第73話 通り雨リトルマーメイド
雨が降りつける遊園地。雨音と人の声が混ざり合い、雑音となって耳に届く。
その中から一つの歌声が聞こえてくる。
とても綺麗な歌声。そして誰よりも努力した歌声。俺はその声の主を人混みの中から見つけ出す。
雨の中、人々は足を止めて1人の歌姫を見つめ歌声に耳を傾けている。
一華は道端でアカペラで歌っている。隣には店員の言っていた子供も居た。
「……す、すごいな…」
遊園地で一般の客が突然歌い出す。普通に考えれば白い目で見られそうなものだが、その違和感を一華は実力で一才感じさせない。雨が降る事で神秘的な印象を受けるほど。全員が1人の歌姫を無視できずに居た。
そう。まるで人魚の歌声を聴いているかの様だった。
○ ○ ○
その後、迷子らしき子供の母親が名乗りをあげ、子供は無事に引き取られた。
子供がいなくなった後、一華に人が殺到する。当然の反応だ。突然歌い出した少女の正体を皆知りたがるだろう。中には多分一華がアイドルとわかっていたファンも混じっていた事だろう。
俺は人の波をかき分け、一華の手を取る。
「え?真…?」
「行くぞっ!」
強引にその場を後にし、人が居ない場所を目指して走り出す。
一華を追いかける客も付いて来られなくなったのか、徐々に数を減らし、気づけば一華を追う者は消えていた。
「はぁ…はぁ…」
「はぁ…ははっ!あはは!はぁ〜、また濡れちゃったっすね?」
「一華の…せいだろ?全く…店員さんに一華が店を飛び出したって聴いた時はすごく心配したんだからな?」
「うっ…ごめんなさい…」
俺の言い方が強かったのか、一華は本気で謝り出す。俺は手を挙げてそこまで怒っていないことを伝える。
「とりあえず戻ろう。店に全部置き去りだからな」
店に戻る途中。気づけば雨は止んでおり、雲の隙間から針の様に真っ直ぐに日の柱が遊園地を照らす。
少し幻想的な景色を眺めた後、俺は一華に言葉をかける。
「なぁ…どうしてあんな事したんだ?」
「えぇっと…まだ怒ってるっすか?」
「いや。怒ってるってより、単に理由が知りたいんだ。突然出ていった理由を……観覧車の時から感じてた、一華の悩みをさ」
一華は悩みを抱えていたことを見透かされ、一瞬驚いた様に目を見開いたが、すぐに笑顔に戻る。
「なんでもお見通しなんすね。‥まずはごめんなさい。急に飛び出しちゃって。ちゃんと話すっす」
そうして一華はゆっくりと話し始めた。
○ ○ ○
最近、アイドル活動が思いのほか調子が良く、お仕事が増えてきた。
それ自体は嬉しかった。でも、中々真と皆との時間が取れていなかった。
私は……それが恐かったのかもしれない。変化してしまうのが嫌だったし、恐かった。
アイドルとして売れれば売れるほど、皆んなとの時間は少なくなる。
真は…アイドルの私を好きでいてくれるだろうか。
もちろん、真はそんな人じゃないって知ってる。でも、距離が出来てしまうことが恐かった。
真と2人だけの時間が欲しかった。だから、ダンスレッスンの合間も、歌のレッスンの合間も勉強してペアチケットを勝ち取った。
そうして一緒に来た遊園地。そこで私は聞いてみようと思ってた。距離が変わっても好きでいてくれるか。
観覧車で伝えようとしても伝えれず、その後もタイミングが無くて伝えられなかった。
恐い。真はわかってくれる。そうわかっていても恐かった。
更衣室から出た時、目の前に迷子の子供が涙目で助けを求めている様だった。
私は…多分この子に自分を重ねてしまったんだ。「助けて」って言いたいのに言えずに、不安だけが重くのしかかる。今の私と同じだと。
すぐに見つける気でいたけど、雨の中で顔も知らない他人の子の親を見つけるなんて不可能に近かった。
ここから迷子センターまで距離があった。注目を集めれば見つかるかもしれない。そう思って私は歌い出した。
今ならわかる。彼は……真は多分どれだけ離れても変わらない。
いや、変わるかもしれない。でも、私を見つけ出してくれる。離れても、見えなくなっても、居なくなっても見つけ出してくれる。真なら変わっても大丈夫だ…。
○ ○ ○
一華は悩みを話し終わると、指で頬をかきながら目を細める。
「だから…もう大丈夫っす!もう…安心できたっす…」
一華は少し恥ずかしそうに頬を赤らめ、俺から目を背ける。
「そうか…なら良かったよ。………で、どうする?また着替えるか?」
「あ〜……どうしよ…。ごめんなさいっす!何回もびしょびしょに…!」
「いや、一華のせいじゃないよ。とりあえず、荷物を取りに…」
「ねぇ?真?」
「ん?」
俺は振り返ろうとするも、完全に振り返る前に唇に柔らかい感触を感じた。
目の前には一華の綺麗な顔があった。まつ毛が触れ合いそうなほどの距離。ほのかに香る甘い香りと雨に濡れてしっとりとした髪の毛。
体は冷えていたが、顔は火を吹きそうになるほど火照り、唇の感覚はより鮮明になる。
時間にして約1秒のキス。しかし、俺にとってはとても長く感じた。
ゆっくりとお互いの唇が離れて行く。
一華の顔は真っ赤で、今にも倒れそうだったが、目線は逸らさず、俺のことを見つめる。
「私、真のことが好き。大好きだよ!」
俺の唇はまだ感触を覚えている。照れながらも笑顔で想いを伝えてくれた一華の顔は雨上がりの太陽の様な笑顔だった。