竜司さんという人④
「香百合さん?」
運転席から誠也さんが心配そうに私を見ていた。
「アウトレットは嫌ですか? 別の場所にしましょうか?」
「いえ。大丈夫です。確か美味しいガレットの店がありました。久しぶりに食べたいです」
「ガレット? なに料理ですか?」
竜司さんは当然のように知っていたが、誠也さんは食べたこともないらしい。
「フランスの家庭料理です。そば粉で作ったクレープみたいなものです。家でも作れますよ」
竜司さんが好きだと聞いて練習した。
破談になってから一度も食べてないものがたくさんある。
竜司さんの好物なんて口にするのも苦しいと思っていたけれど、不思議に食べたいと思った。
少しだけ心は痛むけれど、誠也さんと食べるガレットはもう一度好きになれそうな気がした。
◇
「へえ、初めて食べましたが美味しいですね」
「気に入りましたか? 良かったら今度朝食に出しましょうか?」
「朝食? 朝から作れるんですか?」
「生地は前の日にこねておいて一晩寝かした方が美味しいんです」
「香百合さんは料理の天才ですね」
誠也さんは感心したようにガレットを頬張りながら真顔で言う。
「大げさですよ。レシピさえ見れば誰でも作れます」
本当は竜司さんに言って欲しかった言葉だった。でも誠也さんに言われるのも悪くない。
いや、ちょっと嬉しい。
ううん、すごく心が浮き足立っている。
お店を出て並んで歩いていると、お洒落な雑貨屋さんが目についた。
「見て誠也さん。この食器ならガレットが似合いそう」
思わず腕を引いてしまった。
「あ、ごめんなさい」
あわてて手を引っこめた。
つい浮かれて調子に乗ってしまった。
「いえ。僕は自分のペースで歩いてしまうので、腕を組んでてくれると助かります。香百合さんが嫌でなければどうぞ」
無愛想な表情のままだが、差し出す腕が温かい。
そっと腕を掴むと、思ったより背が高いのだと少し照れながら誠也さんを見上げた。
見下ろす誠也さんの目が一瞬わずかに細まった。
料理以外で目を細めることは少ないだけに、ドキリと鼓動が跳ねる。
あれ? と思う。
私はもしかして今 幸せなんじゃないかと感じることが増えた。
ほんの二週間前まで絶望に打ちひしがれていたはずなのに。
あの日の私がこの未来を予想できただろうか。
「この食器は確かにガレットが似合いそうですね。買いましょうか」
「あ、じゃあ頂いている生活費で……」
「僕が買いますよ。いつもお弁当を作ってもらっているので、お金を使うことがほとんどないのです」
そう言って誠也さんはお皿を二枚持って、会計に行ってしまった。
こんないい旦那さんがいるだろうか。
私は夫の鑑のようなこの人との結婚を嫌がって自殺したのだ。なんて愚かな……。
翁たちの言う通りだった。
私は地獄に行っても仕方ないほど愚かだった。
「じゃあ行きましょうか」
誠也さんは会計を済ませて戻ってくると、再びにこりともせずに腕を差し出した。
私はその腕を掴んで、もたれるように頬をすり寄せた。
「香百合さん?」
少し戸惑うような誠也さんも愛おしい。
私はこの人をとてもゆるやかに愛し始めているのだと実感した。
しかしその時。
「香百合?」
背後から呼びかけられた。




