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婚姻届を出す朝に(離婚届シリーズ第二弾)  作者: 夢見るライオン


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誠也さんという人①

「ずっと好きだったの。付き合って下さい」


 セミロングの髪をゆるく巻いた綺麗な人だった。

 高校生っぽい制服姿で、スカートを短くして可愛く着こなしている。


「ごめん。彼女いるから」


 冷徹れいてつに答える顔に見覚えがある。最近よく見る顔だ。


 耳が隠れるぐらいの黒髪に鼻筋が通って、見下みくだすような目元が逆に女心をくすぐる。


 今どき珍しい学ランを着ているが、確か伝統ある有名な進学校の制服だ。

 俺様感満載で冷たそうだけど、こういう男に惹かれる女性は多い。


 でも誰だか思い出せない。


「あのモデルの子でしょ? あの子って遊んでるって有名なのよ」

「それが何か?」


 必死で食い下がる女性にも容赦ようしゃなく冷たい言葉を返す。


「誠也さんには似合わないわ!」


 誠也さん?


 その名前はよく知っているけれど、この人ではない。


 よく似てるけど。


「そんなこと桃花ももかには関係ないだろ」


 どうやら女性は桃花という名前らしい。


「関係あるわ! 誠也さんがあんな人に手玉にとられるなんて嫌なの!」

「手玉?」


 誠也と呼ばれた学ラン男は、バカにするように口端くちはしゆがめて笑った。


「この俺が女なんかに手玉にとられると思ってるのか? ふざけるな!」


 静かな声だが、やけにドスがきいていて恐ろしい。

 桃花さんもおびえたような目で誠也さんを見上げている。


後腐あとくされがなくて都合がいいから遊んでるだけだ」

「遊ぶなら私で遊べばいいわ!」


 怯えているくせに桃花さんは、果敢かかんに言い返す。余程好きなんだろう。


「は?」


 誠也さんは心底呆れたように投げやりな声を放つ。


「お前みたいな女はめんどくさいから嫌だ」


 そう言い捨てて、誠也さんは立ち去る。


 その後ろ姿に桃花さんは叫んだ。


「私、あきらめないから! ずっとずっと待ってるから!」



 また変な夢を見た。誠也さんの高校生時代? 


「まさかね。今と全然違うじゃない」


 顔は似ていたけれど。


 朝食の準備をしていると、誠也さんがすでにすっかり七三男になって現れた。


 いつもきっちり七時半に、完璧に身支度を済ませてリビングに入ってくる。


「おはようございます。香百合さん」


 この堅物の朴念仁が、とてもじゃないが夢の中の俺様男だったとは思えない。


「今日は和食ですか?」


 誠也さんは食卓のさけと味噌汁を見て目を細めた。


「ええ。昨日はパンだったので今日はご飯にしました。パンの方が良かったですか?」

「いえ。特にこだわりはないので、交互に出してくれると嬉しいですね」


【夫を夢中にさせる料理の極意、其の二】

 朝食は洋食と和食のどちらかに決めてない人なら交互に出すべし。



 今のところ誠也さんは私の思うツボだった。


 とても扱いやすい。夢の中の面倒そうな男とは大違いだ。


「今日もお弁当を作りましたが、持っていきますか?」

「本当ですか? 嬉しいです」


 目元がほころぶのを隠すように、誠也さんはメガネをくいっと持ち上げた。


 昨日綺麗に食べきって「今まで食べた中で一番美味しいお弁当でした」とにこりともせずに言われたのがやけに嬉しくて、今日も作ってしまった。


【夫を夢中にさせる料理の極意、其の三】

 弁当は基本、体にいい煮物や野菜炒めだが、一品だけはカロリーも栄養バランスも無視して激うまジャンクフードを入れ込むこと。


 これは夕食にも応用できるのだが、健康を気にし過ぎてコレステロール値の高いものをすべて排除したくなるが、男性は得てしてそういうジャンキーな物が大好きだ。


 下手に我慢させすぎると食事での満足感が得られなくなる。そうして外食が増え、浮気、離婚ということにもつながりかねない。


 浮気の心配が多いだろう竜司さんに捨てられないために考えた極意だ。


 竜司さんに発揮することはなかったが、どうやら誠也さんには見事にはまっているらしい。


 目の前で黙々と食事する誠也さんの目元が、ちょいちょい細まる。


 最初気詰まりだった誠也さんとの無言の食卓は、やがて穏やかな時間になって、今はちょっと楽しみな時間だった。


「味噌汁は赤だしを多めにした合わせ味噌ですけど、良かったですか?」

「はい。甘い白だしは苦手なのでこれぐらいがいいです」


【夫を夢中にさせる料理の極意、其の四】

 味噌汁は特に指定がない限りは甘い白味噌より赤味噌多めにすべし。


 あまりに私の極意にはまっていておかしくなる。


 久しぶりに気持ちが明るくなって、ちょっといたずらをしたくなった。

 だから確かめるつもりで言ってみた。


「お前みたいな女はめんどくさいから嫌だ」


 私が言った途端、誠也さんが飲んでいた味噌汁をぶっと吹いた。


「きゃっ! 大丈夫ですか?」

「な、な、何を急に……」


 こんなに動揺するとは思わなかった。


 こぼれた味噌汁をあわてて台ふきんで拭く。


 口についた味噌汁をティッシュで拭って、誠也さんは平静を装った。

 でも顔がほんのり赤くなっている気がする。


「……って言って女の子を振ったことがありますか?」


 少し笑いをこらえながら尋ねた。


「だ、誰からそんなことを……」

「え? じゃあ本当に?」


 どうやら夢だと思っていたが、本当にあったことらしい。


「もしかして高校はT高ですか? あの超進学校の。それで耳が隠れるぐらいの黒髪で、まだメガネはかけてなくて、ちょっと俺様?」


「……」


 誠也さんは困ったようにメガネを押さえるフリをして顔を隠している。


 まさか、あの夢が現実の出来事だとは思わなかった。

 じゃあ、あれが本当に高校時代の誠也さん?


