第4話 二つの努力の形
7月7日 日曜日。玄関のドアを開けると、容赦なく差し込む日差しで視界が白ける。それと同時に、サウナに入った時のような熱気が体を包み込む。ここ1週間で夏らしい気温になってきた。
明日から期末試験。最後の追い込みのために皆んなで図書館に集まることになっていた。
電車に乗って図書館に行くまで、たった10分の道のりなのに滝のように汗が出てくる。自動ドアが開くと同時に中から冷房で冷やされた空気が外の熱を冷ましてくれる。
「あ、先輩!こっちでーす!」
「皆んな揃ってますよ。それにしても凄い汗ですね?」
「ああ。少し外に出ただけでびしゃびしゃだ。」
それぞれのワークや教科書が広げられたテーブルを見るとこの1週間皆んながどれだけ真剣に取り組んできたのかが伝わってくる。蛍光ペンで引かれた教科書。びっしりと貼られている色とりどりの付箋。それを見るだけで明日の試験は大丈夫な気がした。
「…真、この問題がわからな…」
「ああ。その問題か。そこは応用だからこの公式を」
「待って。…真、汗かき過ぎ。これ使って」
そう言うと、三和が汗拭きシート、タオル、冷却スプレーを渡してきた。
「え?やっぱ臭い?」
「…違う。真はいい匂い。…このままだと風邪引いちゃう。汗の処理を侮っちゃダメ。」
「お、おう。確かにそうだな。ありがたく使わせてもらうよ。」
「…うん。」
真は、三和からもらったグッズを使って汗を処理する。それを少し微笑みながら待っている三和。そんな不思議な光景を一華と五花はヒソヒソと話しながら眺める。
「なんで三和はあんなにマコトっちとの距離が近いんだろう。」
「さ、さあ。なんかこの前の勉強会からおかしいっすよね。」
確かに、三和が1番勉強が苦手だった。頭の良い真が重点的に教えるのは効率的ではある。しかし、明らかに距離が近い。あの勉強会の後から急に。学校でも2人が話すところをよく見る。何かあったのだろうか。そう考えながら一華と五花は2人の仲良く勉強する姿を観察する。
「…そういうことね。ありがとう、真」
「ああ。それにしてもこの1週間で本当に成長したな。基礎問題はほぼ完璧。応用も正答率が上がってる。1番勉強が出来なかったなんて嘘みたいだ。凄いよ。」
「…そ、そんな事ないよ!真の教え方が上手いんだよ。そ、その…ほ、ほめ、てくれるし……」
「ん?最後の方なんて言ったんだ?」
「な、なんでもないよ!///」
「真。三和ばかり教えていますけど、自分の勉強は大丈夫なのですか?」
2人の関係を切り裂くように四羽が疑問は投げつける。真は、三和に向いていた優しい視線から鋭く威嚇する目線に変わり、その目線をテーブルの向かい側にいる四羽に向ける。それに対して四羽はペンを動かしながら淡々と話を続ける。
「そんなに余裕があるのですね。教えてばかりの勉強で1位の座を守れるんですか?今回ばかりは危ういんじゃないんですか?」
「大丈夫だ。僕は勉強した事を噛み砕いて教えている。教える事が復習になっているんだ。教えながら、自分の理解度も高められる。そんな事より、四羽はずっと1人で勉強しているな?教えてやろうか?」
「いいえ、結構です。他人に教えて勉強した気になっている人に教わることはありませんから。」
「あはは。言ってくれるじゃないか。」
「うふふふ。貴方こそ。」
その場が凍りつき、目に見えない激戦がそこでは繰り広げられていた。2人からメラメラとオーラのようなものが溢れ出し、視線が火花を散らす。そんな2人の戦いを鎮めようと4人が話題を変える。
「お、落ち着いて!あ!そうだ!テストが終わったら皆んなで遊園地に行きましょうよ!」
「そ、そうっすね!良いアイディアっす!」
「…う、うん!…ほら、真、楽しみだね?」
「ほ、ほら!四羽も行きたいでしょ?今は落ち着いて?ね?」
