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19,愛を得て、愛がつながる

 ラーナが突き出した腕を、リャンは凝視する。


 傷は古く、残った痕は、もう癒されることなく生涯残るとまざまざと見せつけた。


 だからなんだとリャンは思う。

 どういった事情で腕を欠いたか、リャンはまだ聞いていない。しかし、海には獰猛な生き物が多くいることは聞いていた。

 人を喰らう生き物も紛れており、海に潜るのは危険が伴うぐらい承知している。


 リャンは手を伸ばし、恭しくラーナの隻腕に触れた。

 少しもたげ上げる。

 

 笑みを絶やさないリャンにラーナはぞくりと背が震えた。


 リャンは隻腕の先端に唇を落しあてた。


 それがラーナの一部なら、リャンに気圧される理由はなかった。

 いつ頃怪我をされたのだろう、傷の古さからみると子どもの頃か、きっと痛かったろうな、などという、労わりと慈しみがリャンの胸中に広がる。


 ラーナが抱える痛みをおもんばかるリャン。

 そんなリャンを信じがたいと見つめるラーナ。

 

 触れて、離れるを繰り返すリャンの唇。


 見開かれた目を潤ませたラーナは、リャンのするがままに受け入れる。


 リャンの指が、隻腕の傷痕をなぞる。すこしだけ、体を寄せて、回り込むように、肘から肩にかけて流れる傷痕に頬を寄せ、唇を寄せた。


(愛している)


 ずっと胸のうちで連呼する言葉は、指先と唇を通して、ラーナの皮膚を伝いあげ、その心に雫を落す。


 海に捨ててきたと思った乙女心はラーナの奥深くに眠っていた。急に体が熱くなり、わき上がるように腹の底から痺れた。


 ラーナは女であり、リャンは男である。その事実が、しっかりと刻まれた。


 陥落したラーナは、へなへなと力を失う。

 倒れるかというほど、力を失いかけたラーナの背にリャンが腕を回した。


 男は腕に力を込めて、ラーナを抱き寄せていた。


 体中が熱くなり、顔を真っ赤にしているラーナはリャンの肩口に頭部を押し付けた。恥じらいが全身を包み、顔が上げれない。


 隻腕を受け入れると示す男が現れることは想定外であり、腕に唇を押し当てて、ちらりとラーナを見た瞳はもうラーナの心から消せる気はしなかった。


 愛するとはどういうことか。

 愛されるとはどういうことか。


 学ぶときは一瞬であった。




           ◇  




 リャンがラーナの身体を静かに離し、食べましょうと声掛けし、二人は食事を始める。


 ラーナはこの部屋にいるのが二人きりで良かったと思っていた。こんなおしとやかな姿は誰にも見せたくなかった。


 見計らっていたかのように、女官たちは温かい料理を運んでくる。


 それぞれの生い立ちや、故郷の様子、家族のことなどについて、話しながら、食事をすすめた。


 日が暮れて、夜になっても、話をしていた。

 

 もういい時間だと言うことで、だだ広い寝台に横になり、向き合って話していた。


 天井を眺めるリャンは、出向いてきた地方について話すうちに、寝てしまった。


 ラーナは眠り切れず、リャンの寝顔を見つめていた。


「……」


 寝台に横になってからは、リャンはよく喋った。笑い、照れて、この数年間でこなしてきた仕事について淀みなく語った。耳を傾けるラーナは余計な言葉を挟まず、相槌を打っていた。

 そんな話の途中でリャンは寝てしまったのだ。


 静かになった寝室、深い闇夜、月明かりだけがおぼろげに部屋を照らす。


(リャンがこの部屋に泊っていく意味は大きいだろうな)


 愛されることを受け入れるにも覚悟がいるものかと、ラーナはため息を吐く。


 本心は逃げたくて仕方がない。


 逃げたくなるなら、初めから大国ジュノアに行かなければよかったのか。しかし、ラーナは性格上、母から離れたくない甘えっこの四の姫が泣きながらジュノアの船に乗り込む姿を見送ることはできなかった。

 ラーナは、海原を渡る自分も好きだが、家族も大好きだった。


 隻腕のラーナをリャンが愛するなら、そこにまた新たなラーナが生まれるだろう。すでにもう胸のうちには何かが芽吹き始めていた。

 それがきっと、大国ジュノアの王太子妃としてのラーナなのだ。


 ラーナは体を起こした。


(遠くに来てしまった)


 距離だけでない。心も含めてだった。


(まだこの道は入り口だ。きっと先はもう少し、長い)


 ラーナが眠れなかった理由はもう一つある。ぎゅっとしめられた帯がきつかった。胃に食べ物を入れて、お腹が膨れたせいもある。

 ジュノアの料理は美味しくて、ついつい食べ過ぎてしまう。


 あと、喉がからからに渇いていた。


 酒も少し飲んでいる。リャンはラーナより飲んでいた。だから、しゃべり、寝てしまったのだろう。


 寝台から出て、片づけられた机を横切り、階段をラーナは降りた。


「ミルド、ミルドはいるか」


 奥から、ミルドが出てきた。


「どうされましたか」

「喉が渇いたんだ。水を飲んでから眠りたい」


 ラーナの言葉に反応したのは女官だった。そそっと近寄り、水を差しだす。それをぐいっとラーナは飲み下し、おかわりというと、また女官が持ってきた。二杯飲み切り、一息つく。


 ラーナは帯の端に手をかけて、引いた。するりと縛り目はほどけ、前身頃が露になる。ミルドはするすると帯を巻き取り、ラーナから受け取った。


「私はこれより、二階で寝る」

「はい」

「お前はどうする、ミルド」


 二階で寝るとは、『私は王太子妃になり、大国ジュノアに骨をうずめる』という意味であった。返事をしたミルドもそれを十分に分かっている。


「私はラーナ様の傍仕えです。暇をもらうのは、死した時で……」

「そうか」


 ラーナは踵を返した。

 二階にのぼり、朝まで降りてくることはなかった。



 翌朝、半分酔ったまま寝ていたリャンの絶叫が響き、階下に控えていた従者のフェイと女官たち、そして、ミルドは、苦笑いを浮かべた。


 おそらく、これから慌てふためき、青ざめ、赤くなるリャンをからかうラーナの茶番が見れることだろう。




            ◇





 ミルドは、少しだけ複雑な思いで、ラーナについてきた。


 四十近くまで、一人でひっそりと暮らし、人里から少し離れたところに住んでいた。村には時々出ていき、施しをもらうこともあった。石を投げる者も、虐げる者も、暴言を吐く者もいなかったが、ぴたりと小さな体のまま成長が止まり、子どもの姿のまま生涯を終えるのだと自覚した時、いたたまれずに人の輪から逃げたのだ。


 ラーナがミルドを知り、ミルドがラーナを知ったのは必然だった。互いに欠けたものがある同士、どことなく気になったのだ。


 ミルドは、隻腕でありながらものともせずに海に出ていくラーナを手の届かない存在として眺めていた。だから、彼女がミルドを片腕にすると言った時は、信じられなかった。姫の申し出とあり、断ることはできなかった。


 ミルドの胸に、そんなラーナと出会ってから今までの時が懐かしく、もう二度と返ってこない日々なのだという喪失感が去来する。


 ラーナが二階に消えた後姿をミルドは生涯忘れないだろう。


 ラーナが変われば、二人の関係性も変わる。いずれはミルドをラーナは必要としなくなるかもしれない。それはどこか、娘を旅立たせるような気持ちに近かった。


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