死後裁判②
「愚かな……」
誰かが呟くと、呼応するように全員が群れをなして頷いた。
「な、なにが愚かだって言うのよ!」
赤帽子の翁は、私の言葉を無視して青帽子の男に尋ねた。
「宿命書きはどうなっておる?」
青帽子の男は頷いてメガネの裏を見つめながら話し始めた。
「まずは戸田香百合が自殺せずに生き続けた場合ですが、妹の戸田香蘭と加瀬竜司は子供が生まれたもののうまくいかず、二年で破局する予定でございました」
思いがけない話に、私は気持ちが高ぶった。
「ほらごらんなさい。姉から婚約者を寝取るような結婚なんてうまくいくはずがなかったのよ。バチが当たったのよ。当然だわ」
「ですが……」
「え?」
「戸田香百合の自殺により深く反省した二人は、命の大切さを学び姉への償いを込めて真摯に子供を育て、良き父、良き母となって課題を見事修了させ天国へと旅立つという宿命に書き換えられました」
「な!」
信じられない話に私は言葉を失った。
「そんなバカな……」
「して、両親の方はどうなる?」
「はい。自殺前は戸田香百合の結婚により会社の倒産を逃れた父親は、婿との仲も円満で相談役として会社に残り、夫婦ともに穏やかな老後を過ごし天国へ旅立つ予定でございました」
「うむ。それで書き換えた後はどうなった?」
「はい。戸田香百合の自殺によって会社の吸収合併話もなくなり、間もなく倒産。債権者に追われ、母親の方は娘を自殺させてしまった後悔で心を病み、二年後に自殺。父親もそれを追うように自殺することとなっております。戸田香百合の自殺により、さらに二人の地獄人口を増やすこととなります」
「まさか……」
想像もつかなかった未来に愕然とする。
赤帽子の翁は、静かにそんな私を見つめた。
「どうじゃ? 思い通りの復讐が果たせたか? そなたのせいで両親も後を追うように自殺する予定じゃ。親子で仲良く地獄の業火に焼かれるか」
「そんな……。まさかそこまで……。私はただ私の気持ちを分かって後悔してくれたらいいと……、心を病んで自殺までさせたかったわけじゃ……」
思い返せば、母は父の意見に賛成しながらも、私と一緒に泣いてくれた日もあった。
あまりに悔しくて、全員同じように憎んでいたけれど、母には本当はそこまで憎しみを感じていなかった。
結婚のことはひどいと思ったけれど、それまでの母は、たまに怒ることはあってもいつも私を大事に育ててくれた。私のせいで地獄行きにまでさせたいなんて……そんなこと思ってなかった。
急に湧き出る後悔で心が締め付けられるような気がした。
「こんなはずじゃ……」
一番許せないと思っていた妹を幸せにして、両親を不幸に陥れるなんて。
そんな結果になるなんて思いもしなかった。
「そなたらの世界と死後の世界では、善悪の判断基準は違うのじゃ。人を騙し陥れることも、衝動的に傷つけることも、確かに悪の部類には入るのじゃが、我らはその悪の先を見て審判を下す」
「悪の先?」
「罪を憎んで人を憎まずという言葉がある。罪は時に、課題の発生のために宿命として書き込まれているものもある。罪はその人間にとって必然なのじゃ。じゃからと言って大目に見ろと言っているのではないぞ。多くの人に憎まれ、良心の呵責に苦しみ、苦しい課題を修了させるために罪はある」
「課題を修了させるために……」
「罪を受けた者も同じじゃ。妹の罪をそなたが憎み、苦しみ、悩み抜いて許した先に、そなたの課題の修了と幸せがあったのじゃ。課題の厳しさで言うなら、罪を受ける者より罪を犯した者の方が厳しい。そなたは妹よりも楽な課題で修了できるはずじゃった」
「そんなはずは……。私に幸せなんてもう……」
赤帽子の翁は青帽子の男に尋ねた。
「戸田香百合の宿命書きはどうなっておった?」
青帽子の男は再びメガネの裏を読むようにして告げる。
「はい。戸田香百合は、両親の勧めにより佐山誠也と結婚。父の会社は吸収合併され、佐山誠也の経営手腕により会社は順調に発展を遂げ、多少の苦難はあるものの二人で乗り越え、一男一女をもうけ満ち足りた人生を送る予定になっておりました」
「バ、バカ言わないで! 十も年上のおじさんなのよ!」
そう。
結婚相手の佐山誠也は十歳も年上の三十三才だ。
その年まで結婚出来なかったというだけでも、つまらない男なのだろう。
しかも婚約がなくなった憐れな娘を政略結婚で娶ろうというのだから、一癖も二癖もある怪しい男に違いない。
まあまあ大きな中堅の建設会社の御曹司だというのに、そんな相手しか見つからなかったということは、相当な問題を抱えている可能性も大きい。
もしかしたらDV癖があったり、自意識過剰のふんぞり返った男かもしれない。
もちろん会ったことはあるが、銀縁メガネをかけた七三分け頭の、まあ仕事は出来そうな感じではあったが、イケメンの竜司さんとは比べるべくもない。
