第33話:狙うは今川
弘治元年(1555年)
俺が毎日のように作っている聖水効果なのか、親父を含め、史実では既に亡くなっている老家臣たちも壮年のように元気である。
病が癒え、肩や腰の痛みも無くなったと言って、若い連中よりはるかによく働いてくれている。
最近では、俺の作った聖水は領内にも流れ、豪商たちもこの恩恵に預かっているのだとか。
そこからの収入も多く、なかなか侮れないものとなっている。
ただ、領外への輸出は一切を認めていないため、他家には織田家の七不思議の一つとして伝わっているそうな。
どうにも、織田家領内と領外での格差が出来始めているそうだ。
俺は、これを機に国境に関所を設け、さらに織田家の国境とそれ以外を区切る壁を築こうかと検討している。
ただ、美濃方面はともかく、三河方面では難航しそうだ。
三河では、今川の力が弱まったとはいえ健在だし、武田の圧力も大きい。
武田家は、奥三河を手に入れたとはいえ、そこはまだ海辺ではなく。
塩の供給に問題を抱えたままだ。
奥三河を武田が領有したことで武田と今川の関係が悪化したことは事実だ。
しかし、それで織田家との仲が進展したわけでもない。
三河の一向一揆で全てが焼けたとはいえ、これに関与したと、今川は疑念を持っているようだ。
最近では、「武田との同盟を破棄し、北条と同盟を結ぶのでは?」などという噂もあり、また両家の交流頻度も増してると聞く。
「今川と北条が結ぶか・・・」
「はい。両家の間で文が飛び交っていること、いく人かの商人が確認しております。」
俺が言葉を漏らすと、それに対して高市長恒が答えた。
長恒は本格的に小姓頭となり、俺を支えてくれる立場となっている。
まだまだ、避難するものも多いようではあるが、うまくやってもらいたい。
「今川と北条が結ぶということは、狙いはこちらか・・・・?武田が狙いということは、・・・ないか。」
自分で言っていてすぐに否定したが、甲斐の国や信濃を今川が攻めとるメリットはそう多くない。
むしろ、知多半島を狙っているという方が現実的だろう。
そちらの方が圧倒的に利がある。
「はい。今川の狙いは間違いなくこちらでしょう。しかし、武田に奪われた土地もあわよくば奪え返したい、とも考えているかと。」
奥三河は武田が領有したままだ。
いくら一向一揆があったとはいえ、菅原氏の一族は残っているようだし、他の家臣からも圧力は大きいだろう。
「ふんっ・・・。武田も今川も図々しいことじゃ。大体、遠江も元々は斯波の領地ではないか。それを三河まで奪っておいてなお求めるとは・・。ふざけておるにも程があるわ!」
今川が狙ってくる理由に見当がつこうとも、納得のできない憤りが出る。
例え、自分が己の欲求のために三河を狙っているのだとしても、それを棚上げにして憤ることはできるのだ。
それに、俺たち織田家は、斯波氏を保護している。
その観点からも、今川の三河遠江までの領有を認めることはできないのだ。
「・・・しかし、武田はどうもこちらではなく、北の方で随分と動いておるようですな。」
「北信濃か・・・。どうせ、取ったはいいが長尾が出てくるとは思わなんだのじゃろう。阿呆の極みよ。砥石城を落とせば長尾が出てくるなぞ、当然であろうに。確か、その北の海津か松城あたりまでも領有したのじゃろ?」
「はっ・・、確か千曲のあたりまでを武田が、それより北は長尾で争っているようです。」
「そうじゃろうのぉ・・・。それより北に少し進めば春日山城、長尾の本拠よ。織田でいう那古野城や清洲城だの。その直ぐそばにまで武田のような虎狼が来てみよ。誰が悠長に構えておれるのか・・・。その程度のことにも頭が回らんような輩じゃ。武田というのはの。」
俺は、武田信玄という人物を一切評価していない。
その息子に関してもだ。
武田家というのは、信玄の父:信虎とそのさらに父が、まさしく生涯をかけて戦をすることで治めた土地だ。
しかし、それも信玄の・・、晴信の代で追放され、結局は砥石崩れの時まで、彼は武田家当主という名の置物だったのだ。
だが、砥石崩れで老臣たちが一同に死んだ結果、武田家当主としての権威を取り戻すことができた、というわけだ。
つまり、この時点で、武田晴信は実質的な当主として5年目の新米でしかない。
