第39話:天下取り
永禄11年(1568年)
足利義秋からのシシャ
「ん?足利からの使者だと?来ているのか?」
「はい、どうにも先ぶれもなしに来たとか。」
この時代、相応の立場のものが城を訪れる際には必ず先ぶれを来させるルールがあった
先ぶれのない者は余程の緊急時か余程に親しい者でもない限り、その立場にあった待遇は受けられないのが今時代のセオリーなのだ。
「まぁ、きておるのなら仕方あるまい。とりあえず会うか。して、いつ会えば良いのじゃ?」
報告そのものが今来たというだけであって、もっと以前からこちらに来ていた可能性もある。
そのため、俺はいつ会うべきなのかを長恒に聞いたのだが・・・
「そ、それが・・・、彼らが会いに来たのは斯波様のところにございまして・・・」
「は?なんじゃと?今頃、斯波じゃ言うとるんか??」
格の問題なのかも知れないが、斯波を実質的に庇護下に置いている織田家を無視して、斯波氏に会おうと言うのは謀反を唆しているともとられる愚行である。
形式的には謀反ではないのかも知れないが、力の関係上、謀反でしかないと言うのがこう言った場合でのルールで、外交的には織田家に喧嘩を売っているのと同義なのだった。
「はん。まぁよいわ。で、会っておるのは義銀殿か?」
「いえ、義銀様は未だに会っておられません。」
「(斯波に会いに来たと言っておるから、てっきりもう会っておるのかと思うたんじゃが・・)では、今使者の者はどうしておるのじゃ?」
流石に、将軍家の使者を放置するわけにもいかない。
思惑があって無視するなり追い出すなりするのならまだしも、何の考えもなしにそれをするのは愚策でしかないのだ。
「とりえあえず、客人としてもてなしておるようです。それと、まだ、こちらに来て二刻ほどしか経ってりませぬ。」
将軍家の使者が来たばかりだと聞いて、少し安心する。
「あぁ、なんじゃそうなのか。てっきりもう何日も放置しておるもんじゃと・・・。」
「流石にそれはありませんよ、殿。そのための組織図を描いたのは殿でしょうに。」
「ははは、そうじゃったそうじゃった。」
"報連相"
現代では社会人にとって当たり前のルールで礼儀だが、これを織田家で働く者の必須のスキルだとして学校では教えている。
そのため、家臣団からは、あらゆる報告が上へと上げられていくシステムとなっているのだった。
「とするとじゃ、考える時間ができたの」
「はい。この無礼な使者に対して、どう対応するか考えねばなりません」
この時点で、将軍家の使者を名乗るものは、「織田家を無視するといった愚行」「先ぶれなしに訪れる慣例無視」という2つの失点を重ねている。
これだけでも、まともな使者として扱わねばならない必要性は薄いのだ。
しかし・・・
「しかしのぉ・・。相手は将軍家を名乗る使者じゃ。んで、どうせ足利義秋じゃろ?適当に扱うと、面倒臭すぎるわ」
「まぁ、将軍でもないのに御教書だのなんだのと、訳のわからない手紙を乱発しておりますしね。ただ、義栄の方もあまり加減がよろしくないと聞きまする。それを考えれば、彼の者が将軍を継ぐことも十分にありうるかと。そうなれば、確実に後に響きまするな」
この頃、三好の担ぐ足利義栄は、背中に出来物ができ、堺から出ることさえ困難になっていた。
「どうせなら、武田に天下でも取ってもらうか?」
織田家で取るのではなく、武田に天下を取らせる。
一見、愚策にも思える考えだが、天下に野望がなく、公家や将軍などの鬱陶しいだけの連中の相手をするよりは、天下に野望のある武田信玄に委ねた方が良いのでは?と考えた結果だった。
だが、その案には問題もあったが・・・
「取らせるのは、まぁ、構いませぬが。武田から京へと向かうとなれば、我らの領地を通らねばなりませぬが・・・。それはよろしいので?」
武田家から、京都までのルート、そのものには中山道や東海道といったルートがある。
そして、それらのルートはどちらも、織田家を通っていくルートなのだ。
どちらのルートを通っても、武田の軍が領地を荒らす未来しかないだろう。
「ん!なしじゃの!無理じゃ無理じゃ!どう考えても、武田の兵が大人しゅうしとるわけがないわ!・・・はぁ・・・どうにかならんもんか」
「いえ、そうでもないやも知れませんぞ?」
俺が悩んでいると、長恒がそう言って声をかけてきた。
「どういうことじゃ?」
「道ならば、北にもありましょう。武田も長尾の残党に苦戦しておるという話も聞きます。飛騨や加賀、越前などといった地域を我が家と武田で制してみては如何でしょうか?」
長恒のいうことはこうだ。
・織田が中美濃・飛騨・越前・加賀・越中をとる。
・その後、それを武田家にやる。
