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婚姻届を出す朝に(離婚届シリーズ第二弾)  作者: 夢見るライオン


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最後の日①

 翌朝、私はいつも通り朝食を作ってお弁当も用意した。


 誠也さんは変わらない私の様子に少し面食らったようだった。


「おはよう……ございます」


 誠也さんは戸惑いながらも食卓についた。

 ゆうべのうちに荷物をまとめて出て行くと思っていたのかもしれない。


「おはようございます。今日は和定食です。ゆうべ飲んで遅くなったので体に優しい焼きサバと旬菜しゅんさいのおひたしと味噌汁にしました」


 誠也さんはうなずいて「いただきます」と少し申し訳ないような表情のまま、食べ始めた。

 いつもよりぎこちないものの、美味しそうに目を細めている。


「誠也さんにお願いがあるんです」


 私が言うと覚悟していたようにはしを置いて、神妙しんみょうな顔で聞く体勢になった。


「三日後の結婚式の写真は予定通り撮りたいのです」

「結婚式の写真?」


 誠也さんはてっきり家を出て行く話だと思っていたらしく、拍子抜けしたように聞き返した。


「はい。母に写真を撮ると話しました。そして撮ったら渡すと。だから予定通り撮って渡したいんです。そしてそれまでは今まで通りここで暮らしたいんです」


「僕は……もちろん構いませんが……香百合さんはそれでいいのですか?」

「はい。今まで通り……どうかこのまま……」


「……」


 誠也さんは突然銀縁メガネをくいっと上げて仕事口調になった。


「離婚届は僕が用意しておきます。香百合さんの好きな時に出して下さい。戸田工務店との合併は予定通りですので安心して下さい。そして慰謝料として香百合さんに預けていたお金を好きなように引き出して下さい。全部出してもらっても構いません」


「え? でもあれは誠也さんのほぼ全財産なんじゃ……」


「僕には必要のないお金です。この一ヶ月毎日美味しいご飯を用意してくれて家事全般も完璧にやってくれました。とても心地よい日々でした。だからその対価だと思ってくれて構いません。遠慮なく持っていって下さい」


「心地よい……日々でしたか?」


 そんな風に思ってくれたのかと、涙が溢れそうになる。


「もちろんです。前にも言いましたが家に帰るのが楽しみだったことなんて……初めてでした。夢のような日々でした」


「良かった……」


 その言葉を聞けただけで充分だ。


 最初は誠也さんにこう言ってもらえることを目標にしていた。

 途中から欲張ってしまったが、及第点きゅうだいてんだったと満足しよう。


 私たちは残りの三日間を今まで通り、穏やかに優しく過ごした。



 そしていよいよ最後の日が来た。



「新婦様の準備が整いました。どうぞこちらへ」


 ようやく撮影に入ったのは夕方の六時を過ぎてからだった。

 前の人たちの撮影が押して、予定より大幅に遅れていた。


 私は命の終わりがいつ来るかも分からないままヒヤヒヤしていた。


(どうかもう少しだけ時間を下さい。撮影が終わるまでだけでも)


 おきなたちに必死で祈り続けた。そしてなんとかここまできた。


 撮影スタジオのスタッフに連れられて、誠也さんが教会のセットに入ってくる。

 私は長いヴェールを階段の下にまで垂らし、ブーケを手に振り返った。


 細かく再現された教会のセットの中で、差し込む日差しのようなライトを浴びて立っていた。

 誠也さんはメガネをはずし、黒のタキシードを着ている。


 珍しく少し緊張した面持ちでゆっくりと歩いてきた。


 本来なら新婦が後から入ってくるところだが、撮影の手順としてセッティングに時間のかかる新婦が先に入ってドレスのすそやブーケの持ち方などを細かく指示されていた。新郎は出来上がった花嫁の構図に形良く入り込んでいく。


「ではお二人が向き合って一枚いきますね。新郎様、もう少し右に」


 さすがに神父さんはいなくて、誓いの言葉も誓いのキスもない。


「次は新郎様が新婦様のヴェールをあげて下さい。そこで一枚撮ります」


 カメラマンの要求通りにアングルを変えていく。


「指輪の交換シーンも撮りますので指輪を持ってもらえますか?」


 スタッフが預けていた指輪を仰々(ぎょうぎょう)しいトレーに乗せて差し出した。


 初日にこの指輪を渡された時、ゾッとしたのを覚えている。

 あの時は十も年上のロリコン男の呪いの指輪のように感じた。



 でも今は……。



 この指輪こそがとてもとおとい奇跡だったのだと分かる。


 私がもっとかしこくて、自殺などせずにこの現実を受け入れて生き抜いていたなら。

 これは月日を経るごとに輝きを増す尊い宝物になるはずだった。


 誠也さんが指輪を取り、私の指にそっと差し込む。

 カメラマンが最高の瞬間を逃すまいとシャッターを切る。


 私はきっと生涯最高の笑顔で誠也さんを見上げた。


「ありがとうございます」


 誠也さんは少し驚いた顔をした後、目を細めて微笑んだ。


「とても綺麗です、香百合さん」


 スタッフたちは微笑ましい表情で私達を見ている。


 きっと幸せな一組の夫婦の記念になったと思っているだろう。


 まさか誰も、これが私達の最後の瞬間だなんて知らない。



 ここから私は死の世界に旅立ち、誠也さんは元の静かな世界に帰っていく。


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― 新着の感想 ―
[一言] 自分の人生の終わりがいつかが分かってたなら、もっと時間を惜しむように1日1日を大切に生きられるかな?と思いました。 家族が介護状態、精神疾患や不治の病… これらに向き合うのはとても疲弊する…
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