第40話:掠奪
「南部との交渉はうまくいったのか?」
永禄12年(1569年)
東北の南部家との交渉へと行かせていた船団が帰還した。
「はい。相応の対価を要求されましたが、「採掘も港の整備もこちらで行い、領内の人間は使わぬ」といった方向で進めましたので、大きな出費となりませんでした。一応、試掘だけはさせてまいりましたが、殿の予想通り、良質な鉄鉱石が取れるそうです。」
"陸奥国閉伊郡釜石"
ここには、日本唯一といってもいい、鉄鉱石の鉱山があり、その採掘権を狙い、南部家と交渉していたのだった。
「で、対価は結局は木綿で良かったのか?」
「はっ。それといくばくかの武具ですな。向こうでも全てとは言わず、武具は欲しいようで。」
「ちゃんと、こちらの加工済みのものを渡すようにな?」
「わかっております。あの者らでは鉄鉱石の加工はできませぬし・・」
日本では、鉄鉱石の産出がほぼなく、日本にある鉄は釜石を除き、そのほとんどが砂鉄だった。
そのため、砂鉄加工のための"たたら製鉄"技術は進んだが、鉄鉱石を加工する技術はほとんどないままだった。
「ふふふ・・鉄鉱石さえ手に入れば鉄で困ることはなくなるの。総鉄製の船でさえ作れようぞ。」
それともう一つ。
「で、日立の方はどうだ?佐竹との話は進んだか?」
"日立銅山"
織田家が発展するために必要不可欠な材料の一つである銅鉱山である。
常陸国多賀郡にある銅鉱山である。明治以降に採掘が始まった鉱山のため、まだ採掘は始まっていない。
「難航しておりまする。「よその家に土地を金で売るなどありえん!」と凄まじい剣幕だそうで・・・」
「いや、銅が欲しいだけなんだがな・・・それ以外はいらんぞ・・?」
「どうにも、北条の嫌がらせも絡んでおるようで、佐竹の当主も引くに引けない様子でして。」
この頃、北条は、西で武田家が巨大化したことで強い危機感を覚えていた。
上杉謙信(旧長尾景虎)が川中島の戦いで敗北したことで、関東遠征は一時的に止まった。
しかし、西で同盟を結ぼうとしていた今川家はすでになく、西は武田一強となり、北条を圧迫していたのだった。
そのため、関東支配のために動き出すも、史実に比べその活動規模は小さく、佐竹や里見なども北条を脅威とは見ていなかった。
むしろ、太平洋側の大名家は、沿岸で活動を続ける織田家こそ敵国として見ており、警戒を強めていたのだった。
「北条の・・?まだそこまで元気なのか、あの家は。」
「風魔などと申す者らが活動しておるとも聞きます。が、今回のことは本当に単なる嫌がらせでしょうな。」
実際には、そこに沿岸を荒らす織田家への警戒感がプラスされているが、そのことに気づかないまま、話は進んでしまっていた。
「落とすか・・?」
銅山開発のために常陸を落とすことを発案する。が、・・
「いえ、今は近江や美濃、飛騨などを攻める前です。それが終わってからでもよろしいかと。」
武田の天下取り支援。略奪遠征。
織田家内では色々言われている今回の作戦だが、領内や武官たちにはそれほど不評というわけでもなく、武官の間ではむしろ武田に同情の声が集まってるほどだった。
「まぁ、そうか。なら、手早く終わらせよう」
「はっ」
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織田家の兵は専業兵だ。
幼少期から織田家内で養育された者、農家の次男三男、元国人衆などなど。
様々な者が所属している。
しかし、彼らは戦さに関わる業務以外に関わることはほぼなく、平時は訓練か教育が職務の一環として行われている。
食事についてもそうだ。
彼らの脳には、健康に関わる栄養、筋肉を増強させるために必要な知識。
そういったものが叩き込まれている。
そのため、他家と比較して、圧倒的なまでに体の大きなものが多いし、筋力も強い。
時折、警邏として参加した際には、他所から来た傭兵連中や浪人らを圧倒する実力を見せつける。
