第25話 戦意喪失
10月7日。明日は選挙当日。放課後、図書室に集まって準備をする。2人の目にはくまが染み付いており、顔はやつれている。
「ここの部分はどうでしょう?」
「いや、これよりもあれの方が…」
「2人とも凄いっすね」
「…うん。明日が本番だしね」
机の上に広げられたノートには、明日の最終演説の内容がびっしりと書かれていた。何度も消しゴムで消した跡、滲んだマーカーが2人の努力を物語っている。
「…にしても、あのスピーチはびっくりしたよね。」
「そうっすね。急に告白しちゃうっすもんね。そのお陰で、応援してくれる人も増えたっすけど」
あの後、四羽を応援する人が劇的に増えた。特に、女子からの応援の声が多く、選挙活動は順調に進めることができた。
しかし、それでも白猫は強い。そして白猫を支える南条も無視できない相手だ。選挙活動も白猫を支持する声が多い。
やはり、白猫の積み上げて来た人望は彼女の最大の武器だ。南条もその頭の良さと、圧倒的な安心感がある。四羽がそれに対抗出来るようにしなければ…。
「よし、これで何とかなるだろう。あとは明日の投票次第だ」
「付き合ってくれてありがとう。真の方は大丈夫?ずっと私のことを手伝ってくれてるけど」
「心配するな。じゃあ、僕は予定があるから先に帰るよ。また明日な」
「はい。お疲れ様です」
「…真、じゃあね」
「明日は応援してるっす!」
図書室を出た後、僕は下駄箱ではなく生徒会室に向かった。
生徒会室に入ると、会長が座ることのできる黒革の椅子に、腰掛ける玄江先輩が待っていた。僕が昨日メールで呼び出したのだった。
夕陽が差し込み、重々しい雰囲気に包まれた中、昨日のメールの事について玄江先輩が話し始める。
「で?あれはどう言うことかな?」
「そのままの意味ですよ。俺は貴方に助けて貰った…あの時の事は忘れません。だから今度は僕の番です」
「君はまたそんな事言って…お姉さん悲しいな〜?」
玄江先輩が椅子から立ち上がり、僕の真横に立つ。先輩の腕が僕の腕に絡みつく。体が密着し、柔らかい感触と甘い香りを同時に感じ取る。
「せ、先輩?な…何やってるんですか?」
「あれ?真くん照れてる?お姉さんでコーフンしちゃったかー!」
「そ、そんなんじゃ!」
「…君は変わったね。あの頃の君は興奮どころか、俯いて誰とも目を合わせようとしなかった…」
一年前、桜が舞い散る入学式。そこで先輩と出会った。あの頃の僕を変えてくれたのは玄江先輩だった。僕の事を必死に生徒会へと誘ってくれた事が本当に嬉しかった。
腕に絡みつき、僕の事を無理やり生徒会室に連れてこられてから一年が経った。
「……もう、考えは変わらないのかい?」
「ええ。俺は…生徒会長を辞退します」
○ ○ ○
9月30日。スピーチの計画を立てるために、四羽の家へと訪れていた。
先程から四羽の反応がおかしい。ずっと無言だし顔が赤い。
「な、なぁ四羽」
「へぇっ!?な、なんですか?真」
「い、いや…大丈夫か?体調でも悪いんじゃないのか?ずっと変…」
「そんな事ないです…!さ、さあ!上がってください!」
四羽の反応は、おかしいまま四羽の部屋へと案内される。
部屋の中には、猫のぬいぐるみがびっしりと置かれており、部屋がピンク一色に染まっていた。
「あ、あの!…私の部屋って…変、ですか?」
「もしかして…さっきから反応がおかしかったのって…この部屋のこと?」
四羽は真っ赤な顔で、こくっと小さく頷く。その姿が小さな猫のようで思わず笑ってしまう。
「くっ…あははは!」
「な!?笑わないでください!男の人を呼ぶのは初めてだし……こんなぬいぐるみばっかりで、おかしいかもって、思うじゃないですか!」
僕の肩をポコポコと殴りながら必死に訴える姿が、余計に子猫のように思える。
2人で今後の予定を話し合う。さっきまでの暗い雰囲気は消えていた。何の根拠もないが、この先の活動の前途は洋々たるものがあった。
「そう言えば、白猫さんはどう言った人なのですか?一年間、共に仕事している真ならわかるんじゃないですか?」
四羽に聞かれて、白猫の事を思い浮かべる。
「白猫は…頭が良くて、絵に描いたようなお嬢様だ。普段は優しい顔をしておきながら、意外と腹黒い事を考えてたりするな」
「あ〜…それは少し私も感じたかも…」
「でも」
頭の中で振り返ると彼女の姿が思い浮かぶ。その彼女の周りには…多くの仲間が居た。僕には無い、自分自身で築き上げた信頼が。
「でも、あいつは圧倒的な人望がある。僕以上の人望が…」
「そうなんだ。凄い人なんだね…。敵だけど、なんだか私は尊敬しちゃうな…」
四羽の表情は穏やかで、あんな事をされてもなお、彼女を尊敬している。
放課後の部屋の中には、白い虎すらも愛せる猫が居た。
10月4日。生徒会室に忘れ物をしたことに気づき、昼休みに取りに向かうと、そこには白猫と南条が居た。扉越しに、何か話している声が聞こえて来たので、出直そうとすると、聞こえてはいけない会話が聞こえて来た。
「紅葉、大丈夫ですよ。自分を信じてください」
「もう無理よ!皆んなの期待に応えなきゃいけない!こんな重圧にもう耐えられない!」
聞こえて来たのは、白猫の悲痛な叫びだった。人望がある。それは、一人になれないと言う裏返しだ。皆んなの応援が、その人にとってはプレッシャーになってしまう。
「頑張って」と言う言葉は励ましだ。しかし、受け取る人、その時の考え方で意味が変わってしまう。「もっと努力しろ」と言う意味に感じてしまう事もある。
白猫は南条の胸の中で泣いていた。顔を埋めている間、南条は決して頭を撫でたり、抱き返したりはしない。南条はその行為が励ましにならない事を知っている。ただ、白猫を受け止める。
「…雀、私はもう………」
「紅葉、大丈夫です。私が居ます」
人望がある彼女だからこそ、想像を絶する重圧がかかっているはずだ。
そして、そんな彼女を僕は助けたいと思ってしまった。
○ ○ ○
「それが真くんが生徒会長を辞める理由?」
「はい。彼女なら安心出来ます」
「本当に?そう思い込んでるんじゃなくて?それに、君は「門川」だよ?」
先輩の言葉が耳に残る。確かに、家は生徒会長じゃなくなったことを許さないだろう。しかし、僕は彼女と同じプレッシャーを知っている。見てしまったら無視は出来ない。
「家は関係ありません。俺が決めたことです」
「…そうだね。ごめん。少し意地悪な質問をしたよ…わかったよ、君は止まらないんでしょ?」
「すみません」
生徒会室のドアノブを捻る。背中に重く、冷たいものが乗りかかる。これを後悔と言うのだろう。
先輩が後ろでどんな顔をしているかわからない。
でも、僕は振り向かずに部屋を出る。