「ずいぶん昔の話です。もう忘れました。そうだ、忘れると言えば、これを渡すのを忘れていました」


 誠也さんは下手くそな誤魔化しで話題を変えた。

 そして食卓の下に置いていた鞄から通帳とカードを取り出した。


「この通帳を渡しておきますので、管理をお願いします」

「管理?」


 開いてみると、とてつもない残高が残っている。


「え? これって全財産ですか?」


「銀行との付き合いで定期預金が別にありますが、給料はすべてその通帳に入るようになっています」


「すべてって、じゃあ誠也さんが使うお金は?」


「毎月現金を五万だけそこから引き出して渡してもらえますか? キャッシュコーナーで出すのも面倒で」


「ご、五万だけ? 大きい買い物をする時は?」


「カードで払うので、それは別に引き落とされるかもしれません。あまり把握はあくしてませんが、明細がきたら不足にならないようチェックして下さい」


 いや、豪邸でも買わない限り不足になんてならないだろう。


「こんなものを私に渡してしまっていいんですか?」


 秀才だと聞いていたが、もしかしてバカなんじゃないかと思った。


「妻に渡すのが普通じゃないんですか?」


 そりゃあ確かにそういう家もあるだろうけど、それは充分な信頼関係が出来て、この人なら任せられると確認してからじゃないのか?


 こんな結婚して一週間もたってないような、その前には二人で三回しか会ってないような人間に任せる額じゃない。


「私がすごい浪費家ろうひかで使い込んでしまったらどうするんですか?」

「浪費家なんですか?」


 真顔まがおで尋ねられて言葉に詰まった。


 浪費家ではないとは思うが、本物の浪費家が「私は浪費家です」なんて白状すると思っているのだろうか。


「まあ香百合さんが浪費家だったとしても、そういう人を選んだのだから受け入れるしかありません。残金がゼロになったら考えましょう」


「ゼロになるまで考えないんですか?」


 やっぱり頭が良すぎて、どっかのネジがぶっ飛んでいるらしい。


「あなたが使いたいなら、全部使っても構いませんよ。欲しいものがあれば、自由に使って下さい」


 お金に細かいことを言わない男気おとこぎを見せたいのかとも思ったが、そんな感じでもない。本当に好きにしていいと思っているみたいだった。


 人というのはそこまで信頼されると、逆に裏切れないものだ。


「わ、分かりました。管理は任せて下さい」


 銀行が開く時間になったらすぐに行って、いくつか定期預金にしてしまおう。


「あの、銀行印も預からせてもらえますか? 定期預金にしますので」

「銀行印?」


 誠也さんはいぶかしげにメガネを上げて私を見た。


 さすがの誠也さんも印鑑まで人に預けるほどバカではなかったか。


 私が悪い人間だったら全額持ち逃げされて終わりだ。自慢じゃないが、死後裁判で地獄行きを言い渡された程度の悪人だ。簡単に信じるもんじゃない。


 怪しむように首を傾げる誠也さんに少しほっとした。


 しかし……。



「ああ。確かこれです。良かった、あって」


 足元の鞄をゴソゴソ探して、あっさり私に渡した。

 バカ正直に印鑑を差し出す誠也さんに絶望を感じた。


(ダメじゃない。この人)


 こんな危なっかしい人は、一ヵ月後に私がいなくなったら、すぐに悪い人にだまされて根こそぎお金を奪われるに決まっている。今まで奪われなかった方が不思議だ。こういう人がきっとオレオレ詐欺で騙されるんだ。


 必要最低限だけ残して、全部定期にしようと心に誓った。


「じゃあ行ってきます」


 八時十分になると、判で押したように誠也さんは玄関で靴を履いた。


「あの……誠也さんの個室ですが……、掃除しておきましょうか?」


 この数日で家の中はほとんど把握できるようになったが、玄関から一番手前の誠也さんの部屋だけは、勝手に入ってはいけないような気がして手付かずだった。


「……」


 誠也さんは少し考えてから、メガネをくいっと上げて答えた。


「いえ。個室は自分で掃除しますので入らないで下さい」


 そう言うだろうと思った。でも、それならそれでいいと思っていた。


「分かりました」


 この先ずっと一緒に暮らすなら、個室の中にどんな秘密を隠し持っているのか知っておかなければ怖くてしょうがないかもしれないが、なにせ一ヶ月だ。


 下手にやぶつついて、恐ろしい秘密を知る必要もない。


 どんなおぞましい趣味趣向があろうとも、知らないまま過ごす方が健全だ。


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