誠也さんという人②
「素敵なおうちね」
昼過ぎに母が訪ねてきた。
一度電話で大丈夫だと伝えたものの、やっぱり心配で様子を見に来たらしい。
母は昔、父と一緒に玄関先まで来たことがあったようだ。私は全然知らなかったが、誠也さんのお父さんとは協力会で多少の付き合いがあったらしい。
「本当に誠也さんのお父様にご挨拶しなくていいの? 手土産を持ってきたのだけど」
「うん。私も最初の日に挨拶しただけだから。よほどの用がない限りそっとしておいて欲しいって言ってたから」
「そう? じゃあ手土産は置いていくから渡せなかったらあなた達で食べて」
たぶんそうなるだろう。持っていった方が迷惑がられそうだ。
「なんだか香百合もちょっとふっくらして明るくなったわね」
「そう?」
言われてみれば、嬉しそうに食べる誠也さんに触発されて、私も少しずつ食欲が戻ってきていた。
「良かった。やっぱり香百合には誠也さんの方が合うと思ったのよ」
母は元気そうな私に安心したのか、実家では禁句だった話を持ち出した。
自殺前の私は、竜司さんとの破談を連想させるすべての言葉に癇癪を起こしていた。
今は癇癪までは起こさないものの、嫌な気分には違いない。
「適当なこと言って。もう他に嫁ぎ先なんてないと思ったからでしょ?」
母が持ってきたケーキと、家にあった紅茶を出しながら、皮肉った。
「そんなことないわ。以前は話すとあなたが怒ると思ったから言えなかったけど、私は竜司さんとの結婚は反対だったの」
「は? そんなこと一度も言わなかったじゃない」
「はっきりとは言ってないけど、それらしい事は何度も言ったわよ」
「それらしいこと? いつ? なんて?」
「たとえば、まだ結婚を決めるのは早いんじゃないの? とか、結婚は少し付き合ってみてから考えてもいいんじゃない? とか」
そういえば……そんな事は言っていたかもしれない。
忘れてたけど。
「でもあなたは、私は竜司さんと結婚する運命なのだからって、他の人と結婚するつもりなんてないからって、まったく聞く耳を持たなかったじゃない」
「それは……」
確かにそうだった。
今になって思えば。
「どうして反対だったの?」
「うーん、母親の勘というのかしら。あなたとは合わないって思ったのもあるけど、お父さんから竜司さんの会社の話を聞いてからは、ますます心配で」
「会社の話?」
「お父さんは竜司さんの父親とも飲み友達でしょ? 飲むと結構息子の愚痴が出るらしくて、あいつはお坊ちゃん育ちで考えが甘いって」
そういえば竜司さんも会うと時々会社の愚痴を言っていた。
どうもうまくいってないらしいのは感じていたが。
「竜司さんは新しい事業を立ち上げることを夢見ていたのよ。守ってばかりじゃ会社は発展していかないって言ってたけど」
「それって幹線道路沿いの古いアパートを取り壊してアミューズメント施設を作るって話でしょ?」
「うん。そうよ。竜司さんには竜司さんの若い夢があるのよ」
「そのアミューズメント施設って何か分かってるの?」
「何かって? なんかレジャー施設でしょ?」
「パチンコ店よ」
「パチンコ?」
そんな話は知らなかった。
「もちろんパチンコ店が悪いとは言わないけど、やっぱりギャンブルの一種だから、普通の事業よりはきなくさい事も多いでしょ? 優等生で真面目なあなたが、その経営を支えていけるのかしらって、お父さんと心配していたの」
「なんでもっと早くにそれを……」
「何度も言おうとしたわよ。でも、竜司さんのことを悪く言わないでって、いつも途中で怒ってどっか行ってしまったじゃない。私達もそこまであなたが竜司さんを好きなら、許婚でもあるし黙って見守るしかないんだろうと諦めていたのよ」
今になって考えると、そんなこともあったかもしれない。
以前は不思議なぐらい竜司さんに否定的な出来事や言葉にシェルターをかけていた。全部耳を通り抜けて、聞いてはいけない記憶の倉庫に送り込まれていた。
「この間は、竜司さんが勝手にアパートの住人に立ち退きの通達を送ったらしくって、ちょっと今会社が揉めているらしいわ」
そういえば昨日会った竜司さんは、私のこともあるだろうが、どこか冷静さを欠いてむしゃくしゃしていた。
「竜司さんは確かに昔から美少年で誰からも愛されて、今もきっと人に愛される人だとは思うけど、優等生のあなたの手に負える人かしらと思っていたの」
確かに竜司さんは愛されることに慣れ過ぎていて少し冷たいところもあるが、そういうところも好きだった。彼ならどんなわがままも許せると思っていた。
「じゃあ……香蘭なら手に負えるって言うの?」
そんなに反対する人でも香蘭なら祝福できるってどういうことよ。
私よりも香蘭の方が出来た人間だとでも言いたいの?