・以上
・・・・本当に愚策極まりない考えだ。
しかし・・・
「普通なら、普通ならやらんな。武田も受け取らんじゃろうし。しかし、今なら・・・できるやもしれん」
そう。
今ならそれが可能ではある。
将軍家の威光を掲げ、武田に領有させるためだけに、織田家にとって何の得にもならない戦をするわけだ。
単に武田に呉れてやるというよりも、説得力はあるだろう。
将軍の威光なしに行えば愚策でも、威光があれば良策となり得る。
それに、・・
「それに、領内の武官たちの活躍の場も必要ですしなぁ・・・」
「ほうじゃの・・・。」
織田家では、領内が収まってきた分、野盗などもいなくなっていき、実践経験といえば船に乗ったものばかりになっている状況だ。
陸戦兵の実戦経験の場がとてつもなく少なくなり、不満の声が上がっているのだ。
「適当に略奪させまくれば良いの。伊豆大島じゃったか?余った資材はあの辺りで使えば良いじゃろ」
この間にも、織田水軍は海域の調査や領海の治安維持に動いており、着実に太平洋沿岸部を掌握して行っているのだった。
「ですな。では、武田に打診いたしますか?」
「そうじゃの。うちでは、将軍じゃの公家じゃのという堅苦しい者たちは好かんのじゃと素直にいってしまえばよかろ。」
「では、そう伝えさせます。」
「ん、頼んだ。と、わしからも手紙を書かんといかんの待っとれ。」
こうして、武田の天下取りは進むこととなる。
武田の思惑とは裏腹に・・・。
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◇武田side
武田義信
「父上、お呼びですか?」
武田晴信
「あぁ、織田から使者が来てな。」
甲斐、躑躅ヶ崎館。
そこでは武田晴信と武田義信、親子二人で話し合う姿があった。
「また、何か・・・?」
武田義信は、少し怯えるように父に問いかけた。
「うむ・・・。」
武田晴信もそれに対し、少し言い淀むように話だす。
「織田から、天下をとらないか?と、文と使者が来た。」
「天下、ですか?いえ、取らないかというのはどういう・・・?」
天下というのは、「取らないか?」などと唆すようなものではない。
普通は取るものではあっても、取らせるようなものではないからだ。
特に、織田家のような大大名が同格の大名家に言ってくるようなことではない、決して。
「そのままの意味だ。『北陸や北美濃、飛騨近江。越中に越前、加賀。将軍の名でこれらを攻略するから後の管理は任せたい』ということだそうだ・・・・。」
「・・・・・・・・・は?」
武田義信は、理解の及ばぬ事態に頭が真っ白になる。
「(は?それだけの大領地を取るだけとって任せる?いらないと?は??)理解できん・・・」
「わしもだ・・・。」
この瞬間、親子の心が一つになった。
余りにも理解の及ばぬ事態になった時、人は一つに纏まれるのかも知れない。
「だが、任せてくれるというのだ。こちらも領地が増えることで損はない。だろう?」
「あ、え、えぇ。損はありませんな、損は・・。しかし、本当に取れるのですか?織田は。」
武田としてはそこが問題だった。
譲ってくれるのは、まぁ、100歩譲って良いとしよう。
だが、実際に取れるのかどうかによって話は大きく変わるのだ。
「まぁ、取れるだろう。使者の者も随分と自信がある様子だった。それに、最低でも美濃は取るだろう。あそこは今群雄割拠。欠片もまとまっておらん。遠山と西美濃の連中が優勢ではあるが、それもまとまりにかける。あそこを取るだけなら簡単だろう。」
そう、美濃は、南を除いて国人衆が乱立しつつ、上に立つ者すらいないままの状態で何年も経過している。
史実では斎藤氏が統治し、斎藤義龍が一色に名を変え統治していたが、この世界線では斎藤義龍は処刑され、龍興も存在していない。
そもそも、斎藤氏が美濃を統治していたこともないという完全な乱世となっていた。
武田が攻めてきて統治するという可能性もあったのだが、距離の問題と北信濃が安定していなかったこともあって、攻められてはいなかったのだ。
そしてそうこうしているうちに織田が、南美濃を統治し、武田の介入の目が一気に減ることとなった。
ただ、東美濃の遠山氏は、史実より武田への従属姿勢を強めている。
「では、誰か送り込まねばならない、そういったわけですね?」
「あぁ。だが、織田のことだ。伊勢でも相当略奪したらしいしな。何も残っておらんとしてもおかしくはない。そのことは留意しておけよ」
「わかっております。では、準備に入ります故、今日はこれで。父上、お元気で。」
「お前もな。」
───そうして、武田の天下取りは始まる。




