誠也さんの真実③
場面が変わって、玄関で私が見送るシーンになっていた。
行ってらっしゃいのキスをせがんで、誠也さんがおでこにキスして行ってしまったあの日だ。
誠也さんは子供をなだめるように私の頭を撫でて行ってしまった。
そのままガレージまで無表情のまま歩いている。
そして車に乗り込むと、緊張が解けたようにハンドルに突っ伏した。
「び、びっくりした。まさか香百合さんがあんな事を言うなんて」
そして、よくここまで持ち堪えたと褒めてあげたいぐらい赤面している。
「危うく竜司くんとの約束を忘れるところだった。危なかった」
頭を抱えて必死で平常心に戻ろうとしている。
「十才も年下の子に何動揺してるんだ。大体キスの一つや二つで、中学生じゃあるまいし。余裕でかわせると思っていたのに、どうなったんだ、僕は!」
自分に喝をいれて、ようやくエンジンをかけて仕事に向かった。
その後も私が積極的な行動をするたびに、無表情で切り抜けたかと思うと、自室に入ってから動揺しまくっている誠也さんの映像が続く。
「なんなの、これ……。こんなこと知らない……」
次々浮かぶ本当の誠也さんに、涙が溢れる。
そして観覧車のシーン。
誠也さんはキスこそ竜司さんとの約束を守っておでこにしたものの、彼の思考に浮かぶ抱擁は、決して義理ではなかった。精一杯の愛情で私を抱き締めている。
あの時の私は同情だとしか思えなかったのに。
だから誠也さんのために言ったのに。
――私を愛そうなんて思わなくていい――
私の告げたその言葉だけが誠也さんの思考を支配していた。
「やっぱり香百合さんは竜司くんを忘れられないみたいだ」
誠也さんは以前一緒にモーニングを食べに行った喫茶店にいた。
カウンター席でお酒を飲んで、かなり出来上がっている。
たぶん接待で遅くなると言っていた日だ。
「誠也、俺の店はバーじゃないんだぞ。酔っ払いは他の店に行ってくれ」
「もう客なんかいないじゃないか。今日は店じまいだ」
「お前に指図されたくないよ。それにしても珍しくへこんでるな。彼女が元婚約者を好きなのは承知の上の結婚だったんじゃないのか?」
「そうだとも。全部承知で結婚したんだ、それがどうした!」
マスターにからんでいる。
「だから最初から、そんな結婚やめとけって言っただろ。言わんこっちゃない」
「分かったようなこと言うな! 俺は彼女を幸せにしたいと思ったんだ」
「でももう彼女じゃなくてもいいんだろ? お前の母親は彼女を殺そうとなんてしてなかった。だから彼女にこだわる必要なんてない。彼女もそう言いたかったんだよ」
「そうさ。彼女でなくていいんだ。だから彼女を竜司くんに返せばいいんだ」
「分かってるじゃないか。今からでも遅くないから、そうしたらいい」
「……。料理が美味いんだ」
「は?」
「香百合さんの作る料理が美味い」
「なんだよ。こだわってんのはそこかよ。だったら俺が美味い料理作ってやるって。朝も晩も食べに来ればいい。お前専用に家庭料理を作ってやるから」
「彼女が家にいるだけで、あの暗くて辛気臭い場所が温かいんだ。朝、味噌汁の香りで目を覚ます幸せなんて……僕は想像したこともなかった」
「まあ、お前の母親は朝からチーズケーキばっかり焼いてたからな。それはそれで羨ましかったけどな」
「羨ましいもんか。ごはんもおかずも全部甘いんだぞ。おかげで僕は甘いものが苦手になった。香百合さんのチーズケーキは食べたいと思うのに」
「じゃあこうしよう。俺が朝からお前の家に行って味噌汁の香りで目覚めさせてやるよ。それでいいだろ?」
「朝目覚めて、キッチンにお前が立ってても全然嬉しくない」
「お前、ぜいたく言ってんじゃないぞ。……ったく。もう知るか!」
マスターは慰め疲れたのか、投げやりに言い捨てた。
「バチが当たったんだな」
「バチ?」
マスターは酔い醒ましの水を差し出しながら首を傾げた。
「母親を殺しておきながら、幸せになろうなんて思ったから」
「お前……まだそんなこと言ってんのか? お前のせいじゃないだろ? お前の母親は病気だったんだよ。お前は何も悪くない」
「いや、僕には分かるんだ。母さんは今も僕を憎んでいる。時々夢に出てきて言うんだ。『誠ちゃんに見捨てられたから私は自殺したの。本当はまだ死にたくなかった。ねえ、助けて誠ちゃん。早く私のところに来て』って」
「それはお前の罪悪感が見せてるだけだよ」
「証明できるのか? 母さんのことなんて何も知らないくせに」
「そんな風に言われたら反論しようもない。どうすればお前を救えるんだよ」
「僕を救えるのは……香百合さんだけだ……」
「じゃあ土下座でもして竜司くんのことは忘れて自分だけを見てくれとでも頼んでみるんだな」
「そんな事を言ったら、ますます彼女を苦しめるだけだ」
「やれやれ……」
マスターは万策尽きたように頭を振った。
しばらく黙り込んでちびちび飲んでいた誠也さんは、ようやく正解を見つけたように呟いた。
「彼女を解放するよ。竜司くんが言うように。彼女が望むままに」
「それで……いいのか?」
「きっとこれが母さんの復讐だったんだ。やっと分かった」
「復讐?」
「何の希望もないあの家も僕の心も、この一ヶ月、まるで一つ一つろうそくを灯すようにじわじわと明るく温かくなっていった。彼女となら幸せになれるのだと、何の望みも持たなかったはずの僕がいつの間にか願っていた。僕に希望を持たせて根こそぎ奪う。それが母さんの僕への復讐なんだ」
「お前……」
気付けばぼろぼろになって泣いている誠也さんにマスターは言葉を失っていた。




