恋敵は妹君⑪ ~約束~
口元をほころばせたラーナは月夜を眺めながら、ゆったりと後宮へと歩みを進める。
可愛いリャンを見て、満たされた気持ちを胸に抱き、今日は寝ようと思っていた。
美しく整えられた庭。真珠のような光沢を放つ月明かりを受けて、葉先がキラキラと輝く。
風が吹く。
肌寒く、手で隻腕の肩を摩った。
揺れる葉音とともに密やかに風が、池の香りを漂わせる
ここには潮の香りも、さざ波の音もない。
目を閉じれば、瞼の裏に海原が広がる。さっきまで曇りがかった空がみえていたのに、リャンと触れ合うだけで雲間から日差しが落ちる絵が見えた。
光は徐々に広がり、青い海原をラーナに見せた。
リャンと触れ合うだけで、心がこんなにも違う。
(不思議だな。
たった一人に、こんなに気持ちが揺れ動くなんて。
この人がいないと寂しいなんて気持ちがあると、知らなかった)
ほんの小一時間前、ラーナは自らの状態に気づきもせず、悶々としていた。そんなラーナにミルドは言った。
『庭の向こうに見える明かり。あれが前宮の灯りなのでしょうね』
その言葉で、庭を横切れば、リャンと会えると気づく。そうして、いてもたってもいられず、飛び出していた。
姿を見れるだけでもいいと思っていたのに……。
(まさか、会えるとは思わなかった)
もっと一緒にいたい。
そんな風に思う変化が不可思議でありながらも、心地よく感じるラーナはこれほどまで、自身が寂しがりであるとは思っていなかった。
外から戻ったラーナをミルドが迎え入れる。
「見つかりませんでしたか」
「たぶん、見つからなかった」
「リャン様とは会えましたか」
「会えたよ」
草と土で汚れた沓を受け取ったミルドは、後でこっそり洗おうと、自室の奥へ運び、戻ってきた。
ラーナは、寝衣に着替え、階下の一人用の寝台に腰をかける。
リャンが来ない日は、ラーナの身の回りは静かだ。
一通りの世話をしてくれた女官は去り、夜はミルドと二人きりになる。
「リャンは忙しそうだった。文机には、おそらく嘆願書だな、それらが広がっていたんだ。今夜は、こちらまで来る余裕はなさそうだよ」
「そうでしたか」
「ちょうど廊下に出てたリャンと会えた。それだけで良かった。邪魔をしてはいけないからね。
昨日は一日、私たちと一緒にいたのだ。仕方ない……」
寝台に座り、片足をあげ、そこに肘をついたラーナが眉を潜めて笑う。
「寂しいでしょう、ラーナ様」
「そんなことはないよ。と、言いたいところだが、ミルドにはばれてしまっているよね」
「ええ。長い付き合いです」
「私についてきたミルドは寂しくないのかい」
「慣れてます。ラーナ様に拾ってもらうまで私は一人でしたから。ここには、ラーナ様もいて、親切な女官たちもおります。私の人生のなかでは、にぎやかな方です」
「そうか……」
「片や、ラーナ様は、島では人々に囲まれて暮らしていました。海に入れば、魚や海獣もいる世界に比べれば、ここはとても静かでしょう」
ラーナは膝を抱えて、ほほ笑む。
「確かに、そうだね」
「島とここは違いすぎます。慣れない世界におられて、心もとなく感じるのは普通です」
「故郷が恋しいと思うことは、自然なことか……」
生まれてこの方、これほどまでに海から離れたこともない。
人の笑い声も、繰り広げられる宴も、海岸での姦しい会話も、躍る者も歌う者も、なにもない、誰もいない。
親切で優しい人々に囲まれていなければ、生きた心地がしなかったかもしれない。
「弱いなあ……」
「普通ですよ」
ラーナは隻腕を伸ばした。
袖は半ばで垂れ下がり、風に揺れる。
「リャンは隻腕を受け入れてくれた。
そして、私はここにいると決めた」
一人の男に頼ることは、心もとない。
もっと律しなければと強く思っても、すぐに萎えてしまう。
焦っても、座学は牛歩のようにしか進めない。
慣れない世界で、これほどまで頼りない自分に切なくもある。
ジュノアに嫁ぐと決めたのはラーナであり、リャンと共に歩むと決めたのもラーナだ。
悔いてはいない。
ただ、御殿にいるなら、一日に一度は会いたい。それだけなのかもしれない。
「リャンは忙しそうだった。今日は後宮には来てくれないだろう」
言い聞かせるように独り言ちる。
二人は沈黙する。
草間から鈴を鳴らすような虫の音が鳴り響く。
ラーナを慰めるためミルドは茶を淹れてあげようと動き始めた時だった。
廊下から人の気配がした。
急いで歩いてくる足音に、ラーナもミルドも何があったかと顔をあげる。
廊下に明かりがさし、先んじて歩いてきた女官が廊下に座り、伏せた。
明かりが一層強くなり、影がさす。人の形の影が伸びてゆき、リャンが現れた。
みるみるラーナの目が見開かれる。嬉しくて泣きそうになった。
