妹の真実③
翌日、香蘭は家に来た。
そして玄関に入るなり、靴を履いたまま地べたに這いつくばって土下座した。
「お姉ちゃん、ごめんなさい。お姉ちゃんが病院に運ばれた時、私はとんでもないことをしてしまったんだって初めて気付いたの。お姉ちゃんのためだなんて勝手に思い込んで、それでお姉ちゃんが死んじゃったら、もう私も生きていけないって……うう……ごめんなさい……ううう……」
泣きながら詫びる香蘭を責める気になどならなかった。
「もう、妊婦さんが何やってるの。いいから上がって」
私は香蘭の腕を掴んで立ち上がらせた。
「お腹を冷やしたらダメなんでしょ? まだ……あまり分からないわね」
痩せ型の香蘭は、見た目ではまだ妊婦に見えなかった。
それとも……あまり食べられていないのかもしれない。
「お姉ちゃん……」
何も責めようとしない私を心配そうに窺っている。
「とにかく入って。温かいお茶を出すから」
私は香蘭をリビングに入れ、三人掛けのソファに座らせた。
香蘭は広い部屋と庭の景色にキョロキョロしている。
「すごい……。やっぱり佐山建設ってお金持ちなのね」
「どうかな。竜司さんの家の方が資産はあるかもよ」
竜司さんの家は現金があるというよりは土地持ちの旧家だ。
「……」
香蘭は黙り込んでしまった。どうやら嫌みに聞こえたらしい。
「別に妬んで言ってるんじゃないのよ」
弁解する私の左手首を香蘭が凝視している。
自殺未遂で切った手首は、バンドの広い腕時計で隠すようにしている。
傷はすっかり閉じたが、傷跡は一生残るだろう。
だがその一生というのは残り二週間ないかもしれない。
だから大したことでもない。だが香蘭は気にしているようだった。
「ごめんね、お姉ちゃん。お母さんは机の角で切っただけだって言い張ってるけど、分かってるの。自殺しようとしたんでしょ?」
香蘭は唇を噛んで俯いた。
「うん。隠してもしょうがないものね。そうよ。自殺したの。あなたと……お父さんとお母さんも憎くて。みんなに復讐してやろうと思ったの」
「!」
香蘭は絶望を浮かべて顔を上げた。
「あなたと竜司さんに幸せな結婚式なんてあげさせてやらないと思ってた」
「お姉ちゃん、私は……」
「うん。健太から聞いたわ。竜司さんと結婚することが私への償いだと思ったんですって?」
「……。ごめんなさい。あの時は竜司さんに腹が立ってこんなクズ男、何も知らないお姉ちゃんと幸せにさせてやらないって思って。それがお姉ちゃんのためにもなるんだって本気で思ったの。でも……」
「でも?」
「健太にはちょっと自分を正当化して言ってしまったの。本当は何も知らずに幸せそうに結婚を夢見るお姉ちゃんへの妬みもあったんだと思う。みんなみんな壊れてしまえばいいって自暴自棄になって、私の不幸にみんなを道連れにしたくなったの」
「……」
きっとそれが香蘭の本当の本音なのだろう。
綺麗事の裏には澱のような黒い心も必ず張り付いている。
善意百パーセントの行動もなければ、悪意百パーセントの行動もない。人の行動には常に善悪取り混ぜたいろんな感情が作用している。
「バカね……」
ようやく吐いた私の言葉に、香蘭はおずおずと尋ねた。
「怒らないの?」
「今さら怒ってもしょうがないでしょ? それに……香蘭の思った通りだったわ」
「思った通り?」
「うん。私は本当に恋に恋していただけで、初恋を実らせる幸せなヒロインになるために、たくさんの現実に目を瞑っていたの。竜司さんを勝手に王子様に仕立て上げて、真実を何も見ようとしてなかった」
「お姉ちゃん……」
「だから……、あなたの償いは受け止めたわ」
「‼」
香蘭は信じられないように私を見つめた。
「あなたのおかげで不幸な結婚をせずにすんだ。ありがとう」
「お姉ちゃん……」
香蘭の目から涙が溢れた。
勝ち気でいつも姉の私より態度の大きかった香蘭が、今日はやけに妹に見える。
バカで頼りなくて放っておけないどうしようもなく愛おしい妹。
「私のことよりもあなたはどうするつもりなの? 復讐だけで竜司さんと結婚していいの? きっと浮気もするし、今も続いている女性がいるんでしょ?」
「……」
香蘭は涙を拭いながら再び俯いた。
「いいの。どうせ私なんてろくな結婚も出来ないわ。だったらとりあえずお金があって子供との生活が保証できる竜司さんに全部責任をとらせるわ。私はこの子さえいれば……、この子に安定した生活を与えられるなら、それで充分なの」
香蘭は自分のお腹をそっとさすりながら、少しだけ穏やかな表情になった。
そして久しぶりに会って感じていた違和感の訳がわかった。
「なんか前と雰囲気が変わったような気がしたけど、そっか、お母さんの顔になってるんだわ。まだお腹にいるだけなのに、あなたはもうお母さんなのね」
「え? そう? こんな私がお母さんで、この子に申し訳ないっていつもお腹に謝ってるのに?」
「うん。きっとそういうところがお母さんなの。いい顔をするようになったわ」
「お姉ちゃんこそ……。結婚するまではどんどん痩せていって大丈夫かと心配してたけど、少しふっくらして……なんだか幸せそう」
「幸せそう?」
言われてみて自分でも驚いた。
そういえば健太もアウトレットモールで見かけた時に幸せそうに見えたって言っていた。今の自分はそんな風に見えるのか。
「誠也さんは……いい人なのね?」
「うん。最初は……全部嫌だったのに……不思議ね。誠也さんといると、温かい羽毛に包まれているみたい。無口で滅多に笑いもしないのに……そんなところまで愛おしく思えてきて……」
香蘭は穏やかに微笑んでいた。
「ふふ。ちょっと嫉妬しちゃった。でも……良かった」
正直すぎる香蘭は、たぶん自分の中に巣くう黒い心を見逃さない。
こんなことがあって、香蘭は尚更自分の僅かな黒い思いも決して許さず、探し出し、戒めている。
そんな気がした。
どんな辛いことがあっても、香蘭は私のように自殺して自分の課題を放棄せずに、きちんと向き合い果敢に立ち向かって行こうとしている。
(あなたの方が私よりもずっとずっと尊い生き方だわ)
この世界で表面だけを見たならば、私の方が成功した人生に見えるかもしれない。
でもきっと死後裁判をしたら、私は地獄行きでも香蘭は天国のいい所に行ける。
翁たちが私を地獄行きにした理由が今ならよく分かる気がした。
昼過ぎまでたくさんの話をしてから、香蘭は来た時よりもずっと穏やかで安心した顔になって帰っていった。
ただ帰る前に忠告を残していった。
「健太から聞いたんだけど、竜司さんに気をつけてね。この間、誠也さんに仕事のダメ出しをされて酷く腹を立ててたらしいわ。竜司さんって女性はみんな自分の言いなりだって思ってるようなところがあるから……特にお姉ちゃんは。誠也さんへの仕返しにお姉ちゃんになにか仕掛けてくるかもしれないわ」
「うん、分かったわ。大丈夫」
仕掛けるって言っても、私の人生はあと二週間弱なのだ。
まずは誠也さんに愛していると言わせる事の方が重要だった。
次話タイトルは「誠也さんの秘密①」です




