第72話 何かを抱えて
遊園地を一望できる観覧車のゴンドラの中。一華と互いに向かい合う形で座っていた筈だったのに、一瞬外に視線を向けた瞬間に僕の片腕に彼女は絡みついていた。
右腕に巻き付いたままの一華の腕は、徐々に力を増していく。
困惑し、照れて焦っている僕とは対照的に一華は静かに身を委ねている。その姿を見て、俺は去年の積極的な一華を思い出したが、それとは少し違う雰囲気を感じ取った。
どこか寂しそうな。そして何かを抱えていそうな。そんなあやふやな雰囲気を感じ取った。
「一華?どうしたんだ」
「え?何がっすか?抱きしめられるの嫌っすか?」
「嫌じゃないよ。でもじゃあ、なんでそんな顔してるの?」
一華は顔を肩に埋めているので、表情を見ることは出来ない。でも、見なくてもわかるくらい違和感を感じてしまう。
「………今はこうしたいんすよ。ちょっと肩貸して欲しいっす……」
観覧車のゆったりした時間。俺に身を委ねる一華と静かな時間を過ごした。密室での静寂。しかも、男女となれば気まずい雰囲気になることもあるだろうが、一華との間にはそんな空気は流れなかった。逆にどこか心地良くもあった。
○ ○ ○
観覧車を降りて、他のアトラクションを楽しんでいた午前中。お昼ご飯を食べようとレストランに入ろうとしたが、突然の通り雨が俺達に降り注いだ。
天気予報は晴れだったのに…。とにかく、雨を凌ごうと近くのショッピング店に走り出す。
店の中に入る頃には頭から足先までびしょびしょになってしまった。
「なんかすごいデジャブっすね…。でもちょっと楽しかったすね!雨の中走るって!」
「さすが可愛い歌姫だな。ほら、この店で前みたいに着替えでも買おうぜ」
「ちょぉぉい!それ禁句!今は禁句!!」
可愛い歌姫担当。一華のアイドルグループでの役割なのだが、恥ずかしいらしい。顔を真っ赤にしながら店内を散策する。それぞれ着替えとタオルを購入して、更衣室に入る。
先に着替え終わった俺は、まだ一華が出てきてないことを確認して店の中を散策する。いや、散策と言うよりかくれんぼをしている感覚だ。
俺はある人達を探し出す。
店の棚に隠れきれてない人影。靴だけじゃなく、もはや下半身まで飛び出ている。
「おい」
「………」
「おい、何しに来たんだ?」
「エェ?ド、ドナデスカ?」
「いつからなんだ?」
「ア、アイムガイコクジン!」
「まだやんの?てか何?外国人って」
棚の裏から現れたのは…二奈、三和、四羽、五花。全員だ。全員で俺と一華をつけて来ていた。
「で?いつからだ」
「お姉ちゃんが不審者みたいな格好してた時からです…」
「最初からじゃねぇか」
「…それは謝るけど、なんで気づいたの?」
「観覧車で写真か何か撮ったろ?」
観覧車で後ろのゴンドラから感じた光の正体はカメラのフラッシュだろうと予想がついた。観覧車を降りた後、一華にバレないように後ろを注意していたが、ゴンドラから4人がぞろぞろと降りて来たところを見てしまった。
もし、厄介なファンだったら口封じにボコ………。
とりあえず、正体がみんなで良かった。良かった…のか?
「あ〜あ〜。四羽が間違えてフラッシュにしたからー」
「ご、ごめんなさいって何度も謝ったじゃないですか!うぅ〜!」
四羽が猫みたいに唸りだした所で、俺が話を戻す。
「それで?なんでついて来たんだ?」
「そりゃマコトっちが変なことしないかの偵察だよ!どさくさに紛れてエッチなことするつもりなんでしょ!?」
「しねーよ!店から追い出すぞ!」
「わ、私が提案したんです!お姉ちゃんの後ろをバレないように尾行しようって!写真を撮ったのも、お姉ちゃんの顔をよく見たくてカメラでアップにしてたんだけど…四羽が…」
ここで意外な人物が名乗りを上げた。一番こう言ったことを邪魔しないと思っていたが…。
いや、邪魔をしに来たんじゃないのだろう。姉の違和感に誰よりも早く気がついた二奈だからこそ、こうしてついて来たんだろう。
「真も感じてましたか?お姉ちゃんの違和感」
「ああ。やっぱり何かあるんだな。どこか寂しそうと言うか、抱え込んでそうと言うか…」
「私は二奈に言われてから気がついたんですけど、確かに最近忙しそうでしたからね。アイドル活動で何かあったのかもしれませんね」
アイドル活動。最近は調子がいいと言っていたが、それが逆にプレッシャーになっていたのかも知れないな。
「あの…真にお願いがあるんです…。お姉ちゃんに気づかれないように聞いてくれませんか?」
「また難しい事を……。まぁ、頑張ってみるよ」
「…私達は遠くから見ておくから」
「あぁ。今度はバレないようにしー」
「あの〜すみません、先程のお客様のお連れ様でしょうか?」
突然店員から後ろから話しかけられ、俺達は顔を見合わせた後、二奈が店員に質問を投げかける。
「も、もしかして黒髪でロングの女の人ですか?」
「はい。そのお客様が更衣室から出た後、小さなお子様と一緒に店の外に出て行かれたので、お声をお掛けしました」
「え?外に?子供?」
謎だけが増えていく状況。全く話が見えてこないが、店員に案内され更衣室を見にいくと確かに一華の姿が無い。しかも、荷物はそのままになっている。鞄も雨に濡れて重くなった服もそのまま。
「どこ行ったんだ…。スマホも置きっぱだし…」
「わ、私達も探しましょう!」
一華の荷物を受け取り、四羽達と別れて店の外へと向かう。
外は冷えた雨が降り続けている。雨足も先程よりも強くなっている。天気予報では通り雨のようだったが、雨はまだ止まない。
雨は降っているが、まだお客さんは傘を刺して遊園地を楽しんでいる。傘のせいで逆に一華を探しづらい。雨と人の傘で目の前が遮られる中、俺は必死に探す。
歩を進める度に水溜まりが跳ね返り、雨水が靴を濡らす。靴下までじんわりと染みてくる感覚が訪れた後、足先から徐々に体温を奪われる。
周りを探し回っても一華の姿はない。
そんな時、どこからか歌声が聞こえてくる。聞きなれたような、そして俺が知っている中で一番綺麗な歌声。
傘に雨粒がポツポツと当たる音、人々の話し声、遊園地に流れているBGM。様々な音を弾き、美しい歌声だけを聞き分ける。
「この声は………」
俺は声のする方向に向かって走り出す。人の波をかき分けるうちに傘が邪魔になり、俺は傘を閉じて走り出す。
着替えたての服をもう一度濡らす。雨粒が服の色を染めるはじめ、服が重くなる。
でも、俺は足を止めるどころか更に早める。歌声を頼りに人波を潜り抜けた先に居たのは、可愛い歌姫の姿だった。