりは貴重で、織田家という仲介役を歓迎していたという向きもあり、お互いの話はスムーズに進み締結された。
「なら、良い。だが、あとは銅山じゃの・・・。伊予あれが使えれば、もっと銅が手に入るのじゃが・・・。」
「伊予ですか・・。流石に困難かと・・。淡路を制し、堺を制し、淡路や土佐、瀬戸内の全てを制するほどでないと難しいのではありませんか?以前、信長様に見せていただいた地図では、あの辺り、かなり島が多いように見受けられましたが?」
伊予にある有名な別子銅山は、採掘量は豊富で、日本でも有数の銅山だった。
しかし、織田家からすると、近い沿岸部は瀬戸内側であり、支配しているのは村上水軍。
しかも、そこにたどり着くには淡路を越えないといけないというような遠方であった。
「はぁ・・・。別子銅山だけを確保は困難だな・・。なら、四国丸ごと支配した方が早いか・・・?」
「流石にそれは、と言いたいところですが、土佐と伊予だけに絞るならどうでしょうか?そして、周辺国との交易も取り入れられては?」
長恒がいうところでは、四国を丸ごと支配するというのは、攻め落とすことはできても維持が難しい。
しかし、欲しいのは全てではなく、鉱物資源のみ。
それに、銅や石灰石といった資源は、近頃だと織田家以外では価値が低迷しているのだとか。
織田家の悪評も広がってはいるが、織田家のもたらす商品の良さもまた広がっている。
だから、こちらの欲しいものを絞り、他は他家にくれてやることでその地の安全性も高まるだろう。
と、いうことだった。
「なるほどな。それであれば、三好・大友・毛利。それら三家であっても納得させられるかもしれん。」
案としては最良だった。
必要拠点だけを確保し、資源地とのルートを確保。
それだけで、織田家は必要なものを安定供給できるようになるだろう。
だが、
「却下だな。」
「え?どうしてです?いい案だったと思うのですが・・・」
「三好は誰を当主として交渉すればいいのかすらわからんし、大友もまとまりにかける。当主の指示に従わず、謀反されることも多いと聞く。これでは、交渉相手とすら言えん。それ以外と交渉すればいい?
確かに、交渉相手がいるのなら、それもいいんじゃがの。おらん。四国はまとまっておるようでいて、欠片もまとまっておらぬ国なのじゃ。」
今の三好は、当主派閥と三人衆の派閥に分かれて争っている。
その上、細川や平島の足利なども蠢動していた。
この頃既に"三好家"という大きな組織は崩壊していたといってもいい状況だったのだ。
そして、大友。
この家は、鎌倉より代々続く大名家だが、長く続き過ぎたせいで一族が九州に散らばり、それが足を引っ張るという地獄と化している。
大友当主、大友宗麟はかなり優秀な方ではあり、カンボジアと国交を結んだほど先見性のある人間だ。
しかし、大友家では頻繁に謀反が起きる。
そして、起きた謀反を征伐しても、首謀者を殺すことさえできないのだ。
謀反を起こした者も、家臣たちの一族の一人であって、未だ味方側にいる一族から除名願いが入るためである。
しかも、領地の没収さえもまともに行えない。
その結果、たとえ謀反に対し勝利しても、再度謀反が起きて征伐にいくという地獄ループが大友当主の仕事なのだ。
耳川の戦いで、家臣らが大量死した時、その当時の大友家当主は「やっと邪魔するものがいなくなって助かる」というふうな言葉を残している。
この言葉は、大友家の評価が低い時分には"無能"らしい台詞だと捉えられていた。
しかし、現代の政治を想像してもらえばわかる通り、反対するために反対する者が、この当時にもいたのだと知ってもらえれば、大友当主への意見も大きく変わることだろう。
とまぁ、長々語ったが、大友家との交渉も意味をなさないということだ。
どの家もまとまりにかけるのだ。
精々が、毛利家くらいであるがその毛利家は、河野と協力関係にある。
切り捨てる可能性もあるかもしれないが、俺たちには信用できる仲介役がなく、村上も河野の側である以上、毛利とも交渉は困難なのだ。
だからこそ、長恒の案は採用できない。
残された、俺の取れる手段は、
"四国を攻め取るのみ"だった




