人殺し①
「婚約指輪がなくなったの」
白い顔をした女性が悲しそうに告げた。肌の奥に通る血管の青さまでが透き通って見えるような白い顔。赤い口紅だけが別の生き物のように浮き上がって見える。
写真で見た亡き義母、真琴さんだった。
「沙代子さんが盗んだのよ。私には分かるの」
「バカを言うな! 彼女がどうやってこの家に入ったっていうんだ」
今より幾分白髪の少ない義父が呆れたように怒鳴っている。
「沙代子さんは毎日この家に入ってくるの。そして私の飲むカップに毒を塗りつけて帰るの。だから私はカップを使う前に念入りに洗剤で洗っているのよ」
真琴さんは真っ赤なマグカップを丁寧に布巾で拭いている。
「そんなわけないだろう。冷静になってくれ、真琴」
「私を毒殺できないと分かった彼女は、今度は婚約指輪を盗んだの。ねえ次は何を盗むかしら。それとも今度はもっと確実に私を殺そうとする気かしら」
「彼女はそんな人じゃない。なあ、真琴。やっぱり病院に行こう。ちゃんと診てもらったら良くなるから」
「嫌よ! そうやって私をこの家から追い出そうとしてるんでしょ? そして沙代子さんとこの家で暮らすつもりね。そうでしょう」
「違うよ。そんなこと思ってない。まずは病気を治そう。すべてはそれからだ」
「嘘。私なんて死ねばいいと思ってるんでしょ。あなたも私に毒を飲ませようとしてるのね。どこに毒を入れたの? お茶の中? ワインの中?」
「真琴! いいかげんにしてくれ!」
言い合う二人がいるリビングのドアが開いて、誠也さんが入ってきた。
「誠ちゃん! 聞いて! 信也さんが私を殺そうとしてるの。愛人と二人で毒を飲ませようとしてるの。お願い助けて、誠ちゃん!」
腕にすがりつく真琴さんを誠也さんは冷たい視線で見下ろした。
「離して、母さん」
「誠ちゃん。あなたは私の味方よね。私を助けてくれるでしょ?」
泣きじゃくりながら縋りつく真琴さんを、誠也さんは振り払った。
「きゃっ!」と叫んで真琴さんが床に転がる。
「悪いけど、俺はこの家を出て行くから。大学の卒業までまだ少しあるけど、卒論も出したし早めに会社の寮に入って研修させてくれるって言うから」
「そんな! あなたは信也さんの会社を継ぐんじゃなかったの? この家から出ないって約束だったじゃない。ねえ、そうでしょ? 信也さん」
「いや、それは……」
お義父さんが口ごもっている。
「母さんに言うと反対されると思ったから内緒で受けてたんだ。会社名は言わないよ。今までみたいに嗅ぎまわられて、ある事ない事言いふらされても困るから」
余程今までいろんな干渉を受けてきたんだろう。
つくづくうんざりしたように言い捨てて、誠也さんは部屋を出て行った。
そして真琴さんは……。
「いやあああああ‼」
キンと頭に響くような金切り声で叫んで泣き伏した。
目覚めた私は布団を握りしめていた。
昨日お義父さんから聞いた話が、頭の中をぐるぐる巡る。
寝るたびに夢が核心に近付いていく。
私は何のためにこんな夢を見ているのだろう。
一体、翁たちは私にどうしろと言っているのだろう。
何も分からないまま、誠也さんにも何も聞けないままだった。




