誠也さんという人④
家事がこんなに楽しいなんて、どうかしている。
いつの間にか誠也さんと結婚して十日が過ぎていた。
誠也さんと交わす言葉は食卓がほとんどで、料理以外の話題なんてほんの僅かなのに、ゆっくりと心地よい空間が築かれていくような気がする。
なにより誠也さんが一ミリほど細める目元を見たくて頑張ってしまう。
そして彼は無頓着なようでいて、細かなことに気付いてくれる。
「庭の雑草がなくなっていますね。大変だったでしょう」
「Yシャツのボタンをつけ変えてくれたんですね。ありがとうございます」
「香百合さんが洗濯するとタオルがふっくらしますね。香りもいいです」
「リビングでくつろごうなんて、前は思いもしませんでしたが、今はこのソファからのんびり庭を眺めるのが至福の時間です」
にこりとも笑わずに告げるその言葉通り、最初はお風呂に入るとすぐに自室にこもっていたのが、少しずつリビングで長居をするようになった。
「香百合さんがいるだけで家の中が明るくなるような気がします」
たまにぽつりとこぼす言葉は、私の凍え切っていた心をいつも温めてくれた。
だから地獄行き回避のためじゃなく、心からこの人のために尽くしたいと思えた。
そして風呂上りにラフな恰好に着替えた誠也さんには、ちょっとドキリとする。
やっぱり贔屓目じゃなく素敵だった。
「あの……コーヒーを淹れました。どうぞ」
「ああ。ありがとうございます」
メガネをはずして前髪を下ろしていると、カッコよく見えるのは気のせいじゃないだろう。あれほど竜司さん一筋と言っていたのに、私って案外チョロかった。
時々、誠也さんにトキめいてしまう。
「香百合さんもお風呂に入ってゆっくりして下さい。僕はここでしばらく庭を眺めていますから」
「じゃあ私もそれまでここにいます」
まだ誠也さんに風呂上りの姿を見せたことはない。
朝も誠也さんより一時間は早起きして、身支度を整えてからリビングに入る。
始まりが始まりだっただけに、すっぴんもパジャマ姿も見せてなかった。
いくら一ヶ月は手を出さないと約束してくれたとはいえ、それを守らせるだけのガードは私が作らなければと思っていた。隙だらけの姿で誠也さんの前に出るわけにはいかない。最初は警戒してそうしていたが、今は少し気持ちの変遷がある。
すっぴんやパジャマ姿を誠也さんに見られるのが恥ずかしいのだ。
「この家にきてから香百合さんは本当によくやってくれていますが、無理していませんか? 出かけるといえば買い物か役所の用事ぐらいで、ずっと家事をしているようですね。通帳のお金も最低限しか使ってないようだし」
「それはそうですが……無理はしていません」
本当に楽しんでやっているのだ。
「僕は結婚したからと言って、香百合さんを家に縛り付けたいわけじゃない。時には友達と会ったり、デパートでショッピングしたり、自由にしていいんですよ」
「ありがとうございます。でも、私にはもう……」
会いたい友達も、買いたい服もない。
竜司さんへの恋心を何年も聞かせ続けてきた友達とはもう会いたくない。
残り二十日の人生のためにわざわざ買う服もない。
「……」
口ごもる私に誠也さんは少し考え込んでから口を開いた。
「もしも……きちんとしないとお父さんの会社の合併話が立ち消えになると思っているなら心配しないで下さい」
「え?」
私は驚いて誠也さんを見つめた。
「戸田工務店との合併話は順調に進んでいます。社員はすべて残留で、仕事もそのまま引き継げるようにしています。戸田社長には佐山建設の子会社としてそのまま社長を続けてもらおうと思っています」
「それは……」
こちらの目的など、誠也さんは最初から分かりきっていたのだ。
「だから安心して自由に過ごして下さい」
最初から愛などないのだと。父の会社のために仕方なく結婚したのだと。
誠也さんはそう思っているのだ。
それは正しいのだけれど……。
まったく正しいのだけれど……。
なぜこんなに心が淋しがっているのだろう。
「僕のわがままで、苦しい思いをさせてしまいました。でも僕はあなたを檻に閉じ込めて言いなりにしたい訳じゃないんです。だからもっと気楽に過ごして下さい」
「でも私は……」
私はどうだと言いたいのだろう。
自分でも分からない。
「僕はあなたに何も押し付けるつもりはない。だから心配しないで」
誠也さんは、いつものようにポンと私の頭に手をのせてから立ち上がった。
「じゃあそろそろ部屋に戻ります。僕がここにいたら香百合さんはお風呂にも入れないようですからね」
違うのだと……言いかけて言葉が出なかった。
何が違うのだろう。どこが違うのだろう。
ただ分かるのは……。
もう少しここで誠也さんと過ごしたかった。
次話タイトルは「竜司さんという人①」です