とにかくつまらなそうな男だった。
「ですが、戸田香百合は苦しい失恋を乗り越え、佐山誠也の誠実な心に触れ、本当の愛を見つける……となっております」
「そんなバカな。有り得ません! 私が竜司さん以外を好きになるなんて」
今までの人生でも、一度も他の男の人を好きになったことはない。
「有り得る有り得ないはともかく、そなたはこのまま命を終えたなら地獄行きしか道はない」
「地獄……」
私はごくりと唾を呑んだ。
とりあえず楽しそうな場所でないのは分かる。
それに妹が幸せになって私と両親が地獄に堕ちる未来なんて受け入れられない。
「い、嫌です。なんとか地獄行きを回避する方法はないんですか?」
翁たちは、お互いに目配せして頷き合った。
「唯一残された方法として、リベンジシステムの治験者となることもできる。前回の治験者は予想以上の結果を出し、無事に現世へと戻って行った」
「現世にはもう戻りたくありません」
「ほう。前回の治験者は現世に戻ることを目標としておったが……」
「竜司さんと結婚できるなら戻りたいですけど……」
「それは無理じゃな。すでに子供が戸田香蘭のお腹に宿っている。結婚する可能性があるとするなら、二人が破局してから後じゃが、そなたの自殺によって宿命書きは変わってしまった。さらにリベンジシステムの導入により、そなたに関わる者の未来はしばし不確定なものとなる。加瀬竜司と結婚する可能性は極めて低いと言わざるを得ない」
「だったら現世に戻らなくていいです。とにかく私と両親の地獄行きを回避する方法を教えて下さい」
「ふむ」
しばらくコソコソと翁たちが話し合っているようだった。
やがて話が決まったのか、赤翁が代表して告げた。
「戸田香百合よ。ではそなたに一ヶ月の命を与えよう。そなたは約束通り佐山誠也と婚姻届を出し、結婚生活を送るがいい。その一ヶ月で父親の会社は吸収合併の手続きを進め、そなたが死んでももはや白紙には戻せない状況になるだろう。それにより、倒産を免れ、母親もそなたを亡くす悲しみはあるものの、心を病むまではいかず、静かに余生を過ごすこととなるじゃろう」
「一ヶ月……結婚しなきゃダメなんですか?」
私は青ざめた。
それが嫌だから自殺したのに。
「そなたが結婚することによって父親の会社が救われる。このあらすじは変わらぬ。せっかく一ヶ月の命を与えても、結婚しなければ無駄に時を過ごしてここに戻ってくるだけじゃ。そなたの課題も進展しない」
「でも竜司さん以外と結婚なんて……」
「嫌ならこのまま三人そろって地獄行きじゃな」
「そんな……」
「言っておくが、これは特例措置じゃ。他の者はこんなチャンスなど与えられずに地獄に堕ちていく。そなたは選択肢があるだけ幸せなのじゃぞ」
「わ、分かったわよ。一ヶ月籍を入れればいいんでしょ? とにかく一ヶ月我慢して会社の吸収合併が進めばいいってことよね? それが私の課題なの?」
投げやりな態度の私に青帽子の男が口を挟んだ。
「よく分かってないようですが、あなたの父親の会社は赤字だらけの倒産寸前の会社です。それを吸収合併して救おうというのですから、あなたも良き妻として佐山誠也に心から尽くさねば答えてはくれませんよ」
「尽くす? 私が? 好きでもない男に?」
私は心底嫌そうに聞き返した。
「そうです。あなたが嫌われたら、佐山誠也は面倒な吸収合併を断るでしょう。そうなれば、一ヶ月戻ったとしても父親の会社の倒産は防げません。ご両親は自殺する可能性が濃厚となるでしょう」
「わ、分かったわよ。尽くせばいいんでしょ? そうすれば……ねえ、来世で竜司さんともう一度巡り会って結婚とかは出来る?」
「それは……どうでしょうか。余程魂が惹かれ合っていれば可能性もゼロではありませんが……」
「ゼロじゃないのね。だったら一ヶ月だけ人身御供に出されたつもりで頑張るわ」
「人身御供ですか……」
青帽子の男は呆れたように、ふうとため息をもらした。
「覚悟は決まったようじゃな」
翁たちに問われ、青帽子の男は頷いた。
「いろいろ不安要素はありますが、この者を二例目の治験者に決定いたします」
「では時間がない。肉体が衰える前に、さっそく現世に戻すことにしよう」
「最後に注意事項を伝えておきます。この死後裁判のことは絶対に現世で話してはいけません。話したところでリベンジシステムは終了となり、地獄行き決定となりますので、くれぐれも気をつけて下さい」
「わ、分かりました」
私は少し緊張しながら答えた。
「それからオプション機能をつけておきますか?」
「オプション?」
「前回のリベンジでは大変役に立ったようです」
「じゃあ……つけて下さい」
「了解しました。では一ヶ月間、がんばって下さい」