第13話 擬態虫
一角兎の襲撃の同日。
日は沈み、夜闇が大地を満たす頃。
ロスタノは村の外を歩いていた。
正確にはロスタノの分身である。
もう二度と村を離れてリアや村民を危機に晒す愚は犯さない。
目的は自然魔境の解体である。
村に来た目的の一つである。
今、分身は村から少しだけ離れた地点に出現させて、目的地まで歩いている。
目的地のすぐそこに出現しないのは、魔力濃度調整のためである。
現代世界の情報を集めてロスタノが分かったことは、人や動物が魔力を過剰に浴びることによって魔力中毒を引き起こしているということだ。
ロスタノが生きた六百年以上前には無かった用語だ。
世界は大きく様変わりしているらしい。
そういう理由で、村の外にある畑などの土地の魔力濃度を見て回っていた。
存外、濃くはない。
ただ、一角兎の糞が所々撒かれていてその付近は濃度が高い。
ロスタノは糞の臭いと共に漂う魔力を吸収する。
臭いまでは吸収しないが、糞から出た魔力を身体に収めるのは不快である。
鼻呼吸を止めながら進んでいくと自然魔境に到達した。
ちょっと木が密集した程度の場所で森と呼ぶには小さい。
視覚的にはそれだけの場所だが、魔力濃度の異常な高さが存在感を放っている。
村からはさほど遠くない。
良くもまあこんな近くに村を構えたものだ、とロスタノは思った。
村ができるより後に魔境の方ができたのかもしれない。
あまり重要では無い推測は程々にしてロスタノは臆すことなく魔境に足を踏み入れた。
中には子育ての為に魔境内に残ったのであろう一角兎がちらほら居た。
余さず殺しつつ、進むが別種の魔物の存在は視覚的には確認できない。
しかし、魔物はロスタノのすぐそばにいた。
立ち止まったロスタノの足元が突如、割れる。
浮遊感に包まれる。
少し落下し、首の位置が地面と平行になった瞬間、真っ白な穴の端が閉じる。
白いそれの正体は歯であった。
魔物は地面に擬態していたのだ。
しかし、地面の歯がロスタノの首を落とすことは叶わない。
魔力防壁に阻まれたからだ。
歯に挟まれてぶら下がりながら下を見る。
そこはアリジゴクのようであった。
薄ピンクの柔らかそうな肉壁の空間があり、舌は無く、肉壁から溢れた唾液が真っ暗な喉奥へと流れていく。
「やたら魔力濃度が高いと思ったら…まさか魔境全体の地面や草木全てが擬態虫とはね」
擬態虫は本来ヒトの指先程度のサイズの寄生虫である。
無生物や植物に侵入すると中身を喰い尽くして擬態し、近づいた人や動物を捕食する魔物である。
昔、ロスタノが地下に隠しておいた埋蔵金が擬態虫に喰い荒らされ、価値を失っていた時には怒り心頭に発したことがある。
貯め込んだ金銀財宝の山を見てにやにやするのが楽しみの一つであったロスタノの怨恨は未だ新鮮に渦巻いている。
「三千年前の恨み、君等で燃え上がらせた炎にくべて晴れ晴れと散らしてやろうかな…」
しかし、火炎魔法は延焼の危険性がある。
魔境外の草木までも灰に変えてしまいかねない。
「いや…普通に魔力吸収で終わらせようか」
ロスタノが両側から挟み込む擬態虫の歯を両手で掴む。
歯のテロテロした気持ち悪いヌメリを我慢しながら、手を経由して擬態虫から魔力を絞り上げていく。
擬態虫の喉が震え、ゴロゴロと悲鳴を上げた。
口内の赤みが失せて白く乾き、やがて干割れていく。
歯が光沢を失い砕け始めた瞬間、擬態虫が崩れて砂と化して息絶えた。
「キョイキキキキィィィィィィィィィィィ!!!!!!!!!!」
周りの木々がざわめいたどころではなく、甲高い悲鳴を上げた。
草木が割れて口が姿を現し、触手のごとく枝葉をしならせる。
「村にも響いちゃってるよ…。夜中だからさ……静かにしてね…」
顔を顰めて地面に触れる。
草木に擬態した擬態虫の根から地面を通じて魔力が吸い出され、身体を維持できなくなる。
そして擬態虫のおがくずが生まれた。
根を地中から引っこ抜いて足のごとく扱い逃げ出す個体もいたが、新しく出現したロスタノの分身が直接触れて殺していく。
数分後には砂とおがくずと緑葉の欠片が混ざりあった柔らかな土地となっていた。
偽物の緑に溢れた小さな森は姿を消していた。
「よし…取り逃がしはいないね……あれ?」
魔力探知で擬態虫の残党が居ないか辺りを確認していたとき、妙な気配を感知した。
魔境の外にあった自然の草むらに身を潜める人のようなもの。
姿の輪郭がぼやけていて人か人外か判断がつきかねる。
身体の体内外を動く魔力の制御ができる人物のようだ。
しかし、半端な技量のせいで辺りの自然な魔力の動きに完全に溶け込めておらず、景色に浮いている。
意識してみれば丸わかりである。
もし村人であれば、色々と問いただされるのは面倒である。
そそくさと逃げてしまおうとしたその時、草むらが動く。
野生動物だったのかと勘違いするほどに素早い動きで出てきたその人物。
その人物は流れるような動きで膝をつき、両手を地面にべたりとつけると額を地に叩きつけた。
「お、お願いがございます!魔神妃ロスタタルゲェノ様…!!!」
頭を垂れて蹲ったその婦人の名は────────
「リエラ…さん」