第10話 修行するならリゾート地
7月21日。日曜日の夜。普段なら会話もしない、顔も合わせないだろう。だか、僕は心に決めている。もう逃げない。彼女達がその勇気をくれた。
父の書斎。前に入ったのは何年前だろうか。まだ、母がいてくれた頃だろうか。ドアをノックし部屋の中に入る。
「どうしたんだ。お前からなんて珍しいな。」
「まぁな。なぁ、お願いがあるだ。これからの、門川家を背負うかどうかの重要な話だ。」
「…。そうか、わかった話してみなさい。」
こうして父にお願い事をするのも初めてだった。ぎこちない家が嫌いだ。しかし、そう言ってもう逃げるのはもう良い。やっとそう思えたんだ。
○ ○ ○
7月22日。1学期が終わり、明日から夏休みに入る。先生の話を聞き流し、肘をついて外の景色を見る。教室の窓からは、白い壁のような雲。青々しく生い茂った木々。遠くの方には陽炎が見える。ここから長い夏休みが始まる。
放課後になり、僕は最寄りの駅近くにあるカフェに訪れた。四羽と1番最初に出会った場所だ。
「あ!マコトっち来たよ!こっちこっち!」
「なんだか久しぶりっすね。皆んなでこうして集まるのは、遊園地ぶりっすかね?」
「…うん。最近は予定合わなかったもんね。」
「まぁ座ってください。真は何を飲みますか?」
「じゃあ、アイスコーヒーをくれ。」
放課後に集まり、たわいもない話で盛り上がる。最近は集まらなかったこともあり、いつもより話が弾む。まさに青春っぽい放課後。他のことは忘れてつい、話し過ぎてしまう。
「あ!そう言えば、明日から夏休みだよ!皆んなでどこか行こうよ!海とか、キャンプもいいね。プールに花火大会も!」
「良いですね。来年からは私達は、受験になってしまいますからね。」
「うん!私も皆んなと遊びたい。先輩はどうですか?」
「その事なんだけど…すまん。夏休みのほとんどは、祖父の家の手伝いがあるんだ。だから、遊ぶ予定は5人で…。」
「………ごめん、私も。バレー部の合宿が今年はあるんだ。なんでも、施設が整ってて、練習するのにぴったしの宿泊施設を見つけたとか。…だから、私はいけない。」
「その〜…私もパスするっす。夏休みは予定入っちゃって…。」
「えぇ?お姉ちゃんなんの予定?私も知らない予定なんであったの?」
「い、いやー私にも予定の一つや二つあるっすよ!」
「そっかぁ〜。じゃあ、二奈と四羽と何処か行くかぁ。」
『『え??』』
夏休みは皆んな予定があり、集まる約束はなかった。少し寂しい気もするが、これは自分で決めたことだ。さっき頼んだコーヒーを口に含む。いつもより少しだけ苦く感じた。
「じゃあまた今度。まぁ定期的に連絡はするよ。」
「…うん。私も合宿先から連絡するね。」
「私も連絡するね!マコトっち!元気でね!!」
「いや、二度と会えないわけじゃ無いよ?」
「それじゃ私達はこっちっすから。また今度っす皆んな。」
「先輩もお元気で。それじゃあ。」
「ああ。またな。」
一華、二奈と別れた後、皆んなそれぞれの帰路についた。来週からは、祖父の家へ行く。それは、僕が門川家を正式に継ぐ準備をする事を意味する。
夕焼けに照らされた帰り道を、僕は目をしかめながら歩いて行く。
○ ○ ○
7月29日。僕は祖父の経営するリゾート施設に来ていた。海に面していて、宿泊施設だけでなく、プールやキャンプ場、温泉施設。部活動などの団体が使う合宿用の宿舎に体育館。ショッピングモールまでが揃った巨大リゾート施設だ。
ここに来たのは、祖父の元で経営を学ぶ為だ。門川家は不動産業界で常にトップの座を維持してきた。それを継ぐとなれば、当然厳しい修行を行わなければならない。前の僕だったら逃げ出していただろうな。でも、過去の僕とは違う。自分の家と、5人に向き合うと決めたんだ。
「おお、真。ついに来たか。待っていたぞ。」