「すまない、待たせたね。ラーナ」
頬を紅色させ、息を切らすリャン。急いできたのだとラーナも気づく。
幻を見せられているかのようで、思わず腰が浮いた。
よろめくラーナ。
リャンは走り寄り、その身を支え、手を取った。
「上に行こう」
「……いいのですか」
声はかすれていた。仕事を投げて、後宮まで急いできた姿に信じられない思いだった。
「いい。御殿にいる時は、少なくとも夜は、ラーナといることにする。昼間は、ラーナも色々学ぶことがあるだろう。
互いにやることはあるが、夜は。夜と朝は、一緒に過ごそう、なっ」
「……はい」
笑顔のリャンに、ラーナの両目が潤む。
リャンに手を引かれて、ラーナは階段へ導かれた。
珍しく、しおらしいラーナを女官とミルドは、微笑ましく見送った。
二階には誰もいない。
二人きりになったリャンは、握ったラーナの手を掲げ、口元へと寄せる。
柔らかな肌に頬ずりし、唇を触れ合わせた。
唇を手の甲に擦り付ける横顔のリャンがラーナに後目を向ける。
ラーナの背を戦慄が走る。
(この人は、男なんだ)
急に、自分を女だと自覚したラーナ。
なすがまま、リャンに身を預けようと決意する。
唇を離したリャンがラーナの手を引き、広い寝台へと向かう。
二人はその上に乗った。
リャンはぱふんと仰向けに寝る。枕を引き寄せ抱いた。
ラーナはリャンの足元に座り、帯に手をかける。
半身を起こしたリャンが振り向き、ドキリと胸が高鳴ったラーナは手を止めた。
きっと、リャンがこの帯を引くのだろうと思った。
「ラーナ、私はお返ししたぞ」
「お返し?」
珍しく、悪戯っぽくはにかむリャンに、ラーナは小首をかしげる。
「ラーナが言ったじゃないか。
『次は、リャンからしてくれるのを待ってます』って。
だから、ちゃんと返しにきたよ」
笑顔のリャンは、まるで褒めてとねだる幼児のように映る。
「あの、さっきの……、私の手にしてくれたのが……、ですか」
照れたリャンがはにかみ、すぐ隣側を、手のひらでポンポンと叩いた。
「さあ、一緒に寝よう」
ラーナは呆気にとられる。
さっき帯を引き、前身ごろを開こうと手をかけかけて、やめて正解だったと気づく。
リャンは、ラーナの行為をそのまま返してくれるのを待っていると、言葉通りにとっていたのだ。
苦笑するしかない。
ラーナからしてみれば、心だけでなく、身体すべてリャンに捧げるつもりだったのだ。そういう含みをこめた言葉のつもりだった。
島で姦しい女たちから、男女のあれこれを聞き及んでいたラーナからしたら、リャンの解釈は理解に苦しむ。
認識が違いすぎる。
しかし、今までのリャンを鑑みれば、こんなものかと納得できる。
「どうした、ラーナ。夜も遅いぞ」
もう一度、隣を軽く叩き、今度は手を引いた。
明白に、リャンは、一緒に寝る、だけのつもりだ。
(まったく、この人は……)
ラーナはリャンが望むまま、うつぶせに寝転がる。
そして、肩をぶつけた。
「本当に、リャンは可愛らしい方ですね」
囁きながら、さらに近づき、その頬に唇を寄せた。
あたたかな感触にリャンは目を白黒させる。
「次は、リャンからしてくれのでしょう」
えっ、えっ、と戸惑うリャンが赤くなる。
ラーナは目を細めて、眩しそうに彼を眺めた。彼が唇を寄せやすいように片頬を上向けた。
ラーナが待っていると思うと、リャンも照れながら、顔を近づける。
唇を触れ合わそうとした時、ラーナが首をもたげた。
「あっ……」
ラーナの突然の動きに、驚くリャン。
動きが止まりかけたリャンの唇に、ラーナは口づけた。
触れ合うだけで、すぐに離す。
ぽすんとラーナは頭を枕に落とす。
真っ赤になったリャンが、身動きできずに固まってしまう。
ラーナは満足げに目を細めた。
「さあ、今夜はゆっくりと寝ましょう。リャン」
固まってしまったリャンは返事もできない。
「照れるリャンも、恥じらうリャンも、どんなあなたも可愛いあなたですね」
両手で顔を覆ったリャンは、そのまま寝台に顔をうずめて、いやいやと頭を左右に振った。
耳も首も真っ赤に染まる。
ラーナは、ふふっと笑って、もう一度耳元に口をよせた。
「可愛い」
呟けば、またリャンはいやいやと頭を振る。
胸いっぱいになったラーナはリャンの方に体を横向け、口元をほころばせながら目を瞑った。
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短い連載が始まります。
『仕組まれた婚約破棄』
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作者の所感↓
このまま続き書いたら、ヒロインがヤンデレ化しそうな小説になってしまった(ため息)




