2,二の姫は輿入れを受け入れる
父の宣告を受けた夜。
ラーナは自室の窓辺から月を見ていた。
傍には子どもの姿のまま大人になったミルドがいる。彼女はラーナのためにお茶を淹れていた。
(私が嫁ぐ……)
ラーナは頭をがしがしとかいた。
(生涯、結婚など無縁だと思っていたのにな)
ラーナは右腕の肘下から欠損している。幼少期に海辺で遊んでいて、海獣と間違えられたのか、海岸に打ちあがったシャチに喰われたらしい。
海の猛者に襲われた記憶はラーナにはない。ただ、控えていた戦士に、銛を打たれたシャチは、すぐさま海へ逃げたものの、助けられたラーナの右腕は無くなっていたのだ。
物心ついた時には片腕がなかったラーナにとって右腕は生まれた時からないに等しかった。
動きのない腕を見下ろす。肩にかけた薄手のストールで覆っている。その傷口は常見せないようにしていた。見慣れた家族であればいざ知らず、初めて見る者は驚くものである。
丸い月が高い。その月の向こうに、嫁ぎ先の大国ジュノアがある。
月明かりと波に反射する光が虚空で遊ぶ。その明かりに照らされるヤシの木がまばらに砂浜まで生えている。
月を掲げる空の下。広がる海原から、ざざあざざあと波の音が絶え間なく鳴り響いてくる。
ラーナの部屋は二階にあり、海まで続く景色がよく見えた。
「ラーナ様、お茶がはいりました」
ミルドの声がして、室内に目を向ける。おぼんを恭しく運んできて、ラーナの前に置くと、頭を垂れてすすっと後ろへと下がった。
窓辺に座椅子を置き座っていたラーナは苦笑する。
「ミルド。ここには誰もいない。そんな風にかしこまられたら、私も寂しい」
「ラーナ様。ミルドは傍仕えです。分はわきまえております」
ふっとため息を床に落とし、ラーナの手は茶が注がれた茶碗に伸びる。
「ジュノア国から取り寄せた茶葉でございます」
ジュノア国の茶器は小さく、茶は独特の香りがする。強く甘い芳香はまるでお香を焚いたかのように広がる。
ラーナはふいっと素っ気なく外へ目をやり、茶碗を口に添えた。一口含み、舌で苦みを味わい、鼻で息を吸って吐く。芳香を楽しんでから、のみくだした。
「私は、大国ジュノアへ行く。ミルド、今まで私によく仕えてくれた。ありがとう。これから先は、この国で自由に……」
「ラーナ様!! ミルドもついていくつもりです」
怒気鋭い声に、ラーナは打たれ、視線を部屋に戻した。
「ラーナ様。ミルドは、このなりです。隻腕の姫様と一緒に生きていくことを決めたのです。だから、私もラーナ様について大国へ行きます」
「ミルド、お前の姿は、この国では誰もが馴染み、受け入れている。私の相棒として、多くの者にも認められている。
だが、ひとたび異国の地に赴けば、その姿を人がどう捉えるかわからない。この国に残る方が、健やかにくらせるのではないか」
「おっしゃる通りですね。でも、ミルドは、姫様に忠誠を誓っています。姫様の失われた片腕が私なのです。その片腕を置いていこうという姫様の方がずっとひどい方です!」
早口でまくし立てたミルドをラーナはじっと見つめる。膝を正していても、気持ちが急いたミルドは前のめりに叫んでいた。
(その気持ちはわからないでもないか……)
家族はラーナにことさら甘い。
海で自由に遊ぶのも、ミルドを傍仕えにするのも、すべてラーナの自由意志を尊重してくれた。
ミルドは島のはずれでひっそりと暮らしていた。背格好を気にして、彼女自ら村はずれに身を隠していたのだ。
子どもにみえるものの、年齢は良い年である。出会った時には、もうすぐ四十になる頃だった。
ラーナが拾ったのだ。
片腕になってほしいと誘って。
互いに何かを失って生きている者同士、半人前が協力すれば、一人前になるだろうと笑った。
ミルドにとって、ラーナは眩しかった。
どうせ陰ながら生きる人生なら、海原をかける太陽を追いかけて生きるのも悪くないとついていった。
今さら、捨てられるわけにはいかなかった。
ラーナが嫁ぐなら、ミルドもついていくのは、必然の必然だ。
残っても、岩陰にひっそりと暮らす人生が待っているだけと知るミルドの心内をラーナはひしひしと感じながらも、態度だけは素っ気ないままとした。
「いいだろう。何が待ち受けているか分からないが、私の片腕としてついてくると良い」
茶碗をラーナはあおった。空になったそれを盆に戻す。
「かの国には後宮があるという。
王が複数の女を囲っているのだろう。私もその妃の一人になるだけだ。王が相手にする妃が何人いるのか。日陰になれば、王と会うこともあるまい。私が嫁ぐのは、王太子か。まだ王ではなかったな」
「まだ嫁いでもいらっしゃらないのになんという」
「一の姫が嫁げば違うだろうが、私は姉や妹たちのように淑やかさはない。こんななりでは、男も辟易して愛する相手とみるわけがないだろう」
青く長い髪をかきあげて、ラーナはくすりと笑った。
ミルドは茶器を載せた盆を下げ、茶を淹れなおす。
「噂によるとジュノアの後宮は先々代の王が、内陸方面で見舞われた災害により夫を失った女子どもを保護し、教育したことから始まったのだそうだ。
エラリオ国の後宮制度を模したものだか、装いは大分違うだろう。エラリオは正妃に側妃数人は当たり前という国だからな。
方や、ジュノアは即席で作られた後宮。はてさてどんなものか……」
「はかりかねますね」
「私以外にすでに妃がいたとしてもおかしくはない。即席の後宮、女の保護と自立を目的に作られた場。行ってみなければなにも見えないな」
ミルドによって再び淹れられた茶がはいった椀を、月を見ながらラーナは手にする。
「心配なのは、一の姫である姉さんだ。あちらの国は女が競い合う真なる後宮だ。あの優しい姉が私は心配でならないよ」
再び茶碗をあおり、ラーナは口角を上げた。
焼けた肌も月明かりに照らされ白んで見える。青い髪を光が撫でた。
「ジュノアの茶は美味いな。この茶を毎日飲めるのを楽しみにするのも悪くはないか」
ラーナの心には常に海原があった。
性根の優しい家族と海に抱かれて、信頼できる傍仕えとともに奔放に生きた時間は終われども、ラーナの心底に広がる海までは誰にも奪うことはできないのだ。
今日から投稿再開します。
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