初夜①
「そうだ。これを渡しておきます」
食事が終わると、誠也さんは日用グッズを差し出す気安さで小さなケースを差し出した。そして目の前でパカリと開けると、大小の結婚指輪が並んでいた。
「え?」
私は指輪と誠也さんを二往復して固まった。
「婚約指輪はいらないとのことでしたが、結婚指輪は用意するべきかと思って買っておきました。今日の日付を彫ってもらっています」
「結婚指輪……」
本来ならフラッシュモブでもして劇的な演出で渡すものじゃないのか。
いや、それは婚約指輪か。
それにしても店屋物のどんぶりご飯を食べた後で思い出したように渡すものじゃないはずだ。
人間がつまらないと渡し方もつまらない。
ただ、指輪自体は好きなブランドのシンプルなもので良かった。
「勝手に決めるのはどうかと思ったのですが、入院中だったのでお店の人に選んでもらいました。気に入らなかったら買いなおしてもいいですが」
「いえ。これでいいです。私の好きなブランドなので」
これ以上私のためにお金を使って借りを作りたくない。
「……」
もしやお互いに指にはめ合うとかいう儀式でもやりたがるのかと思ったが、ケースを開いたまま私が指輪をとるのを待っているようだ。どこまでも愛想のない男だが、私の場合はありがたい。
「ありがとうございます」と言って小さい方の指輪を抜き取った。
「……」
そのまま鞄の奥にでもしまい込みたかったが、無言で見つめる誠也さんの圧力に負け、仕方なく左手薬指にはめた。サイズはぴったりだった。
母に聞いたのか、意識不明で入院している間に測ったのか。
どっちにしても気持ち悪い。
この左手薬指は竜司さんにもらう指輪のために、ずっとあけていたのに。
どんなオモチャの指輪でも、竜司さんからもらう指輪以外ははめないつもりだった。
それがこのよく知りもしない男の適当に買った指輪をはめることになるなんて。
自分の惨めな運命を呪いたかった。
そして私が指にはめるのを、やけに鋭い視線で凝視している誠也さんが怖い。
この指輪が、もう誠也さんから逃げられない重い枷のように思えた。
はめた途端、ロリコン変態男の正体が出て「もうお前は俺のものだ。何一つ逆らうことは許さない」とでも言われるんじゃないかと恐る恐る誠也さんを見上げた。
しかし彼はホッとしたように「良かった。ぴったりだった」と安堵していた。
どうやらサイズが合うか心配で凝視していたらしい。紛らわしい。
ほうっと安心したのも束の間、次の試練がやってきた。
「香百合さん。先にお風呂をどうぞ」
「えっ!」
ついにこの時がきたかと心の中がざわめいている。
「い、いえ。先に誠也さんがどうぞ。あ、お湯を入れてきましょうか」
「では風呂場の使い方を説明するついでに、一緒にやりましょう」
風呂場はリビングと廊下を挟んで向かいにトイレや洗面所と並んで配置されていた。
「こちらがお湯でこちらが水です。シャンプーとリンスはここにありますが、好みのメーカーがあれば明日買いましょう」
子供に説明するように丁寧に教えてくれた。
脱衣所も広くて、ゆったりとした風呂場だった。
ちゃんとドアに鍵もついている。だがコイン一個で開けられる簡単なものだ。
まさかこの七三男が鍵を開けて乱入してきたりしないだろうか。不安だらけだ。
できれば誠也さんの入った後、たっぷり長湯をして恐怖の時間を先延ばしにしたい。
恐ろしくて考えたくないが、一緒に入ろうなんて言い出さないだろうなと誠也さんを見上げると、目が合ってしまった。向こうも私を見ていたようだ。
「な、なんですか?」
「いえ、別に」
誠也さんは銀縁メガネをくいっと上げて、目をそらした。
絶対今いかがわしい事を考えていたに違いない。この変態め。
いや、夫婦なのだから彼に非はないのだが……。
「では先に入りますね」
誠也さんが風呂場に消えると、一人残されたリビングのソファで、私はようやくほうっと大きなため息をついた。
やっと一人きりになれた。
あの朴念仁の無表情男と長く一緒にいるのは辛い。
これが竜司さんなら、一分一秒もそばにいたいのに。
「それにしても、なんとかこの後の問題を回避する方法はないかしら」
私は呟いて頭を抱えた。
このさいDVですら我慢するから、彼との夜の営みだけは回避したい。
他のことはどんなに辛くとも耐えられるが、それだけは耐えられる自信がない。
あれこれ考えているうちに、あっという間に誠也さんが戻ってきてしまった。
「は、早いですね。お風呂に入るの……」
ドアに振り返った私は、一瞬言葉を失った。
だれ?




