第29話:貨幣
本格的に市場介入を始めるにあたって重要なのが、貨幣だ。
日本に貨幣経済が導入されたのは遥か昔だが、戦国時代に使われていた通貨は日本のものではなかった。
一部には、日本の貨幣もあったようだが、基本的には渡来銭。
要は支那から来ている硬貨である。
ただ、他国に通貨を頼る分、国内での流通量は少ない。
ある学者の試算だが、過去400年で支那から日本国へともちこまれた銅銭総量は4000万貫だそうだ。
しかし、これらは400年の期間で擦り減り退蔵されることもあった。
江戸時代に、徳川家が貨幣を製造し新規通貨と市場通貨(渡来銭)を入れ替えたが、この時に製造された通貨料は275万貫文だったそうだ。
「恒、要はな、貨幣の総量が足らんわけじゃ。わかるか?」
「まぁ、すでに私たちの分だけでも5万貫文は稼いでおりますしね。使ってもおりますから今のところは問題なくいっておりますが、このままでは確かにまずいことになるでしょうな」
そう、すでに那古野城では毎年1万貫文近くの売り上げが出ていた。
これが、織田家全体となると、ほぼ倍増し、2万貫文は確実に収益が出る計算になるのだ。
275万貫文のうちの5万貫文。さらに毎年2万貫文が市場から消えていく・・・
275万貫文のうちの5万貫文といえば、すでに1.81%・・・これが、現在のままでも10年後には10%に近い数字になるのだ。
こうなると、完全なデフレスパイラルが起きる。
100文で売っていたものは次の年には90文80文とどんどん下がっていくだろう。
そうなると完全に貨幣経済の崩壊だ。
このまま時がたてば、織田家は日本国の貨幣経済を崩壊させた大名として歴史に名が残るだろう。
確実に鐚銭が市場の主役となるだろうし、堺は堺銭の製作に躍起になるに違いない。
「今、軽く試算したのだがな・・・。今のまま進めば、おおよそ10年で貨幣は使われんようになるの。あくまでも最短で、じゃ」
「・・・・・ま、ずいですね・・・?」
「あぁ、まずい。いや、まずいどころではないの。早いとこ手を打たんと織田家がなくなってしまうわい!」
「し、しかしですな、とりあえずは銭を作るほかないのではありませんか?」
「それができれば、はなからやっとる!ウチには鉱山がないんじゃ!どうしようもないわ!!・・・・本当にどうすれば良いんじゃ・・・。」
恒興と2人、主従で頭を抱える事態だ。
いずれ問題になるとは思っていたが、試算だけでも貨幣経済の崩壊はすぐそばに迫っていたのだ。
今気づけて幸いというべきなのか不幸というべきなのか・・・
本格的に彼らは頭をフル回転させて対策を練るのだ
「・・・・若様。まずは整理いたしましょう。」
「・・・・・・・・そうじゃな」
「とりあえず、問題点の内訳はこうです」
◻︎貨幣問題
・このままだと将来お金が無価値になる
・お金の量が圧倒的に足りない
・今のお金を作るには鉱物資源が必要
・鐚銭を元に作ったとしてもお金の総量は変わらない
・織田家には鉱山がないが、貨幣を作る技術はある
「こんなもんですか・・。しかし、こうしてみると手詰まりというほどでもなさそうですね?」
「じゃなー・・。わしも見ておっていくつか案が浮かんだぞ。」
「私もです。」
「なら、まずは恒からいうてみい」
「はっ。私が考えまするのは、武田との同盟ですな。武田であれば鉱山を多数保持しておりましょう。金を元に貨幣を作れば大口での取引は全て金貨幣によるものとなります。そうすれば、これ以上の状況悪化を止められるかと。」
「却下じゃな。」
「?なぜです?なかなかいい案だと思ったのですが・・・?」
武田家の金を金貨へと変え市場流通させる。悪い案ではない、悪くはないのだが・・・。
「武田の鉱山はそこまで長く保たぬ。それと、武田には銅山がない。金だけのための同盟など無価値じゃ。本当に焼け石に水なんじゃ・・・」
「そうでしたか・・・。確かにそれではどうにもなりませんな。」
恒興は再びの黙考に入る。
「次はわしの番じゃな。」
「あ、そうでしたな。聞きましょう」
「まず、足りんのは銅銭そのものではない。足りんのは取引ようの貨幣、いや通貨じゃ。そんで、うちでは鉱山がないから銅銭は作れん。銅線の方を作らにゃならんしのー。じゃから、どうせなら、銅銭以外で貨幣を作る方がええんじゃ」
「銅銭以外、ですか?金銀ですか?これなら貨幣にできましょうが・・。」
「いんや違う。布や紙を貨幣にしようと考えとる。これならいくらでも量産可能じゃろ?」
紙幣は支那でも流通実績がある。
布幣も同様だ。
「ですが、受け入れられますか?確かに過去には絹が貨幣となっていたようなことも聞いますが、これは公家の間だけでの話でありましょう。庶民がそれらを受け入れるのは難しいように思います。また、強度の問題もあるのではありませんか?紙幣では濡れれば破れましょう?」
「じゃの。まず、貨幣というものについてまとめよう」
◻︎貨幣には3つの要素がある。
①保存性:長く使い続けられるか?