「もちろん、母親としてはもっと堅実な人と結婚して欲しかったわよ。でも子供まで出来てしまったし。香蘭は……良くも悪くも修羅場を潜り抜けてきたじゃない」
「それは……」
香蘭は何度か男性関係で問題を起こしている。バイトで知り合ったヤバそうな人の家に入り浸って一週間家に帰って来なかったこともある。
「香蘭の付き合ってきた男の人に比べたら、竜司さんは不安要素はあっても家もしっかりしているし有り難い話だと思ったの」
「でも……私よりも香蘭の方がかわいいから結婚に賛成したんでしょ?」
「バカなこと言わないで。私は本当に香百合の結婚が流れて、誠也さんと縁ができたことが嬉しかったのよ。彼ならあなたを幸せにしてくれそうな気がしたから」
「ちょうどもらってくれる人がいたから押し付けたんじゃなくて?」
「そんなわけないじゃない。竜司さんのことでは辛い思いをしたかもしれないけど、こんな幸運に続いていたんだって、運のある子だと思ったわ」
母はどうやら本当に誠也さんで良かったと思っているらしい。
「でもお父さんは違うでしょ? 会社を救ってくれる相手だから、ちょうど良かったって誠也さんにあてがったんでしょ?」
「そんなことないわよ。そりゃあ、すべてがうまくいく相手だと有頂天になった部分もあるかもしれないけど、お父さんだって香百合が幸せになれると思ったから喜んだのよ」
「お母さんはそうやってすぐお父さんを庇うけど、そんなわけないわよ」
母は困ったようにため息をついた。
「お父さんは年頃になった娘にどう接していいのか分からなくていろいろ誤解されてしまうけど、ちゃんとあなた達を愛しているわ」
だが、自殺未遂の後言われた言葉を忘れることはできない。
「悪いけど信じられないわ……」
父のことなんてどうでもいい。
もうこのまま会う必要もないと思っている。
「ねえ、お母さんって若い頃の誠也さんって覚えてる?」
私は話題を変えて、一番気になっていることを尋ねた。
「若い頃?」
「うん。例えば高校生時代とか。実は俺様系のイケメンだったとか」
「俺様系イケメン? なにそれ?」
どうやら母もそこまでは知らないらしい。
「一番覚えているのは、ほらバーベキューであなたが溺れた時」
「溺れた日? やっぱりそこに誠也さんもいたの?」
「何言ってるのよ。溺れたあなたを助けたのは誠也さんじゃないの」
「え?」
「ああ。しばらく気を失っていたから覚えてないの?」
「だってあの時は竜司さんが……」
「確かに竜司さんも一緒に川に飛び込んだけど、助けたのは誠也さんよ」
まさか……。
「いやあね。服を着替えてからちゃんと二人にお礼言いなさいって……そういえばその時には誠也さん一家は帰ってしまってたのよね。あなたは会ってないのね」
いろんなショックと、竜司さんへの恋心を自覚した瞬間でもあって、記憶が書き換えられてしまっていた。でも言われてみれば、他にも助けてくれた人がいたようなことは言っていた気がする。
「誠也さんが大学生の頃だったわね。それからしばらく佐山さん一家は協力会には来なくなったのよ。誠也さんのお父さんが急に引退することになって、まだ若い誠也さんは会社の引継ぎとかで大変だったんじゃないかしら。次に会ったのは、もう誠也さんが会社の代表になって落ち着いた五年前ぐらいかしら?」
「五年前……」
「もうすっかり経営者仲間の立場で、あんた達子供世代とは無関係だったわね。私も正直あまり印象がないの」
協力会の会員は会員同士、その家族は家族同士で仲良くしていたので、一緒の空間にいても話す機会などほとんどなかったのだ。
母は一時間ほど話した後、帰っていった。
「とにかく元気そうで安心したわ。誠也さんによろしくね」
駅まで送っていくと言う私に、母は玄関まででいいと断った。
そして最後に少し躊躇いながら言い足した。
「香蘭のことを……いつか許してあげてね。あの子もあの子なりに苦しんでいるの」
たとえ母の頼みでも、一生許すことは出来ないと心の中で呟いた。
私の一生なんて、あと一ヶ月もないけれど、もう二度と会うつもりはない。