その後も2人の関係は元には戻らなかった。いや、元々あまり2人の仲は良く無かった。その関係がもっと悪くなったっと表現する方が正しい。出会い方が悪かった事もあり、2人の距離は中々縮まらないでいた。図書館を出て解散する時まで2人は一言も話すことはなかった。
○ ○ ○
7月8日。テスト当日。四羽はテストを解き終わり、見直しも完璧にしていた。テスト終了まで残り5分。もう一回見直しをしようとも思ったが、不意に昨日の事を思い出してしまった。
彼とは喧嘩別れのようになってしまった。少し罪悪感もある。しかし、心の奥では彼を認めたく無い気持ちがある。
私が百花学園に入学した時、私は入試を1位の成績で通過。先生も、親も、中学の友達も、4人の幼馴染からも祝福と羨望の眼差しを向けられた。それが当たり前だったし、自分の原動力になっていた。 でも、高校で初めての中間テスト。結果を廊下に貼り出された時に私は愕然とした。入試では1番だったのに、テストでは2位に落ちていた。1位は…門川真?知らない名前。とても悔しかった。だから、今までの倍勉強した。私の得意な物で負けたのが許せなかった。でも、結果は毎回同じ。1年間彼に勝つことは出来なかった。
そんな彼は、学校でゲームをしていた。その上、私の許嫁候補だと言う。敵うことの無かった敵が許嫁なんて認めたく無かった。出会いは最悪だった私達と親しくなり、なんでも乗り越えていこうとするのが気に入らなかった。ただ。ただ、それだけの理由で。
○ ○ ○
7月12日。金曜日。テストの結果発表の日だ。百花学園は答案が返された後に、廊下に全生徒の合計点数の順位が貼り出される。正面玄関の少し奥にある掲示板に沢山の生徒が集まる。
「あ、マコトっち!もう来てたんだね。聞いて聞いて!今回は赤点一個もなかったんだよ!私史上最高得点だよ!」
「本当か!?良かったな!」
「私も前回よりも良かったっす。今回は難しかったけど、二奈のおかげでなんとかなったっす。」
「2人ともおめでとう。努力した結果が現れたな。二奈は学年が違うけど、まぁあいつは大丈夫だろ。」
さぁ、あとは三和だけ。あの勉強会から三和は変わった。苦手なことにも自ら挑戦していった。1番近くで見届けたからわかる。あいつなら大丈夫だ。
「…ま、真!」
「み、三和!結果はどうだった?」
俺たちを見つけて走って来たらしく、息が上がっている。整えてから、三和は僕の正面に立って結果を伝える。緊張した顔から、ニコッと達成感に満ちた笑顔に変わる。目尻に少しの涙を浮かべながら答案を見せてくれる。
「…赤点回避。それも、全教科で自己最高点。何から何まで真のおかげだよ。…本当に、ほんとありがとう!真!」
「前から30点も上がってるっす!凄いっすよ!」
「わぁー!やったね!三和ー!」
五花が三和に抱きつく。頬擦りをされている三和の表情は輝いていた。
「僕が教えただけじゃない。三和が自分から成長していったからだ。こんなに上がるなんて本当に凄いよ。よかったな。」
真の笑顔と言葉に、あの時感じた暖かい感覚をもう一度感じる。ああ、ごめんね。一華の言葉よりも、五花が抱きついてくれた事よりも私は、彼の言葉が1番嬉しいんだ。
「お!結果が来たぞ!」
誰がそう叫び、周りはより一層騒がしくなる。教員が人混みを掻き分けながら掲示板に結果を貼り出した。生徒たちが一斉に前に押し寄せると同時に喜びの声。悲しみの声。色々な声が聞こえてくる。
その中から僕は最初から1番上の名前だけ見る。結果表の1番上の名前は
2年生 中間テスト結果表
1位 門川真 合計点数 498点
2位 蘭 四羽 合計点数 497点
・
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「真は…え!?やっぱ凄いっすね!」
「マコトっちって同じ人間?なんかもう、宇宙人なんじゃ…?」