その姿を見て、"軍部"を志す者も多い。
しかし、それとは裏腹に、実戦の経験が少なく、古参の武士たちからは見掛け倒しだと揶揄われることも少なくないそうだ。
が、それも今回の戦で変わるだろう。
今回の大掛かりな戦は、実利こそ目に映る形ではないものの、軍部の実践の場としては、最良のものだろう。
そして、それ以外にも軍部には武器がある。
"バネ式弩"だ。
砂鉄の純度をあげ、バネの強度を跳ね上げた結果出来上がった連弩である。
その有効射程は200mにも及び、連射速度は5秒に一発と火縄銃など歯牙にも掛けない性能の"弩"だ。
本当の意味での"機械弓"だと言えるだろう。
命中制度も高く、雨天でも問題なく撃てるそれは、戦場を瞬く間に制圧できるし、その隠密性や貫通力も高い。
織田家ではこれを"迅雷弩"と呼んで軍部の専業兵の一部には自分のものとして、一人一丁を管理させている。
今はまだ、全部隊に渡すまでは量産できてないが、釜石からの鉄鉱石が入手できしだい、順次、武装を入れ替えていくつもりである。
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永禄12年(1569年)年末
織田家の総攻撃が始まった。
織田家の最初の攻撃目標は美濃である。
織田の軍は、武田領を除く美濃を南側から蚕食し、瞬く間に戦火を広げていった。
しかも、専門の略奪隊である"灰狼"の尽力によって美濃領内の女衆や食料、金銀銅鉄、木材に油、麻布の切れ端までが奪われることとなった。
城も、周辺の集落での調達が済んだ後、戦後に近い頃になるとどんどん解体されていく。
織田の美濃攻略から一年が経つ頃には、美濃領内から女子供の活気の声は消え失せ、ほとんどの場所で更地か荒地かどちらかしか残らないといった有様となる。
織田家は、飛騨方面と越前方面への侵攻用の道を整備した後、一度撤退することとなった。
───この美濃略奪による悪評は、足利義秋の悪評としても語られ、"京"では、義秋ではなく、義栄の方に期待が高まっていくこととなった。
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「美濃一国とは言ってもこの程度か・・。女子供以外ではさほど利がないの・・・。」
「しかし、殿。これほどまで女子供を増やしてどうされるのです?領内には人が溢れてきておりますが・・・?」
この頃、織田家領内では食料事情の改善、衛生面の向上、領内への女子供の流入など、人口の増加要因が数多くあった。
そのため、年々織田領の人口は増加し、「10年後には領内に人が住める場所がなくなるのではないか?」と言った意見もまことしやかに語られることもあるほどだった。
「大丈夫じゃ、考えておる。何、人の使い道などいくらでもある。蝦夷開拓に高砂開拓、瑞穂島開拓。人手なんぞこれっぽっちじゃ全然足りんのじゃ!」
「開拓・・?開拓ですか?蝦夷は分かりますが、他の地域は寡聞にして知りませんな・・?」
「高砂というのは、九州の南から船で琉球の島々を通った先にある島じゃ。是ひとつで九州と同じくほどの大きさがある巨大な島じゃの。瑞穂島は、ワシがつけた名じゃから、知らんでも無理はない。
どうにも、南にはその高砂島よりさらに大きな島があるそうじゃ。実際、どれほどの大きさなのかは調べてみんとわからんがな!」
・高砂島:台湾島
・蝦夷:北海道
・瑞穂島:オーストラリア
これだけの島々を開拓していく予定なのだ。
どう考えても、織田家領内だけの人口では足りないだろうと思う。
そして、遠距離すぎて織田家での管理は難しい。
「(本当に助かったぞ?親父殿。親父殿が作った兄弟たちは、全員これらの島へ旅立ってもらうからな。)ふははははは!未来は明るいのぉ、長恒!」
───一地方領主だった織田家は、その技術で持って日本国内でなく海外へと進出を続けいく。織田家の未来、日本の未来はどうなっていくのだろうか?




