誠也さんの父親①
翌日誠也さんを見送ってから家事を済ませると、私はお義父さんの暮らす離れの玄関の前に立っていた。
鍵もなにもかかってなくて、インターホンすらない。
誰でも入っていいようで、誰も入るなという意思表示のように思えた。
ごくりと唾をのみ、決心して重い鉄製のドアを開け声を張り上げる。
「お義父さんっ! 香百合です! お邪魔してもよろしいでしょうか」
精一杯の大声で叫んだつもりだが、中から返答はなかった。
これは聞こえてないのか、無視しているのかどっちだろうか。
どちらにせよ私がとる行動は一つしかない。
「お邪魔しますっ!」と叫んで中に入った。
相変わらず返事はないが「お聞きしたいことがあります!」「ご迷惑かもしれませんが失礼します」「勝手に入ってしまってすいません」と廊下を歩きながら中に聞こえるように大声で叫びながら奥へ進んだ。
そして一番奥の襖の前に座ると、もう一度中に向かって声をかけた。
「お義父さん。誠也さんの妻の香百合です。少しだけ聞きたいことがあってまいりました。長居はしませんので入ってもよろしいでしょうか」
しかしそれでもまだ中から返答はない。
もしかして中で倒れているんだろうか?
ふと嫌な予感がしてガラリと襖を乱暴に開けた。
「お義父さんっ! 大丈夫ですか?」
「……」
しかし義父は、文机の前で正座をしながらこちらに振り返っていた。
「あ、し、失礼しました。返事がないので倒れているのかと思いました」
あわてて正座し直して、頭を下げて謝った。
「何事ですか? 用がない限りここには入らないで欲しいと言いましたが」
穏やかな表情をしてはいるが、言葉には非難がこもっていた。
「すみません。少しだけ聞きたいことがあったので」
「誠也に聞いても分からないことですか?」
「誠也さんには……聞き辛いことだったので……」
「……」
お義父さんは、諦めたようにふっとため息をついて、こちらに体を向けて座り直した。
「なんでしょう。手短にお願いします」
「あの……お義母さんのことです。ある人から私とお義母さんが似ているといわれました。似ているんでしょうか?」
「似ている? あなたと真琴が?」
どうやら真琴という名前だったらしい。
「誰がそんなことを。まったく似ていませんよ」
義父は笑いながら、文机の引き出しを開けて写真を一枚取り出した。
「これが真琴の写真です」
すこし色褪せた写真には、白いワンピースの少女が映っていた。
そしてそれは……。
「この人は……」
知っている顔だった。
「バーベキューで見た幽霊……」
小学生の私に自分を殺してくれと頼んだ少女。
線が細く色も薄く、ちゃんと映っているのに、心霊写真のように見える。
それはあまりに少女が美しく、そして人形のように完璧に笑っているから?
「あなたが溺れた日、久しぶりに真琴を連れて協力会の集まりに参加しました。どんどん家に引きこもるようになった妻を、なんとか外の世界に連れ出そうと、誠也も一緒だからと無理矢理連れ出したのです」
「じゃああの日会ったのは幽霊じゃなくて……」
「あなたが幽霊と見間違えたのも仕方がないことです。彼女はどんどん心を頑なにして未知の世界に行ってしまうようでした。自分が信じるものしか信じず、周りのすべてに疑心暗鬼になって、死ぬことばかりを考えていました」
そういえば私にも、ずっと殺しに来てくれるのを待っていたのだと言っていた。
「私もあなたに聞きたいことがあったのです」
「え?」
義父は思いつめたように私を見つめていた。
「真琴はあの日、あなたを川に突き落としたのですか?」
「川に突き落とす……」
私の記憶にはもううっすらとしか残っていなかったが、先日見た夢が正夢であるなら……。
「いいえ。違います! 私は幽霊だと思って怖くなって後ずさりをしているうちに足を滑らせて落ちたんです。突き落とされたりはしていません」
ただ、落ちた私を助けてもくれなかったけれど。
でも、その私の言葉は義父の救いになったようだ。
「そうですか。それだけでも聞けて良かった。誠也にも出来たら話してあげて欲しい。誠也は今でも真琴があなたを殺そうとしたのだと思っているだろうから」
「私を殺そうと?」
まさかそれで……。
「真琴が川を覗き込んでいるのを見つけた誠也は、気になって様子を見に行きました。そしてあなたが溺れているのを見つけた。だから必死で飛び込んであなたを助けたのです。真琴を殺人者にしたくなかったから」
誠也さんはお母さんが殺そうとした私に罪の意識を持っていた?
「誠也が川に飛び込むのを見て、みんなが気付いて集まってきました。私はぼんやり突っ立っていた真琴を見てまさかと思いました。誠也と竜司くんであなたを引き上げて、どうやら命に別状がなかったと安心したところで、真琴を隠さなければと思いました。もしあなたを川に突き落としたなら立派な殺人未遂ですからね。だから誠也がびしょぬれなのを理由にそのまま家に逃げ帰ることにしました」
そういえばお母さんがお礼を言おうと思ったら、もういなかったと言っていた。
「私と誠也はそれっきりしばらく協力会には顔を出さなくなりました。もしやあなたが真琴に突き落とされたと騒いではいないかと怯えていたのです」
「いえ……私はただ幽霊がいたと……」
誰も信じてくれなかったが。
「そのようですね。私と誠也は戸田夫妻が誠也に礼を言うために家に来られて、そう話すのを聞いて心から安堵しました。真琴のことがバレなかったと。そして、真琴を人前に出すのは危険だと痛感したのです」
「人前に出すのは危険……?」
義父は視線を落として膝に置いた両拳を見つめていた。
「真琴は正気ではなかった。砂糖依存症という病気を知っていますか?」
「昨日……誠也さんに聞きました」
そしてネットで少し調べた。
砂糖と聞いて薬物だと思う人は滅多にいないだろうが、依存症になってしまうと、薬物と同じように習慣性があって食べずにいられなくなるらしい。
だが砂糖依存の症状だけでは命にかかわるような病気ではなく、過度な糖類の摂取によって糖尿病や生活習慣病になったりする合併症の方が問題らしい。そして合併症の一つとして、精神に影響が出ることがたまにあるのだと書いてあった。
「適度な糖分は脳を活性化させ、気持ちを安定させる効果もあるのですが、過剰に摂りすぎることによって、その糖値を安定させるために大量のビタミンを必要とします。その結果、体内のビタミンが多量に奪われ、精神が不安定になりうつ症状を引き起こすことがあるようです」
「うつ……」
確かに夢の中の真琴さんは少し壊れた感じがしていた。
「真琴の場合はもともと神経質なところがあって、物事にこだわりやすい性質でした。妙に潔癖だったり、好きなものには異常なほどのめりこんだり。だから精神の不安定から砂糖依存症になったのか、砂糖依存症のせいで精神が壊れ始めたのか、私にもよく分かりません。ただ、そうなるきっかけだけは分かっています」
「きっかけ?」
義父は観念したように視線を落として頷いた。
「私の浮気です」




