第59話 大切なあなたへ
1月29日。
特に変わらない日。登校して、6時間の授業を受けて放課後を迎える。
そんな何気ない放課後も、今日は違う雰囲気を漂わせる。
オレンジ色に染まった生徒会室。今日は生徒会の仕事がない。誰もいないはずの生徒会室の扉を開けると、そこには生徒会長の椅子に腰掛ける玄江先輩が居た。
武田玄江先輩。最後の最後まで学年一位の成績を死守し、運動能力も抜群。進路も東京大学に余裕で合格したとか。
俺が唯一勝てなかった目標でもあり、信頼できる先輩。そんな先輩と最後の時間を過ごす為にここに来た。
「あれ?真くんじゃん!久しぶりだね〜。私が居なくても生徒会は大丈夫そうだね」
「先輩が残した生徒会は、白猫がしっかり受け継いでますよ。今日が最後なんですよね?2月は先輩たちは学校に来ないですし」
「そうだよ〜。だから、最後にここに来たんだ」
3年生は明日から自宅学習期間になる。次に会えるのは3月の卒業式の日。つまり、今日以外にゆっくり話す機会が無かった。
先輩が来そうな場所を考えた時にここが真っ先に思いついた。
「それで?可愛い先輩が居なくなっちゃうのが寂しい?」
「まぁ…そんな感じですかね。玄江先輩が居なくなっちゃうのは寂しいです」
そう言うと、俺の予想外の返答に玄江先輩は驚いた表情で聞き返す。
「え?ど、どうしちゃったの?真くん。どこか頭打った?」
「打ってないですよ。後輩が寂しいって言ってんのに」
俺の様子が違う事に気がついたのか、玄江先輩はゆっくりと立ち上がり、こちらに近づく。
立ちすくんでいる俺に近づいた先輩は、俺の顔を覗きこむ。
「何か話したいんでしょ?」
「…はい。少し、相談良いですか?」
2人はソファに座り、俺はゆっくりと悩みを吐き出す。
俺の悩みは、進路の事だ。家を出て、目指すものが無くなった俺は何をすれば良いのかわからなかった。前までは、門川家を継ぐために勉強もしていたが、それも今では必要なくなった。なら、俺は何をすれば良いのか。それを見失っていた。
隣に座っている玄江先輩は、ただ頷くだけで静かに俺の悩みを最後まで聞いてくれた。
玄江先輩は、俺の事情を理解してくれている数少ない人物だ。門川家の事も、母が亡くなり、やさぐれでいた俺を先輩は見つけ出してくれた。多少強引に生徒会に入れてくれた事も、今では感謝している。
そんな先輩だからこそ、最後に話しておきたかった。こんなに心を許して話せる人物は居ない。そんな先輩の言葉が聞きたかった。
「うん。真くんは昔とはもう違うんだね。入学式で初めてあった時は凄い顔してたよね?周りとの関係を嫌って、何も話さなかった。そんな真くんが………成長したね〜!よしよし〜!」
玄江先輩は、子犬を愛でるように頭をわしわしと撫で回す。
「ちょっ!やめてください!」
「えへへ〜。なんだか可愛くってさー。でも…真は真だよ?好きな事をしなよ」
「え?」
「相談の続きだよ。せっかく真は自分を縛り続けてた家から抜け出せたんでしょ?なら、好きな事をするべきだよ。可愛い許嫁ちゃん達もいるんだしさ、もう1人じゃないんでしょ?」
「それは…そうですけど。特にやりたい事も見つからないですし」
「なら、なんでも良いから突き進んでみれば?勉強も出来るし、運動もできる。能力だけなら私に近い存在。そんな優秀な生徒、社会で役に立たないはずないじゃん!」
「それ、自分の方が優秀って言ってません?」
「あれ?バレたか!」
頭をぽりぽりと掻きながら玄江先輩は笑う。
「まぁさ。とりあえず大学でも、就職でも、なんでも突き進んでみてからで良いんじゃないかな?困った時は周りのみんなが助けてくれるよ。そのくらい大雑把に居ても良いんじゃない?」
「そうですね。先輩みたいに適当でいいのかも知れませんね」
「なっ!なんだと〜!先輩に随分言うようになったね〜?」
頬を膨らませる先輩の隣で俺はくすくすと笑う。
先輩に相談して良かった。先輩の言葉を聞いて胸を撫で下ろす。
俺が先輩に敵わなかった理由がなんとなくわかった気がした。
○ ○ ○
2月14日。バレンタイン当日。
今日はバレンタイン。私は何度も試行錯誤して来たチョコを持って学校へと登校する。真にはバレなように前の日から佐倉家で作って来たっす。
この日のために何度も準備して来た。私の想いを込めたチョコを渡す!
そう意気込んだのは、一華だけでは無かった。
登校している6人の内、真を除いた5人の許嫁は鞄にチョコを隠し持ちながら登校していた。
5人は、それぞれの想いを抱きながらバレンタインと言う戦いが始まろうとしていた。
◇ ◇ ◇
一華のバレンタイン。
この日の為に何度も練習して来た。五花の力も借りて、ようやく満足のいくチョコを作ることが出来た。
あとは渡すだけ。なのに、その渡すことが出来ない。自信がないわけじゃないが、いざ渡そうとすると緊張してしまう。
学校に着き、みんながそれぞれの教室へと向かい、バラバラになっていく。ここしか無い。放課後までこのままで居られる自信がない。朝のうちに渡してしまおう。自分の教室へと向かう真の腕を捕まえる。
「?一華どうしたんだ?」
「ええっと…その、ちょっと自販機でジュースでも買わないっすか?朝礼までまだ時間あるし……」
真は時間を確認する。朝礼まであと20分程ある。真は私の誘いに乗り、一緒に自販機が置いてある中庭へと向かう。
中庭に幸い他の生徒はいなかった。2人だけの時間が流れる。
自販機で、私が先に自販機でジュースを買う。
「ま、真は何飲むんすか?」
「うーん…何にしようかな。一華と同じにしようかな?」
「へぇっ!?」
ガシャン。自販機から缶ジュースが落ちる。
ただ、真と同じものを買うと言っただけなのにその言葉に体が反応してしまう。
適当に選んだから?それとも私と同じが良かった?
自販機からジュースを取り出し、真と入れ替わる。真は本当に私と同じジュースのボタンを押す。なんだか、私だけあたふたしているのが気になった。
私だけこんなにドキドキしてるのに、本人は普通にしてる。私が今日という日をどれだけ待ち望んでいたかは、彼には関係ない。
真は私のことをどう思っているんだろう。私は彼の目に留まるような女性なのだろうか。
………いや、違う。
たとえ、真の眼中になかったとしても、私を意識させればいい。私はアイドルだ。ファンの心を射止めるのと変わらない。いつまでも真に気持ちを伝えないのは、私じゃない。
ジュースを取り出そうと、しゃがむ真に後ろから声をかける。
「真……こっち…向いて?」
「ん?」
真は振り返り、私を見上げる。私は両手を突き出し、リボンでラッピングされた小さな箱を真に渡す。
「こ、これ!私の気持ち。その……いつもお世話になってるし…。本命かどうかは…言わなくてもわかるよね?」
「う、うん。……あ、ありがとう」
真は私の気持ちを受け取り、顔を紅く染める。その反応を見て、私も体の内側から熱くなる。そして、嬉しい、そう感じた。
朝の中庭は静かだった。そこに2人の鼓動が響き渡る。