砥石崩れの敗戦を、その翌年には覆したことで、当主としての権威は確立できただろうから、今は当主権力を固めることに手を尽くさなければいけない頃合いだろうな。
しかし、長尾が出てきたことで、北信濃は荒れたまま。
武田家は北信濃の恵みをうまく使うことができないでいるわけだ。
長尾からすれば、本拠地の直ぐそばに武田家のような強大な敵国が存在することを認めることなど不可能。
そうなれば、あとは最後の最後まで争うしかないだろう。
史実でも、4度5度と争ったという記録が残っているほどだしな。
国境線が確定するまで争い続けるだろう。
「理想を言えば、今のうちに武田側は飯田まで、今川側は曳馬までを落としたいのだがな。」
俺の理想は、そこまでをこちら側で領有し、その地点で防衛し続けることである。
そこまでを領有することができれば、防衛も楽だし、津具鉱山も利用できるのだ。
メリットしかない。
「・・・曳馬城は落とせましょう。今、開発されている船が稼働すれば、今川の城は海からも襲撃できまする。・・・しかし、武田を攻めるには山道を踏破せねばなりませぬ・・・。こればかりは・・。」
そう。
今のままでも、今川を攻めとるのは容易いのだ。
長恒がいうように船を使ってもいいし、使わずとも勝てる。
しかし、武田が相手となると戦場の中心が山中となる。
余程の軍勢で攻めるか、誰かを寝返らせるか・・・、はたまた山中を楽に踏破できる何かを発明するか。
このくらいしか手はないのだ。
「奥三河と飯田には誰が入っている?」
「菅原と坂西ですが、実質的な支配は秋山が執り行っておりましょうな」
秋山虎繁。
完全な晴信の股肱である。
寝返る余地はないだろう。
「それでは寝返らせるのは無理じゃの」
「はい。厳しいでしょう。」
寝返らせるのが無理となると、ここを攻めるのではなく、武田本体を攻撃する必要があるかもしれない。
例えば、塩攻め・兵糧攻め・金の貨幣価値低下、などだろうか?
だがそうすると、今川との連携も必要になってくるだろう。
と、ここまでの流れを俺は延々とループしている。
「先に今川を落とすか?曳馬までを領有し、その後、武田に備えるというのはどうじゃ?」
俺は、武田と長尾の争いを脳裏に思い浮かべつつ、そういった。
「・・・・・それでは弱いのではないでしょうか?武田が長尾と争っているとはいえ、飯田城は同じ信濃ですし、秋山が少数でこちらを撹乱するということもあり得ましょう。」
「ふむ・・・、なら武田と長尾。双方でもっと争ってもらわねばならんな。ついでに今川も銭で攻めようか。最後は一気に織田が全てを食うって仕舞えば良いな。」
俺は、今川・武田・北条・長尾この4家を嵌める方法を考えた。
織田領内には、技術革新で手に入った大量の物資がある。これを利用するのだ。
「・・・・そういえば、千秋から報告があったな?」
「千秋家からの報告ですか?・・・あぁ、なんでも信長様の聖水がどうとかいう話だったかと思われますが・・・」
先月、千秋家の人間からの報告があったのだ。
それによると、俺の聖水はどうやら作物の生育にも効果を及ぼすということだそうだ。
具体的な効果のほどは不明だが、たまたま聖水を撒いてしまった場所では、草木が瞬く間に生い茂り、とんでもないことになったとのことだった。
よくよく聞くと、瞬く間、とは言っても一日とか数日ではなく、もっと長いスパンだったようだが。
それの検証に、聖水を使いたいという要望書が来ていたのだ。
「もしかすると、それも使えるかもしれん。それと、今、佐治の領地で取り組ませていることがあったろう?塩作りの。」
「確かにあります。・・・信長様、それらと武田今川の話、なんの関わりがあるのです?」
どうにも長恒には見当がつかないようだ。
俺がしている話が、全て繋がっていることに気づかないらしい。
「ふふふ・・、全て関係あるぞ。今川を攻め、武田に支援できる一手がな。」
その一手がなんなのかずっと首を傾げている長恒を眺めながら、俺は未来について思いを馳せる。
「攻めるのは2年後だ。獲るぞ。」
───俺は、長恒にそれだけを告げると、2人で執務へと戻っていく。その執務の先に、今川と武田を追い詰める策が待っている。




