恋敵は妹姫⑩ ~月夜~
(ラーナが庭を横切って、こちらにくる!?)
あわあわしながら、リャンは左右を見回す。誰もいないことを確認し、廊下に座り込んだ。
(なんでだ。なんで、こんなところに)
人影はどんどん大きくなり、やがてくっきりと姿をさらす。
月明かりの元に輝く麗人に、リャンは息を呑む。
(どこまで、かっこいいのだ。ラーナは……)
廊下に座り込むリャンを見つけて、ラーナは悠然と闊歩する。
あと数歩というところで立ち止まった。
互いの視線が絡み合う。
「夜風を当たりに外に出たら、迷ってしまいました」
笑みを浮かべ、とんでもない言い訳をかますラーナ。その余裕ある姿に騙されそうになりかけて、リャンは閉口する。
(迷うような距離ではないだろう。後宮の明かりもくっきりと見えるのに、嘘をつくな。いや、嘘でもいい。嘘でも……)
会いたかった。
今朝がたは一緒にいたのに、半日しか経っていないにもかかわらず、わき上がる気持ちが苦しくて、リャンは胸に手を当て、衣服を握りしめる。
ラーナがリャンに近づく。
御殿の床は地面より高く造られている。庭に面した廊下には、洒落た柵もついている。
リャンは廊下の際に進みより、柵に手をかけた。
ラーナも庭側から、柵に手をかける。
地面と床の高低差から、庭に立つラーナと廊下に座り込むリャンは同じ目線で向き合った。
ほほ笑むラーナがまばゆい。気恥ずかしいのに、リャンは目を逸らせなかった。
(会いたかったのだ)
前宮で仕事をしていると、ラーナが居なかった頃に戻るようであった。
なのに、彼女の姿を見るだけで、リャンの意識はすべて持っていかれる。
隔てる柵がもどかしい。今すぐにも、これを取っ払ってしまいたい。呼びかけたいのに、声も出ない。鼓動が高く早く鳴り響く。
ラーナには、リャンが呆気にとられているように見えた。常識外れな行動に仰天させて、申し訳ない気持ちが募る。
眉を寄せて、笑む。
「嘘です、リャン。
会いたくて、来てしまいました」
リャンには、ラーナが寂しそうに見えた。
(ああ、私の方が先に、そう告げたかった)
悔しい。
(私の方が、ラーナを好きでいるのに……)
すぐに緊張し、声も出なくなる身が歯がゆい。
悔しがっている姿も、恥じらっているようにしかラーナには見えなかった。
そんなリャンを慈しむラーナは、柵に頬をよせ、もたれかかる。その手が、柵を掴むリャンの手に添えられた。
雷に打たれたように、互いにぴりっと痺れる。言葉なく、じっとする。
(可愛いなあ)
ラーナ限定で、表情が豊かなリャンを見ているとじわじわと暖かくなる。
リャン越しに部屋の奥を覗けば、文机に書類が詰まれ、床にも散っていた。忙しい最中だと、ラーナも理解する。
(ここに来たことも、ここにいることも、私のわがままか……)
結局は、ラーナはリャンに甘えきれない。
「戻ります」
沈黙を切ったラーナが、柵から身を離す。当然、リャンに触れていた手も離れてゆく。
思わず、リャンは腕を伸ばした。
去り行くラーナの肩を掴む。
止められたラーナの両眼が見開かれる。
「行く……」
「リャン?」
「今夜も、必ず……、行く」
「お忙しいなら、無理しなくても、かまいません。私は、ここで会えただけで十分です」
リャンは頭を左右に振った。
「私が会いに行きたいのだ。私の伴侶は……、ラーナだけだから」
照れるリャンの語尾はしぼむ。
「私も一緒です。リャン以外を伴侶にする気はありません」
「私の伴侶もまた、ラーナ一人。私の心が、ラーナから離れるなどありえない」
離れかけたラーナが再びリャンの傍による。ラーナの肩を掴んでいた手が浮く。その手のひらに、ラーナは自身の手を滑り込ませた。
絡みつくように握り合う。
「もし、あなたの心が私から離れたら、私は生涯、独り身でいいのです」
目を閉じたラーナは、握ったリャンの手に頬を寄せ、唇を押し付ける。
柔らかく暖かな感触が手の甲から伝わったきたリャンは震えた。
唇を寄せたまま、ラーナは上目遣いで、リャンを見据える。
唇を離す。
リャンの手から力が抜け、絡みついていた指が解かれる。
「次は、リャンからしてくれるのを待ってます」
笑顔のラーナが背を向ける。
悠々と元来た道を引き返していく。
リャンは柵を両手でつかみ、そこから飛び出たくなる。なのに、腰が砕けて、立ち上がることもできなかった。
月夜の下で、去っていくラーナの影を見送り、そのまま、ぱたりと廊下に倒れた。
(かっこいい。
ラーナはどこまでもかっこいいのだ。
寂しそうな哀愁漂う笑みもまた、趣きがあって、いい)
両手で、顔を覆い、左右に体を揺らしてもだえるリャンの動きがピタリと止まる。
(いや、あの哀愁、切なさよりも、朗らかに笑うラーナの方が良い。
でも、あの哀愁漂う笑みを浮かべさせている原因が、私にあるというのは、なんという贅沢か。
まるで、ラーナの心を私が独り占めしているような錯覚を覚えてしまう)
再び、身体を左右にゆすり、身悶えする。
仰向けになり、指を開き、天を仰いだ。
(ラーナを元気付けられるのは私だけなのか?)
じんわりと幸福感に包まれる。
夜空には星が瞬く。
(もうこんな時間か……)
ひょいっと身を起こし、あぐらをかくと、両手で髪をかき上げた。
(フェイもいる。官吏もいる。
私一人で、すべてを行う必要はないのだ。
今までは、地方に出て、見聞を広げ、人脈を作る意味もあったが、これからは、少し考えも行動も改めるべきか)
フェイも官吏も、報告書をすぐにリャンに渡さなかった意図も分かっている。
(いつまでも逃げてはいられないな。恥ずかしがっていても仕方がないよな)
異国より従者一人を連れて、身一つでやってきた姫である。
故郷の面影のない国で、頑張っている彼女を支えるのは、誰か。
(私しかいないだろう)
今日はこれで、仕事をおさめることにしたリャンが立ち上がった。
文机周辺に戻り、嘆願書の整理を始める。
「フェイ、いるか」
「はい」
「書類を片づけてほしい。残りは、明日以降とする」
「かしこまりました。片づけは私が行います。殿下は、後宮へどうぞ」
無言でリャンが歩き出せば、控えていた女官が足元を照らし、追随する。




