第37話:伊勢略奪
永禄8年(1565年)
織田信長32歳
織田信秀56歳
あれから、船の建設は順調に進み、船には木砲も取り付けられ、武装船と交易船とに分けて船団が作られている。
船員の教育も進んでいて、佐治家と水野家が中心となって構成された織田水軍ができあがろうとしている。
まずは、伊勢征伐で、その力量が試されるだろう。
とはいえ、この伊勢征伐ではあくまでも沿岸部を徹底的に叩くことが目的で、土地の制圧は目的じゃないというのが重要なところだ。
ちなみにだが、当家の戦では略奪には専門の部隊が用意されている。
これは結構な大部隊で、現段階でも5000人は所属している。
伊勢征伐でもこの部隊が活躍するだろう。
そもそも、俺たちは他領の統治なんぞ、欠片も考えてない。
だから、そこの領地の者にいくら恨まれようが関係ないし、そこから人がいなくなったとしても別になんとも思わないだろうな。
略奪を禁止する部隊運用については理解はしている。
織田家でも不要な略奪は禁止しているしな。
略奪がしたければ略奪専門部隊の"灰狼"に入れ。と告げられる。
今の所はまだ半農兵が多いが、大部分が専門の兵隊になりつつあるのが現在の織田家だ。
転換には時間が掛かるし、スパイに入り込まれることにも注意しなきゃならんからな
20年もすれば、完全な専門兵が出来上がると考えている。
あぁ、それと親父殿はまだ元気である。
史実とは違い衛生面での向上が大きいし、俺の聖水もある。
そして織田家の実権のほとんどは俺に渡されている。
現在の親父のやることといえば、風呂に入り、女衆とイチャイチャすること、である。
お陰で、史実よりも倍以上兄弟姉妹がいるのだ・・・。
新たに官位も得た。
親父に【尾張守】【修理大夫】
俺には【三河守】【鋳銭長官】
信広兄貴には【伊勢守】
信勝には【大蔵大輔】
俺の息子信忠には【造船司】
これらが与えられた。
信勝にもきっちり官位は与えられている。
国人たちの復権ももうあり得ないし、信勝が反乱を起こそうとしても既に誰もついてくる奴はいないからな。
アイツ自身が特に悪さをしてないこともあり、・・・あと、母上からの意見もあってこの簡易が与えられたわけだ。
まぁ、これからのことを考えたら、アイツだけ楽させるっていうわけにもいかないしな。
信広や信勝。
また、他の兄弟たちは、各地で織田家の領地を守っていくことになると思う。
俺自身、本家だからといってとやかくいうつもりもないし、織田家そのものがデカくなっていく以上、本家分家以上に当主としての考えが必要になってくる。
まだ、アイツらには言ってないが、俺の兄弟には、世界各地の織田家拠点を守ってもらうことになる。
要は独立と一緒だ。
関わりは交易と道案内だけ。それ以外はご自由にどうぞ。
そんな感じで進められる予定だ。
信広兄貴も信勝も官位にかなり驚いてたが、こっちとしては欲しい官位は握ってるから好きにしろとしか言わんよ。
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───伊勢征伐・・・いや、伊勢襲撃が始まった。
織田家の新造した機帆船は、伊勢沿岸の地域を完全に蹂躙している。
木砲から打ち出される木玉は、関船も安宅船も関係なく破壊していき、時折打ち出される鉄球は城門や城壁をその場にいた人間とともに粉微塵にした。
さらには、鉄球の中には破裂するものも含まれていて、内部からは尖った鉄釘や木屑などが飛び出してくる炸裂弾の原型のようなものも打ち出されていた。
当然、海ではマトモに刃向かえるような勢力もなく、沿岸部は"灰狼"部隊によって、数多の人や資材が奪われていくこととなる。
これよりしばらく、伊勢湾で活動できる勢力は、織田水軍のみとなり、志摩海賊はその勢力を極限まで縮め、大湊や山田のような自治都市は織田家に降ることも検討するようになる。
だが、結局は北畠の圧力と支援によって再建され、規模は1/10まで低下しながらも北畠の配下として存続することとなる。
北畠家も、南伊勢の支配者としての威厳を見せようとするが、伊勢湾では織田水軍に敵わず。
北伊勢では待ち構えていた織田信広によって大打撃を受けることとなる。
「ここまで叩けば、北畠もしばらくは大人しくしていよう」
この戦いでの北畠家での損害は大きい。
実際の戦いでの損害は信広と戦ったもののみなので、そこまで多くはないが、沿岸部が完全に略奪され尽くしたために、金も物も女すらいない土地が複数箇所にできあがってしまう。
そのため、十数年で南伊勢での人口は大幅に減少することとなる。
また、身売りに出されたものも次々に織田領内へと売りに出され、南伊勢は人売りの国として称されるほど落魄れることとなる。
「手に入った女は全て一度娼婦とせよ。位付けをして配置しろよ?位の低い者は、工場で使う。しっかり婚姻相手も見つかるように斡旋もしてやるといい。あぁ、もちろん百姓から選べよ?」
上流の者は、位の高い美女を嫁にでき、位の低い女は工場で働きつつ、百姓などの下流の者を相手に婚姻が結ばされる。
完全に、人権など感じられない施策ではあるが、今後、新たな土地を開拓していくのに人口増加は必要不可欠なのだ。
そのためにも管理された婚姻政策が続けられることとなる。
「(というか、自由恋愛なぞ絶対に反対だ。あれは国を腐らせる。)」
主人公は前世では持たざる者であり、稼ぎはあっても女と縁のない生活しか送れなかった。
そのことがこの施策発案の元となっており、自由恋愛撲滅は、一種のスローガン押してこの政策の話が出されるたびに語られることとなる。
織田家と北畠の争いがあったこの年。
京では重大事件も起きていた。
"永禄の変" 足利義輝襲撃事件である。
永禄の変そのものは、史実と変わりなく進んだ。
織田家も特に関わることもなく終わる。
織田家への影響も少なく、というかそもそも、織田家は幕府や将軍家とはほぼほぼ関わりを持たないまま来ており、織田家内では永禄の変について話題にさえ上がることは少なかった。
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永禄の変の翌年
永禄9年(1566年)
織田水軍は、近隣の水軍などを潰すために活動を開始する。
これは、織田水軍が、今後の航海の安全を確保するための行動だ。
そのために潰されたのが、ちょっかいをかけてきた熊野海賊であり、駿河海賊、安房海賊などという近隣に名を轟かせた海賊衆だった。
彼らは、隙を見せた織田水軍を何度か襲撃したが、一向に崩せず、その反撃で勢力が一挙に落ちることとなる。
中でも駿河海賊の襲撃は、武田の許諾を得ないまま行われており、主要な人物がほぼ全て海の藻屑となったため、かなり長期に渡って気付かないという醜態を晒してしまう。気づいた頃には再建は絶望的なまでになっており、10年後、武田家は海域の管理を織田家に譲り渡すこととなる。
各地の海賊衆を襲撃し安房では略奪も行われた。
これらは複数回行われ、相模湾を除く太平洋側での海域航路は、織田家が担うこととなる。
相模水軍は、安房での織田家と里見家の戦を見ており、「相模湾以外では戦うことすらできない」と、勢力を相模湾一つに絞り影響力を拡大した。
相模湾のような内海では、織田水軍の機帆船は機動力を生かせず、織田水軍も、相模湾のような内海は避けるようになっていく。
それから、さらに2年後。
織田家は、岩手のあたりにまで影響力を伸ばしていくこととなった。




