竜司さんという人⑤
「香百合?」
背後から呼びかけられた。
ここで聞こえるはずもないその声に一瞬すべてが夢なのだろうかと思った。
しかし振り向いた私の前に意地悪な現実が広がっている。
「竜司……さん」
竜司さんが健太と一緒に立っていた。
悪いことをしている訳ではないが、思わず誠也さんの腕を離し距離をとった。
「佐山誠也……」
竜司さんは隣の誠也さんに目を移して、再び怒ったような顔で私を見た。
いや、私が怒られる理由なんて何もない。
それなのに責めるような目をしている。
「ふーん。何べん電話しても会おうともしないと思ったら、そういうことか」
竜司さんはそう言ってフンと鼻を鳴らした。
「お前って一途なところが可愛いと思ってたけど、案外ビッチだったのな。さっさと他の男に乗り換えるとかってお前は出来ないと思ってたけど。やっぱ女なんかを信じたら痛い目に遭うんだな。勉強になったよ」
「な!」
なんでそんな言われ方をするのか理解できない。
そもそも裏切ったのは自分の方なのに。
なんで私が乗り換えたという話になるのか。
「そこの観覧車でキスして結婚を誓ったのに、今日は別の男と同じ観覧車に乗るのか。女ってそういうとこデリカシーないよな」
「なにを……」
夫の前でそういうことを暴露するってあんまりじゃないだろうか。
誠也さんがどう思うだろうかと焦る以上に、これは本当に私が一途に愛し続けた男なのかと唖然とする。
あれほど恋焦がれ、すべてを犠牲にしても手に入れたいと思っていた人は、こんな男だっただろうかと。
私はこんな男のために自殺までしたのかと。
「り、竜司さん、やめましょうよ。せっかく香百合ちゃんも新たな気持ちで幸せになろうとしてるのに……」
健太が我慢しきれないように口を挟んだ。
いつも竜司さんの言いなりで、心酔しているようなところがあったのに珍しい。
そういえば健太は、ずっと香蘭が好きだった。私が竜司さんを一途に好きだったように健太はいろんな子と付き合いながらも、結局香蘭を忘れられないようだった。
ずっと片思いだったとはいえ、私と同じぐらい二人の結婚はショックなはずだ。
「うるさい! お前は黙ってろ! 妹が妹なら姉も姉だったってことだな。俺はこの姉妹に人生を狂わされたんだ」
「竜司さん! いいかげんにして下さい!」
香蘭の悪口まで言われて、健太もさすがに腹を立てた。
「俺は香蘭にはめられらんだ。お腹の子供だって俺の子かどうかなんて分かったもんじゃない。処分に困って俺に責任をなすりつけたんだ」
「竜司さんっっ‼」
健太が竜司さんに掴みかかった。
応戦する竜司さんとにらみ合っている。
買い物客が何事かと私たちを遠巻きに見ながら通り過ぎていく。
どうやら竜司さんと香蘭はうまくいっていないらしい。
だがそんなことは私の知ったことではない。
私を裏切った二人を心配してあげるほどお人よしではない。
ただ誠也さんに申し訳ないと思った。
この場で一番何の関係もない誠也さんは、妻の元彼の痴話喧嘩に巻き込まれ何を思うのか。
きっと迷惑に思っているに違いない。
誠也さんは胸倉を掴み合って睨み合う竜司さんと健太に近付くと、ぐいっと二人の体を引き離した。思ったより怪力だった。
剣道を続けていただけに腕力はあるらしい。
そして竜司さんに「一言いいですか?」と尋ねた。
一体何を言うつもりなのか。
一応たてまえだけでも妻を庇って注意するのか。
もう妻に近付くなと、この場だけでも……。
しかし彼は予想もしない言葉を告げた。
「君の計画している谷岡町のパチンコ出店ですが、来年そのすぐ近くに全国チェーンの大型パチンコ店が出来る予定ですよ。あちらはノウハウも熟知していて勝ち目はないです。しかも立ち退きで住人と揉めたら、大損失の上、数年がかりになるでしょう。僕なら絶対にそんな事業に手は出さない」
「な!」
竜司さんは思いもかけないダメ出しに蒼白になっている。
「……と君の父親に相談されたので、伝えておきます」
誠也さんはそれだけ告げると、顔色一つ変えないままに私を見た。
「では行きましょうか、香百合さん」
その無表情にどんな思いがこもっているのか、まったく分からない。
竜司さんと健太もあまりに予想外の返しに呆然としている。
誠也さんはその二人を置いて、さっさと歩き出した。
そして竜司さん達から見えないところまで充分離れてから、とぼとぼと後ろを歩く私に振り返った。
私はドキリとして、慌てて謝った。
「あの……ごめんなさい。誠也さんは関係ないのに嫌なことに巻き込んでしまって」
「……」
「誠也さんが迷惑なら私はすぐにでも家を出て行きますから……」
言ってから出て行くのは嫌だと思っている自分に気付いた。
残された時間が二週間だけだというなら、たとえ迷惑でも誠也さんのそばにいたい。
(ああ。私はもう誠也さんを好きなんだ)
自分でもなんて変わり身が早いのかと思うけれど、これが本心だから仕方ない。
たとえ嫌われても、少しでもそばにいて誠也さんと静かな時間を過ごしたい。
「香百合さんは出て行きたいのですか?」
ブルブルと頭を振ると、誠也さんはいつものようにポンと私の頭に手を乗せた。
「だったら関係ないなんて言わないで下さい。僕は香百合さんの夫ですよ。僕だって傷つくじゃないですか」
その言葉を聞いた途端、涙が溢れた。
「こんな私でも……迷惑じゃ……ないんですか?」
「そのままの香百合さんがいいんです」
わっと泣き出した私を、誠也さんはそっと抱き締めてくれた。
周りを歩く人がジロジロ見ていっても、誠也さんは抱き締め続けてくれた。
次話タイトルは「間章」です