②価値尺度:魚1尾の値段、米1俵の値段など、価値基準となれるか?毎回大きく価値が変動するようなことにはならないか?
③交換手段:その貨幣の信用度、信頼度。仮に受け取ったとして使える場所はあるのか?
という要素だ
「こんな感じじゃの」
「なるほど・・・。しかし、これでは布幣はともかく、紙幣ではその保存性が保てませんよ?」
「あぁ・・・、そこは入れるものを工夫してなんとかしいようかと考えとったんじゃが・・・」
財布を作れば紙幣の保存性は上がる。
「しかし、それでも濡れて仕舞えばお終いです。強度のある紙などありません」
「とすると布幣か?じゃが布、布なぁ・・。木綿でも作らせるか?」
木綿の量産。
これさえできれば、布幣に使う布の量は確保可能だ。
「ですが、それでは保存性と価値基準だけです、解決できるのは。交換手段、信用についてはどうなさるのです?」
木綿の量産ができれば、安定的に作り続けられる限りは価値基準は守れるだろう。
その保存性も、硬貨には劣るだろうが、紙よりは高い。また、運搬ということを考えても利は大きい。
「最初は、石鹸との交換ということにしようと思っとる。最上級品の石鹸1個と交換。それで価値を担保すればええ」
「石鹸との交換ですか・・、いわば交換手形ですな」
「そうじゃの。石鹸手形として普及させよう。いずれ、それがそのまま使われるようになろう。そうすれば貨幣の問題も起きん」
「ですな・・、しかし、これでなんとか目処が立ちましたな。ですが、木綿はどうされます?うちでは作られておりませんが?」
そう、尾張では木綿の生産はない。だが、三河では一部で生産されている。
「三河で作られとる。それを幾らかもらおう。あとは、長島で作らせるんじゃ」
「三河で・・そうなのですね。で、長島ですか?あの者らが作るでしょうか?」
長島本願寺。
それは木曽川・揖斐川・長良川、この三川の輪中地帯にある願証寺を中心とする浄土真宗の一大勢力である。
織田信長は、ここと十数年にわたり争った。
「全部うちで買い取るのじゃ。それを前提に作って貰えばよかろ。あの連中を排除することも考えたがの・・・、今の状況下では無理じゃ。それにそちらより遥かに武田の方が危ないわ。」
「まぁ、そうですな。長島は領地を欲しませんしな。こちらから攻めなければ大丈夫でしょう。服部を除けば、ですが。」
「あぁ、友貞の。あやつはとっとと排除せねばならん。いや、長島と話をつけて排除するのもありか・・・?」
「さて・・、どうでしょう?流石に長嶋も黙って切るというのはありえんでしょう?」
服部友貞は、尾張の国人ではあるが、織田家に終生抵抗し続けた、生粋の反信長の国人である。
「なら、先に討つか。・・・白燐は今どれだけある?」
「一応、幾らかは作っておりますが・・・、使われるのですか?しかし、それだけでは市江島を落とすのは困難ではありませぬか?」
「そうか?あー、そういえば輪中じゃったか、あそこも。・・・難儀じゃのー。頭が痛いわ」
「もう少し、案を練りましょう。」
──────そうして、今度は服部党殲滅を目的とした思案が始まったのだった・・・「もう、いつになったら終わるんじゃ・・・」




