第2話 愉快なモニュメント
ヤモリのような生き物の群れが突如として燃え上がる。
天空を舞う怪鳥がいきなり墜落して地面の染みとなる。
翼の生えた大蛇が水っぽくぶしゃりと爆ぜて散る。
死骸のカーペットを敷く長身痩躯の女の名はロスタタルゲェノ。
先刻、焼き殺したヒュドラがここら辺のボスであったために怯えていたのか、ヒュドラがいなくなった途端に生き物がわらわら湧いてきた。
そのため鏖みなごろしにしたのだ。
これらの生物──魔物は百害あって一利ない存在だ。
人種にのみならず、既存の生命体をことごとく脅かす害獣。
生かす価値は無い。
それはそれとして、ヒュドラを筆頭に出現した魔物どもを見て彼女は確信を得た。
私は時間遡行などしていない、と。
彼女が産まれてから、魔物が跋扈ばっこした時代は無い。
厳密に言えば少しの期間あったが、現在の数には遠く及ばない。
彼女の死亡時点から時を越え、未来に生きているようだ。
結論に至った彼女が今すべきは情報収集である。
この時代の人に話を聞くのが最も手っ取り早いのだが、ここ──フォルタン山地に人が住んでいるとは思えない。
フォルタン山地は動植物の生存を許さぬ不毛の地。
ロスタタルゲェノが生きた時代では、彼女と同じ人種のティタンの人々しか住んでいなかった。
そのティタンも、人生の最晩年にこの世界から消え去った。
余程の物好きでもない限りこの地に住もうとする人は居ないだろう。
となると、目指すべきはフォルタン山地の外である。
ゆえに今、彼女は世界の北極たる霊峰フォルタンに背を向け南下を始めていた。
道を妨げる魔物を切り伏せながら。
そんなときである。
魔力探知範囲に魔物でも岩でもないものが入ってきたのは。
それは、なんと人であった。
ほんの一瞬、こんな土地に人が居るとは何という僥倖ぎょうこうだ、と思った。
ただ、直ぐにその人の様子のおかしさに気づいた。
生身の人が脚を天に向けて、地面に逆さに突き刺さっているのだ。
そして、脚やら腕やらをそこらの魔物にガジガジ噛まれている。
何とも愉快な姿であるが、どうやら生きているようだ。
鼓動を感じる。
ただ呼吸が浅い。
地面に埋まって呼吸が困難になってしまっているのかもしれない。
接近して詳しくそれを精査してみるが、間違いなく人種である。
人型の魔物という訳では無い。
彼女は魔力を圧縮して弾丸を作り、群がっていた魔物を撃ち殺す。
「大丈夫かい?」
埋まった愉快な子に声をかけながら、その子の両足を鷲掴んで引っ張る。
「若い肉体だとやはり力があるね」
若い身体の良さを噛み締めながら、埋まった子をスポンと引っこ抜く。
大根のごとく引っこ抜いたその子を地面に寝かせて置き、顔をまじまじと見てみる。
白目を向いている。
駆けつけるまでに死んでしまったかと思ったが、鼓動は聴こえる。
呼吸も問題なし。
気絶しているだけのようだ。
ただ、逆さだったため、頭に血が上って顔が真っ赤になってしまっているが。
訊きたいことは山ほどあるから、その子を揺り起こそうかとも思ったのだが、やめた。
若い肉体は、老体とは比ぶべくもないほど動きやすくて体力も長く保つが、如何せん、彼女にはそもそもの体力がない。
つまり、ひと休憩したいのだ。
彼の目覚めを待ちながら、少し休らうとしよう。
彼女はそう決めると少年の近くに腰を下ろした。
◇◆◇
地面に逆さに生えていた少年の目が覚めるのを待ち始めてから二十分ちょっと経った。
我々の周りには魔物の死体が堆うずたかく積もっている。
彼の身体を齧かじっていた魔物の死体の臭いに誘われたのだろうか。
しきりにやってくる。
今、魔物どもは彼女を無視して熱心に死骸を貪り食っている。
先のヒュドラと言い、ここの魔物は悉ことごとく酷い空腹状態にあるようだ。
一体この地はどうなってしまったのだろう。
そうぼんやりと考えていたとき、気絶中の少年が目覚めた。
「ん〜ぅぅ」
「おはよう」
私の挨拶に少年はビクッと震え、驚きと怯えの混じった眼差しを向けた。
そして間髪を入れず彼は、我々の周囲の死骸の山を見てギョッとする。
「心配しなくていい。辺りの魔物を処分したのは私だよ。地面に頭から埋まっていたので引き抜いておいたよ」
「はぃ…は、はい…えっと…あ、ありがとうございます!埋まってた僕を助けて頂いた上に魔物から守って頂いたようで。本当にありがとうございます!」
徐々に混乱が収まってきたようだ。
二十歳はいかないほどの風貌で、元気な良い子という印象を受けた。
そして健全な男の子であるようだ。
彼の視線は彼女の乳房へと向けられている。
些か頬を赤らめながら。
彼女は長らく老いた身体であったから、こういう性的な眼差しを若い子から受けるのは久しぶりのことであった。
ごく稀に老いた身体であっても欲情する物好きもいたが、大体高齢だった。
だからとても新鮮で、悪い気分はしなかった。
「残念だが乳は出ないんだ。ティタン種の女わたしの乳房は肺として機能しているからね。空気なら出るから飲ませてやれるけど」
冗談めかして言うと、少年は真っ赤にした顔を逸らしながら「ごめんなさいっ」と慌てて謝った。
ふふ、愛い子だ。
彼女はそう思った。
「あの…何でこんな危ないところにいらっしゃるんですか?」
恥ずかしさからか、話題を変えようと少年が尋ねてくる。
それは彼女の台詞なのだが、今はこの未来の世界の情報が得たいため置いておく。
「『危険な』と君は言ったけど、そもそもここはどういう場所なの?いや、フォルタン山地というのは知っているけども」
「あれ…知った上でここにいらっしゃるんじゃないんですか?
ここは世界最大規模の人工魔境ジェイルダンジョン、『フォルタン魔法愛玩動物収容区』ですよ」
「ジェイル…?ダンジョン…?愛玩…?」
知らない単語を列挙されて混乱してしまった。
生前では、物知り生き字引おばあちゃんと呼ばれるほど、言葉の新旧に関わらず何でも知っておくようにしていたため、新鮮な感覚だ。
彼女は目を剥いた。
これが俗に言うジェネレーションギャップか…!