「…私を教えながらこの点数。やっぱり真の方が凄いよ。」
いつもだったら、結果に喜び、安堵しているだろうが、今回は違う。この場にいないアイツの事が気になって仕方がない。
「…あれ?真?嬉しくないの?」
「いや、まぁ。それよりも気になる事があってな。」
「あ、皆んな!ここに居たんだ!」
「二奈!結果どうだった?」
「私はいつも通り1位でしたよ?お姉ちゃんとは違いますからね!」
「…一言余計っすよ?二奈。」
「二奈。四羽は見なかったか?」
「え?ああ、さっきすれ違いましたけど。確か、特別棟の方に行ってましたよ?」
「ありがとう!皆んな放課後空いてるか?」
特別棟の一階にある図書室。その扉を開けると、電気が消えていて、日光だけが差し込む部屋の中に1人の涙を啜る音が響いていた。
一番端の席で顔を両手で隠して泣いてる四羽がいた。机の上にはクシャッと握りしめられた跡がある答案用紙があった。
「なぁ。四羽。」
「なんですか!馬鹿にしに来たんですか!?」
「違う。僕は」
「なんでっ!!!!」
四羽が机に両手を叩きつける。2人しかいない図書室に叩いた音と彼女の悲痛な叫びが響く。
「なんでいつも…いつも、いつも!私はずっと努力してた!誰よりも勉強してた!誰よりも真面目にやってきた!なのに、貴方は1位を守りきるだけではなく、他の人にも教える余裕を見せた。何故ですか。何故貴方にはそんな余裕があるのですか。私の何がいけなかったんですか………」
四羽は傾きながらぐちゃぐちゃの気持ちを吐き出した。図書室に静けさが戻り、また彼女の泣き声だけが聞こえる。他人の報われない事への怒り、悔しさは誰も理解できない。してはいけない。その人の積み上げた物を他人が口を出してはいけない。それでも…
「数学の問9。」
「……え?」
机の上に置かれた彼女の答案を手に取って彼女に声をかける。
「『nが奇数である事を証明しない。』この証明問題は俺が唯一解けなかった問題だ。でも、四羽は正解してる。昨日の図書館で口喧嘩した時に開いてたページの問題だったな。」
「………」
「でも、問2の図形の問題は間違えている。ここは昨日俺が三和に教えたところだ。この問題は、三和がバレーボールに例えて解くとイメージしやすいって教えてくれたんだ。」
「何が言いたいんですか?」
「四羽が1人でこの点数を取ったのは凄いと思う。でも、昨日も言ったように他人に教える事で自分が教わる事もある。」
「そ、それは…」
「入試。1位だったよな?」
「え?」
急に話が変わり、四羽はようやく顔を上げた。目元が赤く腫れて涙で頬が濡れている。彼女からしたら他人にとても見せられる顔じゃ無かった。それでも、彼の話を。彼の顔を見てみたかった。
「あの時、凄く悔しかった。だから、ずっとそれまで自習室に1人で籠ってたのをやめて、友達とか先生に縋り付くように教えてもらったんだ。」
彼の顔は少し赤くなっていた。恥ずかしいんだ。ずっと完璧だと思ってた。彼にも私と同じような時があったんだ。
「そこから勉強は誰かとやるようになった。でも、確かに四羽の言うとおり俺は教えることに夢中になって一問取りこぼした。…だ、だから……」
「な、なんですか。」
「俺が、わ、わからなかったところ。教えて…くれよ…。」
「………ふふっ。」
「!わ、笑うな!」
彼が嫌いなんじゃない。自分より強く、手が届かない自分が嫌いなんだ。でも、そんな私に彼は一緒にやろうと言ってくれた。これが彼の強みなんだ。私の方ない理由。上部だけのプライドは捨てて上を目指すことの方がいい。そんな簡単な事を教えてくれた。
「…そうですね。一緒に復習しましょうか。」
「ああ。じゃあ早速ここなんだが………。」
電気の消されている図書室。さっきまで啜り泣く声だけが響いていた。今は、2人の助け合う声が部屋の片隅から聞こえてくる。