誠也さんの秘密①
「どういうことだよ! 国立大に行ったらダメって、そんな親がいるのか?」
食卓に書類を叩きつけて、高校生の誠也さんが怒鳴っていた。
手前に背を向けて座っているのはエプロンをつけた少女のような女性。
「だって国立大は家から通えないでしょ? もっと通えるところにいい大学がいくらでもあるじゃない。誠ちゃんがいなくなったら私どうしたらいいの?」
「知るかよ、そんなこと! 俺を一生この家に縛り付けるつもりかよっ!」
「だって誠ちゃんがいなくなるなんて耐えられない。死んだ方がマシなの」
死んだ方がマシなどと言われて、誠也さんがぎょっとして声を和らげた。
「なに言ってんだよ。親父もいるだろ?」
「信也さんは……私を捨てたの。もう私には誠ちゃんしかいないの」
高いトーンなのにジメッとして明るさを感じない声だ。
「冗談じゃない。親父の尻拭いを俺にさせるつもりか!」
誠也さんが顔を引きつらせて再び声を荒げた。
「嫌だ。そんなに怒らないで。誠ちゃんまで私を捨てるつもり?」
女性はメソメソと泣き始めた。そんな仕草も子供のようだった。
「捨てるとかそういうんじゃないだろ? 行きたい大学ぐらい行かせてくれよ」
誠也さんは困ったようになだめる。
「じゃあ国立大に行ってもいいから家から通って。お願い」
「家からって片道三時間ぐらいかかるじゃないか」
「そうじゃなきゃ嫌。何があっても阻止するから!」
「……」
誠也さんは一瞬顔を強張らせ、やがて諦めたようにため息をついた。
「分かったよ。家から通えばいいんだろ? 絶対下宿した方が安上がりだと思うけど」
「お金の問題じゃないのよ。毎日誠ちゃんに会えることが大事なの。誠ちゃんに会えないぐらいなら私は……」
「もういいよ。分かったから。じゃあ国立大の願書出すからな?」
誠也さんは母親の言葉を遮るように言って、リビングを出て行った。
◇
このところ毎日のように高校時代の誠也さんと母親の夢を見る。
そしてきっとこれは実際にあった出来事だ。
青翁の言っていたリベンジシステムのオプションというのがこの夢らしい。
誠也さんの母親がなにか重要な意味を持つようだ。
いつも聞いてみようと思うのだが、なかなか言い出せなかった。
「朝ごはんの匂いで目が覚めるというのは、なんとも言えず幸せなものですね」
誠也さんはとろろ昆布の入った味噌汁をすすりながら目を細めた。
毎食、決まったように一言だけ感想を漏らすのだが、それが絶妙に嬉しい。
生真面目な誠也さんが自分で取り決めている妻を喜ばせるマニュアルの一種なのかもしれないが、それでもやっぱり言ってもらえるのは嬉しい。
「あの……誠也さんのお母さんは、いつもどんな料理を作っていたんですか?」
まずは料理の話から聞き出すのが自然に思えた。
しかし誠也さんはピタリと箸を持つ手を止めた。
「あの……誠也さん?」
もう一度声をかけると、何もなかったかのように箸をすすめながら話し始めた。
「僕の母親は砂糖依存症という病気でした」
「さとう依存症?」
さとうってあの調味料の砂糖のことだろうか?
「最初はイライラしたり精神が不安定になったら甘いものを食べれば良くなると、どこかで聞いてきたのです。そして実際に甘いものを食べると良くなった気がした。だから辛いことがあったり苦しいことがあったりすると、甘いものを食べるようになりました」
確かに疲れた時はチョコを食べるといいなんて話は聞いたことはあるが。
「母はなんでも信じやすい人で、やがて甘いものを食べてなければ耐えられないようになってきました。イライラすると、心が安定するまで甘いものを食べ続け、体が受け付けなくなると吐く。その連続でした」
拒食症のような感じだろうか。
「僕や父にも甘いものを強要し、いらないと怒ると甘いものを食べてないからイライラするんだと更に甘いものを食べさせようとする」
それは私のモテ料理の極意の真逆だった。夫であれ子供であれ、嫌がるものを無理に食べさせるのだけは絶対NGだ。嫌いなものがあっても、それを補充する栄養素が他の食品でいくらでも取れる現代において、わざわざ克服しようと無理強いするのはナンセンスだ。
「特にチーズケーキがお気に入りで、朝も昼も晩もチーズケーキが出てくる。弁当にも半分のスペースにチーズケーキが入ってました」
それはさすがにきついかもしれない。
「それでチーズケーキが……」
「はい。匂いを嗅いだだけでも当時を思い出して吐き気がするんです」
若かりし頃の誠也さんが少し気の毒になった。
「残念です。私のチーズケーキを誠也さんに食べてもらいたかったのに」
「……」
私が残念がって言うと誠也さんは拳を口に当てて少し考え込んだ。
「僕も残念な気がしてきました」
「え?」
「妻の得意料理のチーズケーキを食べられないなんて夫失格ですね」
「いえ、失格なんて大げさな」
「いいえ。妻の得意料理を食べずして夫を名乗るわけにはいきません。今度チーズケーキを作って下さい。意地でも食べてみせます」
生真面目な顔でチーズケーキについて力説する誠也さんがちょっと可愛い。
「じゃあ……今度」
しかし今は誠也さんの嫌いなものを作っている場合ではない。
まずは好きなものを作って愛していると言わせなければならないのだ。
愛していると言わせる方法を考えてはみたものの、検討もつかなかった。
もっと色気たっぷりに迫ればいいのかとも思ったりするが、高校時代の誠也さんがあの色っぽい桃花さんを邪険にしていたのを思うと、自分に彼女を越えるクオリティの色気を出せるとも思えなかった。
だが少なくとも誠也さんは結婚相手に選ぶ程度の好意を持ってくれているのだ。
いつからか分からないが、想ってくれていたのだ。
あとはそれを言葉にしてもらうだけだ。
それほど難しいことでもないはずなのだ。私がほんの少し勇気を出せば。




