死後裁判①
「ではこれより死後裁判を始めます。被告人は戸田香百合。二十三才。大量の睡眠薬を飲み手首を切り自殺を図りました。見つけた家族により救急車で搬送されましたが、現在は意識不明のまま生死の境をさまよっています」
青い博士帽のようなものをかぶったメガネの男の説明に、円卓に座る老人たちはやれやれという顔をしている。
薄暗くて円卓の周りまでしか見えないが、やけに奥行きのある不思議な空間だ。
そこに色とりどりの帽子をかぶった老人が十人ばかり座っている。
一人だけ立ち上がって説明しているこの青帽子の男だけが少し若い。男はやけにレンズの大きなメガネを両手で持ち上げるようにして続きを話し始めた。
「このたびは前回のリベンジシステムの成功により、二例目の実施を検討して頂きたく、翁の皆さまにお集まり頂きました」
「何を言うておる。前回の治験者は事故による脳死じゃったろうが。だからワシらも協力することにしたが、今回は自殺じゃろう。話にならん」
「自殺者は即刻地獄行きと決まっておるわ」
「自ら命を絶った者に何を期待すると言うのじゃ」
「この者は自分の課題を放棄したのじゃ」
「課題を放棄する者に、なんの救いもない。地獄行き以外に道はない」
老人たちは、もう話し合いは済んだとばかり、のろのろと立ち上がりかけた。
「お待ちください!」
青帽子の男が立ち去ろうとする老人を引き留めるように叫んだ。
「昨今の人間界では自殺者が後を絶たず、幼年期を無事に育てられ、いよいよ課題に取り組む段階になったところで、些細な理由で命を捨て課題を放棄する者で溢れております。このままでは課題を修了できる者がどんどん少なくなり、地獄の人口ばかりが膨れ上がる事態となるでしょう」
「ほっ。愚かな者たちじゃ。課題に取り組んだ先にこそ、真の人生の意味が見えてくるというのに」
「ご馳走を前に、まずかったら嫌だからとゴミ箱に捨てるようなものじゃ」
「負け犬に再びチャンスを与えるほど我らは寛容ではない」
「二例目ならば、もっと見込みのある者を選ぶことじゃな」
再び老人たちが立ち上がろうとした。
「お待ちください! 現在の地獄の人口の八割が自殺者なのです。自殺者を減らすことが地獄人口の減少の一番の早道です。どうか一度だけでもシステムを導入させて下さい。お願い致します」
青帽子の男の必死の懇願に、仕方ないとばかり老人たちは再び椅子に座った。
「あの……」
訳の分からないやりとりにしばらく放心していた私は、そこでようやく口を開いた。
「も、もしかしてさっきから話し合われているのは私のことでしょうか?」
円卓の真ん中に開いた穴に一人ぽつんと座らされているのだからそうに違いないとは思うものの、何かの間違いであって欲しいと尋ねてみた。
「そなた以外に誰がおるのじゃ。そなたは自殺したんじゃろうが」
「そ、それは確かに……。で、でも自殺したら地獄行きなんて知りませんでした」
「自殺未遂で助かった者たちから、多少の情報は流してあるじゃろう」
そういえば自殺未遂で助かった人達が、恐ろしい地獄の夢を見たという話は聞いたことがある。
「そういう噂話は聞いたことはありますが、でもそもそも死後の世界があるかどうかも分からないし、苦しいから悪い夢を見たのだと思っていました」
老人たちは私の返答に大袈裟に頭を振って呆れて見せた。
「都合の悪い事だけ信じないのじゃな。それでそなたは自殺してどうしようと思っておったのじゃ」
「そ、それは……私がどうするかというより、みんなに私がどれほど絶望していたのか分からせてやりたくて……」
「分からせてそれからどうする?」
「それから?」
「そなたの周りの皆は、確かにそなたの自殺で心に傷を負ったじゃろう。そしてそなたの言う通り後悔して反省するかもしれん。そうして深く深く人生を見つめなおし、それぞれの課題を修了させ、いずれは無事に天国へと旅立つ。じゃがそなたはどうする?」
「わ、私は……私は、みんなが苦しんで反省する姿を見て……」
「ここでほくそ笑むつもりじゃったか? 愚かな」
「そなたの与えた課題のおかげで、皆は悟りを深め、より一層天国に近付く。そして張本人のそなた一人地獄で苦しみ続けるのじゃ」
「そ、そんな……。悪いのはみんなの方なのに……」
「悪い? 一体みんなの何が悪いと言うのじゃ」
「わ、私はとても真面目に両親の言いつけ通りに良い子と言われてきました。私は竜司さんと結婚出来るなら、なんだって頑張れたんです。口約束ですが、許婚でもあったんです。それなのに……」