出迎えてくれたのは、僕の祖父。門川頼茂。バブル期に門川家を不動のものにした事は、僕も尊敬している。歳をとっても、子供の頃から物静かで見守ってくれる憧れの人だ。
「今日からよろしくお願いします。」
「ああ。門川を継ぐからには、たとえ孫でも容赦はしない。そこで、お前に課題をやる。この課題を合格すればお前を認めよう。」
「その内容は?」
「コホンッ。このリゾート施設の売り上げを2週間で3倍にしなさい。それが課題だ。」
「さ、3倍!?」
課された課題は予想よりも、遥かに過酷なものだった。だった2週間で収益を3倍。本当にそんな事が可能なのか?僕の不安を感じ取った祖父がニヤリと笑い詳細を話す。
「安心しなさい。部活の団体は既に来ているし、アイドルグループのライブも予定している。今は夏休み、ここを予約してくれている常連のお客様もいる。じゃが、それでも3倍には程遠い。お前の学んできたものを全て駆使して課題を乗り越えてみせるのじゃ。」
「………わかった、やるよ。絶対に2週間後には収益3倍にしてみせる!そして、お爺ちゃんを認めさせる!」
「なんであんな啖呵きったんだー?僕。」
祖父に案内された自室は、窓の外には海が広がっており、プールやキャンプ場、体育館などの施設を全て見渡せる。旅行できていたら、どれだけ良いことか。明日から、この窓から見える施設を全て経営する事になっている。本当に出来るのだろうか。窓を見るのも億劫になって、ベッドに突っ伏す。
しかし、時間は待ってくれない。明日からこのリゾート施設を僕が運営する。挨拶くらいは行っておかなければ。ベッドに沈んだ重い体を起こし、部屋から出る。
ホテルのオーナー、レストランの料理長にプールの管理人。挨拶巡りをした事で気づいた事がある。やはり、門川の名は大きい。祖父が広めて、父がその後をしっかりと受け継いでいる。それに、協力してくれる人達がいる。こうして見ると、改めて祖父と父の偉大さを知る。
「明日から『門川リゾート』の運営を任される事になった門川真です。短い間ですが、よろしくお願いいたします。ご不明な点などがありましたら、お気軽に呼んでください。」
「はい。ご丁寧にありがとうございます。ステージと練習場だけでも十分でしたのに、宿泊もさせて頂けるなんて。本当にありがとうございます。」
僕は、アイドルグループのマネージャーの元に挨拶に来ていた。プールにあるステージでライブをする事になっていて、その準備をする為に練習場所を設けたのだとか。廊下でマネージャーと話していると、レンタルスタジオのドアから美しい歌声が聴こえてきた。
「あ!もし良かったら、うちの子見ていきませんか?可愛いですよ。まだ駆け出しですけど、全員ダイヤの原石なんです!ライブの様子も確認していただきたいですし。どうでしょう?」
「じゃ、じゃあお願いします。」
半ば強制的だったが、ライブの様子を確認しておくのも必要な事だ。マネージャーと共にスタジオの中に入る。ダンスと歌声が止まり、マネージャーの元に集まってきたのは、10人組のアイドル。名前は『Love Princess』と言うらしく、まだ知名度がある訳ではないが、確かに全員美人でかわいい……。
その中の1人と目が合う。彼女もこちらに気がついて、顔を真っ赤にさせる。
「こちらの方は、今回のライブのサポートをして下さる門川さんです。皆んなしっかり挨拶して!」
「よろしくお願いします!」
「よし、じゃあ自己紹介した後にダンス見てもらうから。一華から、自己紹介してって。」
「………Love Princessの、セ、センターやってます。か、か…かわいい歌姫担当、佐倉一華で〜す!………よろしくお願いします…。」
そこには、僕の許嫁候補の小悪魔担当、佐倉一華さんが居た。
僕の修行は、まだ始まったばかり。だけど、既に失敗する気がしてならない。