妹の真実①
「誠ちゃん、待って。ほらお弁当」
髪の長い女性の後ろ姿が見えた。真っ白のワンピースの上にエプロンをつけている。
「いらないって言ってんだろ? 毎日言わせるなよ!」
イラついた顔で答えるのは、高校生っぽい誠也さん。
「どうしてよ。カロリー計算までして作ってあるのよ」
「おかずが甘いんだよ。卵焼きも唐揚げも。砂糖菓子を食べてるみたいだ」
「大丈夫よ。カロリーゼロの砂糖だから」
「そういう問題じゃないんだよ。甘いのが嫌だって言ってんの」
「でもいつもイライラしてるのは糖分の不足だって言うわ」
「違うだろ。先生にもこの間言われただろうが。砂糖を摂り過ぎると逆に精神不安定になるんだって。減らしたほうがいいって言われたんじゃないのか」
「あの先生は何にも分かってないのよ。私は砂糖を食べているからこんなに元気になったんじゃない。そうでしょ?」
「母さんは……」
言いかけて誠也さんは口を噤み、ぷいっと玄関を開けて出て行った。
母さん……。
後ろ姿だけだったが、ずいぶん若々しい人に見えた。
どちらかというと少女のような。
てっきり高校時代に彼女と同棲していたのかと思った。
そういえば誠也さんのお母さんは八年前に死んだとは聞いたが、それ以外のことは聞いていない。病気だったのだろうか。先生と言っていたし。
◇
「本当に家でも作れるんですね。お店のガレットより美味しいです」
誠也さんはさっそく月曜の朝に作ったガレットに舌鼓を打った。
「粗めのそば粉を使って生地は両面焼いてるんです。男性はサクッとした歯ざわりの方が好きだと聞いたので」
もちろんモテ料理の極意の一つだ。
翁たちとの契約通り二週間以内に誠也さんから愛しているの言葉を引き出すためには、私がこれまで集めたモテ料理の極意をすべて使うしかない。
更には、私が一番得意とするケーキ作りで一気に畳み掛けるのが一番だ。
「今日は昼間にケーキを焼こうと思うんです。私の作るチーズケーキはいつも好評なんです。売り物になるって褒められたこともあります」
カタンッとフォークを置く音がした。
「?」
なぜか誠也さんが難しい顔をして食べるのをやめてしまった。
「すみませんが……ケーキは苦手なのです。特にチーズケーキは」
眉間にシワを寄せて誠也さんが告げた。
「そうなんですか?」
そういえば夢の中で甘いものが嫌いなようなことを言っていた。
「じゃあ、甘さ控えめのガトーショコラとか……」
「いえ。ケーキ全般が嫌いなのですみませんが……」
食い気味に断られた。余程嫌いらしい。
これは大失敗だ。
「分かりました。じゃあもしかして焼き芋とかかぼちゃもダメですか?」
甘いおかずは苦手な男の人が多いというので、まだ食卓に出したことはなかった。
「あまり好きじゃないです。できたら避けてもらえたら嬉しいです」
「そうなんですか」
ちょっと残念だ。
ケーキと甘いおかずを除いた料理で勝負しなければならない。
二週間しかないのに。
誠也さんを仕事に送り出して家事を済ませた頃、スマホに電話がかかってきた。
「健太?」
先日のことを思い出して気が引けたが、出てみた。
「あ、香百合ちゃん。この間はごめん。あの後大丈夫だった?」
健太は二才年上の私にもため口だった。子供の頃からの付き合いだから香蘭と同じ扱いになっている。というか、気性の激しい香蘭の方に気を遣うぐらいだ。
長いものに巻かれ、強いものに迎合するのが健太の信念らしい。
「うん。大丈夫よ。そっちこそ大丈夫だったの?」
そんな健太が信念を曲げて竜司さんに反論したのだ。自分には一切逆らわないと思っていた竜司さんもショックだったに違いない。
「う……ん。いや、もう竜司さんにはついていけない。俺、竜司さんからは離れるよ。この間のことで決心がついた」
「え、でも健太は……」
確か大学を卒業したら竜司さんの会社に入れてもらうことが決まっていたはずだ。だから最近は尚更竜司さんに逆らえなくなっているようだった。
「うん。もういいんだ。就職活動の心配もないし、将来も安泰だと思ってたけど、なんだかこのまま一生竜司さんの言いなりに生きていっていいのかと思ってさ」
あれほど幼い頃から竜司さんを心酔していた健太がここまで言うなんて。
「やっぱり……香蘭のことがショックだった?」
口に出してみると、まだ私の心も重苦しく疼く。
「うん。それもあるけど他にもいろいろ。せめて仕事で尊敬できるなら割り切って従っていこうかと思ってたんだけど、それも誠也さんの話を聞いて現実が見えたというか……。竜司さんって周りを引っ張っていくカリスマ性があると思ってたけど、結局それって学生時代までは恵まれた容姿に群れる女子と、それ目当ての男たちが集まってきてただけでさ、社会に出たらそんなもんじゃ通用しないんだよ」
あの時、なぜ誠也さんが突然仕事のダメ出しをしたのか分からなかったけれど、私を庇ってどうこう言うよりも、仕事をダメ出された方が竜司さんの打撃は大きかった。それを見越して言ったのなら、誠也さんは思ったよりも怖い人かもしれない。
ふと誠也さんに得体の知れない恐ろしさを感じた。
「誠也さんは私への態度に腹を立ててあんな風に言ったのかもしれないわよ」
だからなのか、なぜか竜司さんを庇うような言い方になってしまった。
「いや香百合ちゃん、誠也さんがどういう人か知ってる?」
「どういう人って?」
「たった五年で傾きかかっていた佐山建設を立て直して急成長させた人だよ。建設不況と言われているこの時代に。協力会の人たちも昔から誠也さんには一目置いていた。大学も有名国立大学だし、卒業後は大企業で一級建築士として働いてただろ?」
「え? そうなの?」
全然知らなかった。
そういえばお父さんが、結婚が決まった時にいろいろ誠也さんについて説明していたと思うが、あの頃はまったく興味がなくて覚えてもいない。
「香百合ちゃん知らないの? 五年前大企業をやめて会社を継ぐって聞いた時は、みんな驚いたらしいよ。もったいないって。傾きかけた会社よりも大企業で一級建築士として働く方が全然いいもん」
「じゃあどうして……」
「それは……香百合ちゃん、何も知らずに誠也さんと結婚したんだね」
どういう意味だろう。何も知らないってなにを?
尋ねる前に、健太はまったく違う話を始めた。
「竜司さんは昔から誠也さんにライバル心を持ってたんだ」
「え?」
「だから香百合ちゃんが、すっかり誠也さんと幸せそうにしているのを見てイライラしたんだと思う。それであんなこと言ったんだ」
「それはどういう……?」
そういえば、前に二人で会った時も、誠也さんにこだわっていた。
「俺、香百合ちゃんが傷つくと分かってても、これを伝えようと思って電話したんだ。もしかして竜司さんが香百合ちゃんを誠也さんから取り戻そうとして、余計なことをするんじゃないかと思ってさ」
「私を取り戻すって……」
竜司さんはそこまで私を想ってくれていたのだろうかと僅かに心がざわついた。
しかしすぐに現実を知ることになった。
「竜司さんはずっと桃花さんが好きだったんだ」