そう。
私が竜司さんを好きなのは家族の誰もが知っていて、高校生の時にお父さんは竜司さんの父親との酒の席で、いずれ結婚させようという話がまとまったと言ってくれた。
私は天にも昇る気持ちで父に感謝した。
今どき親が結婚相手を決めるなんてと妹の香蘭は笑ったけれど、私は本当に嬉しかった。これからも両親の言う通りに正しく生きようと心に誓った。
それなのに……。
「大学を卒業して、竜司さんとの婚約準備のため家事手伝いをしていた私に、妹の香蘭が突然言ったんです」
――竜司さんと結婚することにしたわ――
最初はなんの冗談を言っているのかと思った。
竜司さんとは、その一週間前にもデートしたばかりだった。
結納をどうしよう、婚約指輪はどんなものが欲しいと話し合っていた。
竜司さんは紳士で、きちんと順序をふまえた関係でいようと、清らかな交際が続いていた。私のことをとても大切にしてくれているのだと幸せだった。
それなのに……。
「子供が出来たって言うんです。だから結婚するって……」
私のことを大切にしてくれていると思っていたのに、一方で妹と……。
信じられなかった。
「それだけのことで自殺したのか? バカバカしい」
「な!」
翁の言葉に、私は怒りが爆発した。
「なにがバカバカしいんですかっ! 私にとっては竜司さんとの結婚がすべてだったのに! あなた達になにが分かるのよ!」
翁たちはそれでも呆れた顔で、それぞれに頭を振った。
「未熟な人間の発想じゃ。結婚がすべて? 結婚などは苦しい課題の宝庫じゃ。課題発生のための便利なシステムだと言っても過言ではない。それが最終目的とは、呆れて物も言えぬわ」
「たとえ苦難が待ち受けていたとしても、私は竜司さんとなら乗り越えていけると思ったのよ! 彼となら、どんなことも頑張れた」
「そこまで言うなら妹から彼を奪えば良かったではないか」
「そんなこと……それに……両親も……」
「両親?」
「はい。私が婚約準備をしていたことも知っていたはずの両親なのに、あっさり妹の結婚を認めたんです」
――子供まで出来たんなら仕方ないじゃない。諦めて――
――お前はまだ清い関係でいてくれて良かった。傷が浅くて済んだ――
まるで大したことでもないように、私の婚約をなかったことにしようとした。
子供が出来たなら、体の関係があったなら、私の十数年に及ぶ恋心より勝るというのか。そんなバカな話がある?
竜司さん一色だった私の十数年は、そんなつまらないものだったの?
ううん。違う。
私の青春のすべてであり、存在のすべてだったのだ。
「じゃがまあ、子供の存在は大きいじゃろう。両親も可哀想だとは思っても、そう結論づける以外なかったのじゃと思うぞ」
「そればかりか……」
「まだ何かあるのか?」
「すっかり部屋に引きこもっていた私に信じられないことを言いました」
「信じられないこと?」
「はい。別の男と結婚しろと。こんないい話はないからと」
「ほう。いい話ならば結婚すればいいではないか」
「バカなこと言わないで! 私は竜司さんが好きなのよ! それに……それに私は知ってるんです」
「知ってる? なにをじゃ?」
「その相手の男は、父の経営する工務店の関連会社の息子で、経営難に陥っていた父は、私の結婚で自分の会社を吸収合併してもらおうと思ってたんです。私の気持ちなんかまったく無視して、自分のために政略結婚させようとしたんです」
「それですべてが丸く収まるなら、それでいいではないか」
「な!」
無神経な翁の発言に、再び私は怒りが込み上げた。
「そんなのおかしいじゃない! なんで私だけが……。妹は竜司さんと結婚して幸せになるのに、私だけ父の会社のために好きでもない男と結婚するなんて、酷すぎるじゃない! 私の方がいつだって妹より努力して、真面目に生きてきたのに。こんな理不尽なこと許せない! みんな自分勝手でずるい人ばっかり」
「じゃから復讐するために自殺したのか?」
「そうよ。私の自殺で、妹は祝福された結婚式なんてあげられないわ。姉の婚約者を寝取って自殺させた人殺しだと後ろ指差されればいいわ。そして父も母も、妹ばかりをひいきした自分に後悔して苦しめばいい。吸収合併の話がなくなって倒産したってどうでもいい。私と引き換えに会社を守ろうなんて虫が良すぎたのだと気付けばいいわ。そして竜司さんは……私を失って悲しんでくれたらいい」
「……」
翁たちは、しばし唖然としながら私の復讐劇を聞き入っていた。
そして一斉に全員が頭を抱えた。