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婚姻届を出す朝に(離婚届シリーズ第二弾)  作者: 夢見るライオン


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休日のお買い物①

 日曜日、前日約束した通り、近くの喫茶店に誠也さんとモーニングを食べに行った。


 アンティークな雰囲気の店内は、朝だというのに薄暗い。対照的にマスターはやけに明るい人で、誠也さんの同級生らしい。


「おう。いらっしゃい、新婚さん。お前もついに結婚したか」


 丸メガネにちょび髭が、気取っているようでいて不思議に嫌みに感じない人だ。


 結婚の話を知っているぐらいだから、誠也さんの仲のいい友人なのだろう。

 そして隣に立つ私を見て大げさに驚いた顔になった。


「おお、わっか! 十才年下だっけ? しかも超美人。うらやましい」


 客商売をしているせいか、アクションが大きくて話を盛るタイプらしい。


 この明る過ぎる人に無表情の誠也さんはどう対応するのだろうかと隣を見上げた。


「……」


 なんのことはない。相変わらずの無表情に無口だ。


 マスターの問いかけもおべっかもすべて無視して「奥は空いてる?」と尋ねた。


「あれ? 紹介してくれないの? 相変わらずつれないヤツだな」


 彼は慣れているのか気にした様子もなく「空いてるよ。いつものでいい?」と聞き返して誠也さんのまばたきだけのうなずきを見てカウンターの中に戻っていった。


 どうやら友人に私を紹介する気はないらしい。その程度の妻だということか。


 まあ、いいけど。


 どうせあと一ヶ月しかないのだから。



 誠也さんの定位置らしい奥の席は、他の客の視線が入らず落ち着く場所だった。


「ゆうべはよく眠れましたか?」


 誠也さんに尋ねられて、そういえば久しぶりによく眠れたのだと気付いた。

 死後裁判から目覚めてから、ずっと眠れない日が続いていた。


「よく眠れました。嫌な夢は見ましたが……」

「嫌な夢?」


「昔バーベキューで溺れた時の夢を……」

「……」


 誠也さんは少し驚いたように私を見つめた。


 喫茶店の小さなテーブルの距離で見つめられると、ちょっとドキリとした。


 今日は休日だからか、髪も下ろしたままでメガネは銀ではなく黒縁だった。

 Tシャツにパーカーを羽織ってジーンズを履いただけの姿が似合っている。


 仕事とプライベートの切り替えが激しい人らしい。


「休日は黒縁のメガネなんですね」


 沈黙に耐え切れず、どうでもいいことを尋ねた。


「ええ。身につける物を変えないとくつろげないので」


 そりゃあ、あの七三頭に銀縁メガネじゃ寛がないだろう。


「その方が似合ってますよ。いえ、コンタクトの方がいいかも。そしたら私なんかと結婚しなくても、よりどりみどりだったんじゃないですか?」


 ゆうべずっと考えていたことだ。


 本当にどうして婚約破棄されて自殺未遂までおこした(彼が気付いているかどうか分からないが)私なんかと結婚しようと思ったのだろうか。


 とりあえず、昨日一日一緒に過ごしてみて、大きな欠点のある人ではなかった。


 確かに無口で必要最低限のことしかしゃべらないのは気詰まりではあるが。


 このルックスと社長という肩書きに、あの豪邸がついてくるなら世の女性が放っておかないだろう。


「僕は……結婚するつもりはなかったのです。でも香百合さんならしてもいいと思ったのです」


「私なら?」


 熱烈な愛の告白なのかと思ったが、照れた様子もなくマスターが話の内容に気をかせてそっと置いていったサンドイッチをさっそく頬張ほおばっている。


「この玉子サンドを食べてみて下さい。世界一美味しいですから」


 マスターの機転はまったく不要のものだったようだ。


 どうやら尋ねられたことに答えただけで、そこに熱烈な愛がこもっている訳ではなさそうだ。そうだろうとは思ったが、この辺の空気の読めなさは欠点かもしれない。


 ため息をついてサンドイッチを一口食べた。そして……。


「‼ 美味しい!」


 本当に美味しかった。


 トーストされたパンにバターとマスタードがたっぷり塗ってあって、ふわとろの厚焼き卵がサンドされている。そのバターとマスタードのからみ具合が絶妙だった。


 竜司さんと破談になって以来、食べ物を美味しいと思ったことはなかった。


 それなのに久しぶりに食欲というものがわいてくるのを感じた。


「そうでしょう。香百合さんに食べさせたかったのです」


 誠也さんは、当たり前のように答えた。


「……」


 なぜだろう。


 その言葉を聞いた途端、涙がこぼれそうになった。


「香百合さん?」


 誠也さんが首を傾げる。


「どうかしましたか? マスタードがきき過ぎましたか?」


「……」


 私は無言のまま、頭を振った。



 ずっとれ物に触るように気遣う周りの人達にうんざりしていた。


 母は気遣い過ぎだし、父はああしろこうしろと余計なお節介せっかいばかりだし、香蘭はびくびくとおびえたように私を見ていた。


 友人はみんな大げさにいきどおってみせたり、私より号泣したり嘘くさくて。


 みんなに気の毒な人だと気遣われているのがたまらなかった。


 私は一生、敗者の烙印らくいんを押されて、気の毒がられて生きていくのだと思っていた。

 もう誰とも会いたくないし、関わりたくないと引きこもった。


 このまま一生引きこもるか、自殺してみんなに復讐するかの二者択一しかないと思っていた。


 でも誠也さんは良くも悪くも私を気遣わない。


「竜司さんの代わりに僕が幸せにします!」なんて言われたら逆に腹を立てただろう。


 ただ美味しい物を食べさせたかったと答える彼の言葉が、ジンと心に染み入る。

 久しぶりに普通の人と話したような気がした。


 とてもとても普通で当たり前の会話が心地よかった。


 竜司さんのようにトキめいたりドキドキするようなことはないが、この人となら一ヶ月穏やかに過ごせそうな気がした。


「香百合さんには次からはもう少しマスタードを少なめにするように注意しておきましょう。もう一人前、作り直してもらいましょうか。それとも別のものを」


「いえ。このままで。とても美味しいんです。だからどうかこのままで」


「大丈夫ですか?」


「はい。もう一つもらってもいいですか?」


「それはもちろん。良かったら僕の分もどうぞ」


 誠也さんが妙に淡々と答えるのが可笑おかしかった。


 あまり女性慣れしていないだけで、やっぱり悪い人じゃなさそうだ。


 竜司さんのように女性の扱いに慣れているのがカッコいいと思っていたけれど、今の私には誠也さんの朴訥ぼくとつさが心地いい。


 悪くなかった。



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