初夜②
だれ?
バスタオルで髪を拭きながら黒のジャージ姿で現れた男に身構える。
「え? 誠也さん?」
ぴっちり七三分けにしていた前髪が下ろされ、トレードマークの銀縁メガネを外すと誰だか分からない。おまけにさっきまでのセールスマンのようなスーツを脱いでラフなジャージ姿になると、急に男くさくなった。
しかもちょっとイケメンぽい。
「あ、風呂上りはいつもこの恰好なんです。香百合さんも楽な服装で構いませんよ」
なんだか言うことまでイケメンぽくなった気がする。
何度も言うが、普通の女性ならこれはラッキーな展開だ。
堅苦しい朴念仁だった男が、普段着になると思ったよりイケメンだった。
喜んでいい展開だ。私以外なら……。
しかし竜司さん一筋の私は、扱いやすい草食堅物男と思っていた相手が、イケメン肉食男子に変身した気分だ。手強くなった気がする。
さっきまでの堅物男なら、なんとか言いくるめて一ヶ月逃げ切れそうな気がしていたが、男の色気まで出してきたこの相手は一筋縄でいきそうにない。
「香百合さん?」
「は、はいっ!」
「疲れているでしょうから、お風呂に入って今日は早めに寝ましょう」
「ね、寝る……」
「なにか他にしたいことでもありますか?」
「したいこと……」
濡れ髪で尋ねる誠也さんが間近に迫る。
「どうかしましたか?」
このシチュエーションで美化されているのか、結構なイケメンに見える。
まさか、このギャップ萌えであちこちの女性を手玉にとってきた遊び人?
そうなると竜司さん一筋の恋しか知らない私に太刀打ちできるはずがない。
こうなったら……。
「誠也さん、お願いがありますっ‼」
もうダメもとでお願いしてみるしかない。
私はソファから降りて、床に土下座した。
「香百合さん。どうしたんですか?」
誠也さんは驚いて自分も床に膝をついた。
「一ヶ月だけ……一ヶ月だけでいいので、心の準備をさせて下さい!」
「心の準備?」
「えっと、その……誠也さんを夫として愛したいとは思っているのですが、まだ、あの……心の傷が少し残っていて……怖いと言いますか……その……」
「ああ……」
そこまで言って誠也さんは気付いたように頷いた。
誠也さんはお父さんの話では竜司さんと破談になった事は知っているはずだ。
今さら隠すつもりもない。
だったらそれを言い訳に使うのが一番説得力がある。
「その他のことは何でもします。料理も洗濯も掃除も。誠也さんが居心地がいいように全力で頑張ります。だから一ヶ月だけどうか……」
必死に懇願する私の手は震えていた。
「……」
誠也さんは黙ったまま、その震える手に自分の手を重ねた。
それだけでびくりと体が跳ねた。
そんな私をなだめるように、誠也さんの手がぽんぽんと私の震える手を撫でた。
「分かりました。香百合さんの心が癒えるまで何もしません。だからそんなに怖がらないで下さい」
「!」
あまりにあっさりと応じてくれたので逆に驚いた。
初めて誠也さんをいい人かもしれないと思った。
◇
「この部屋を香百合さんの専用部屋として使って下さい」
私の懇願を聞いて案内されたのは、いわゆる主寝室という部屋だ。
ダブルベッドにドレッサーがあって、広いウォークインクローゼットには私が引越しパックで送ったダンボールがそのまま置かれていた。
テレビと二人掛けのソファもあって、一流ホテルの一室のように充実している。
「で、でも誠也さんは……」
「僕は今まで使っていた個室がそのままあります。ここを二人の寝室にしようと用意しましたが、香百合さんの心の整理がつくまで僕は自分の部屋にいます」
「そ、それでいいんですか?」
「良くないと言ったら聞いてくれるんですか?」
「!」
蒼白になる私を見て、誠也さんの目が優しく細まった。
そして子供にするようにポンと頭を撫でた。
「嘘ですよ。僕も実は独身生活が長くて、急に誰かと暮らしたりなんて出来るのかと不安だったんです。まずはお互いに共同生活をしながら慣れていきましょう」
やっぱり本当にいい人かもしれないと思った。
銀縁メガネをかけている時は気付かなかった表情の変化が、微かに見える。
口元は動いてないが、目元はちゃんと温かい表情を持っていた。
「では、ちょうど僕も仕事が残っているので、あとは自室で仕事を済ませます。香百合さんはお風呂に入って、この部屋でゆっくり休んで下さい。明日は僕の友人がやっている喫茶店でモーニングを食べて、その後いろいろ買い出しをしましょう」
「あ、ありがとうございます」
初めて心から礼を言った。
愛してはいないが、一ヶ月だけの結婚相手が誠也さんで良かったと初めて思った。
次話タイトルは「幽霊」です




