言わないで。君のおかげで
「また、此処にいたのか……………」
僕は校舎の屋上に通じていたドアを後ろ手に閉めつつ、君に声をかけた。それなのに君は僕の声が聞こえてないかのように反応しない。飛び降り防止のフェンスに背をつけて体育座をしたままだ。
「全く、授業をサボるなんてとんだ不良娘だな」
授業開始の鐘の音を聞きながら僕は君に歩み寄った。それでも君は返事をしない。自分の両足で顔を隠すかのようにうずくまっている。
「スカート直せよ。中、見えるぞ」
「………………うるさい」
ようやく君は返事をした。それでも体勢は変えない。本当は気になって仕方がないだろうに。
僕は遠慮なく君の隣に腰を下ろした。
少し手を伸ばせば届くけど、伸ばさなければ届かない距離。
「どうしたんだよ、せっかくの他校に人気なチェックのスカートが皺になるぞ」
「……………」
「それとも、あれか。昼に何か悪いものでも食べたか」
「……………」
君は何も答えない。僕は独り言のように言葉を重ねる。
「午後の一番目は、古典だぞ」
「……………」
「あの教師はサボると宿題三割増しだぞ」
「……………なら授業を受けてくればいいじゃない」
君は棘があるが鋭さがない声で言う。そんな声を出されると僕が責められているような気になってしまう。
でも、僕は通常通りの声を出す。
「それとも、一人青空教室か? ふむ、それも悪くないな。欠点をあげるならば授業を行う教師がいないが」
「……………うるさいばか」
君はよくここに来る。
理由はその時によって様々だが、一様に君の気持ちが沈んだ時と決まっている。
「……………死にたい」
そしてそう思っている時と決まっている。
初めての時は、小学校だった。君と僕が初めて別のクラスになった3年生の時、君はイジメにあった。イジメといっても、外から帰っても手を洗わないような男子に~菌と言われて避けられ囃し立てるだけの、よくある話だ。
その頃は繊細な内面を隠すだけの対人スキルがなかった君は、放課後屋上で泣いていた。
友達とサッカーをする約束をすっぽかしてまで探した僕に、「死にたい」と初めて言ったのだ。
僕は君がそう言った時の枕詞を返す。
「死にたいとか、言うなよ」
「………………うるさいばか」
その声が少しだけ、ほんの少しだけ隠せなかった喜びが混ざっているのに気付きながらも、僕は君に尋ねる。
「何で死にたいんだ?」
「………………空気読めない、って言われた」
「誰に?」
「………………自分に」
彼女はそう言って、限界を試すかのように頭をより深くうずめる。
君はいつもそうだ。そう言って他愛のないことで自分を傷つける。
友達がいない。可愛くない。頭が悪い。空気読めない。話が下手。服のセンスがない。背が低い。発育が悪い。運動が出来ない。勉強ができない。絵が上手くない。人より優れていることがない。
「……………死にたい」
確かに君は、空気が読めてない所があるし要領も悪く成績が良くない。背も低ければ体の発育も悪い。
でも、そんな人間は五万といる。君より頭が悪ければ運動も出来ず友達もいない人間は確かにいる。そんな人間ですら生きているというのに、君は死にたいと言う。
「じゃあ、次から頑張れよ」
「……………むりだよ」
「努力しろ」
「……………空気読めないのは、どうしようもないもん」
だが結局、そんなのは全部建前。たとえ君が空気を読めるようになっても、君はまた別のことで屋上に来る。
君は君自分を好きになりきれなかったのだ。
自分を好きになれなければ、人は生きられない。普通は何の疑問もなく人間は自分のことを好きになる。それは直接でなく間接的にでもいい。美味しい食べ物を食べる自分が好き。愛しい人につくす自分が好き。人を感動させる歌を歌う自分が好き。
だが君は、どんな形でも自分を好きになれなかった。だから君はここに来るのだろう。
僕がここに探しに来ることを期待して。
「……………死にたい」
「そんなこと言ったらお袋さん悲しむぞ?」
「……………ママはお姉ちゃんがいればいいんだもん」
君は家族との折り合いが悪い。出来の良い二つ上の姉と比較されるのだ。
君が一カ月かけて夏休みの宿題を終えると、彼女は絵画コンクールで区に表彰された。
君が皆勤賞をとると、彼女はキャプテンで部活を全国区に連れて行ったと褒められた。
不器用な君がどんなにがんばってもまぐれで賞をとっても、君は褒められない。
親に愛されなかった子は、自分に価値を見いだせないという。君が自身に意味を見いだせないのは、そんな理由もあるのかもしれない。
「……………ほんとうに………死んじゃおうかな」
君はいつも以上に落ち込んでいるらしく、いつもとは違うことを言う。そんな気も、そんな勇気もないくせに。
「……………別に、死んでも悲しんでくれる人はいないし」
「そんなことはない」
君は知らないだろうけど、僕は君がいなければ死んでいた。
君は知らないだろう。人当たりのいい僕が、本当は人間が嫌いで憎くて信じられないことに。
でも僕はそれよりも自分という人間が、嫌いで、憎くて、信じられない。
僕は君と違って自分は嫌いではない。憎んでいるのだ。もし、もう一人自分がいたら殺し合っているくらいに憎んでいる。
君がいなければ、そこにうずくまっているのは僕で死にたいと嘆いているのも僕だったろう。
でも僕は、君がいるおかげでこうして生きている。危なっかしい君から目をそらすと不安になる。僕が死んだら君がどうなるか考えると、自殺を考えることすらできない。
それは子猫が気になって旅行に行けない程度の気持ちなのかもしれない。
でも、確かに僕は生きている。
「……………死にたいよ」
「うるせえ帰るぞ」
僕はフェンスを背から離して、立ち上がりながら君の手を取る。君は涙で赤くなった眼を見られるのが嫌なのか、顔は伏せたままだ。だが、抵抗はしない。
僕は彼女を引っ張って、屋上から去る。今すぐにでも引き返してフェンスを飛び越しこの世界から逃げたい衝動をこらえて、君の先を歩く。
死にたいなんて、そんな悲しいことを言わないで。
君のおかげで、僕は生きている。
連載中の『ネコが勇者の異世界召還論』が今週書けなかったので、代わりと言ってはなんですか掲載しました。
メンドクサい少女とそれに付き合う少年。
最後の一文を書きたいがために書き上げた一作でした。