18,試す女と試される男
リャンの宣言に一番、目を白黒させたのはラーナだった。
「私を妃にされるとは……」
声はかすれていた。
ラーナは妃になると思っていなかった。
異国から嫁いできたとしても、他の妃候補たちと比べ、女性らしさが欠けており、隻腕でもある。大国ジュノアの文化にも疎いのだ。
仕方なく側妃にでもされれば、時期をみて海に近い地で暮らすか、故郷に帰りたいとまで思っていた。
二人は机に盃を置く。
殿下はまた照れて、下を向いた。
「あっ、はい。まだ、色々、お互い知らないこともありますし、今日のところは、夕餉をともにし、色々、本当に、色々、お話できたらと思います」
恥ずかしそうにはにかむ殿下を見ていると、ラーナにもその照れがうつってくる。面映ゆくなり、目のやり場に困り、天井を見上げた。
(いったい、なにがどうなっているのか)
深呼吸をして、リャンのうつむく顔を、ラーナは見つめた。視線に気づいたリャンが顔をあげ、照れながら微笑む。
(殿下は本気なのか)
リャンの表情に、ラーナは硬直する。
他国から輿入れし、喜ばしいことでありながら、気持ちは沈んだ。自然と手が隻腕の肩を抱く。
「殿下。なにをお考えなのですか」
「なにを、とおっしゃいますと」
「真意がはかりかねます」
「えっと、なにがでしょうか」
「私を、妃にされるというのは……」
沈黙が二人をつつむ。
妃になることを望んでいないラーナはリャンに発言を否定してもらいたい。
否定とまではいかなくても、何かしらの意図があってのことだと言質が取れれば、政治的な理由や、ただの気遣いなら、無用ときっぱり言いたかった。
隻腕の姫なら突き返されても仕方ないと、島国は受け入れるから外交上の理由も配慮しなくていいと伝えたかった。
情けで妃になる気はない。もし残るとしても、飾りの妃と言われるぐらいでちょうど良かった。
腕を欠損し、一の姫のように美しく舞うことはできないと知った日に、ラーナは、自身が男の愛を受ける日はこないと確信した。
心の一部を捨てた。男も、女も、家族も、誰もラーナの欠点を揶揄することはなかったのが、その優しさの中で、諦める選択を自ら選んでいた。
結婚を望まない。男でもなく、女でもない。そんな居場所に落ち着いていた。
ミルドを拾ったのも、彼女が人生を諦めていたからだ。その生きざまは、まるでラーナの未来を見るようであった。
結婚はしない。
伴侶と出会うこともない。
それでも、朗らかに生きれるものだ。
人と違うことを、堂々と受け入れるため、海へ女の自分を捨てていた。
男でも、女でもないラーナだからこそ、胸に海原を抱いていれた。
今さら、女になれる気はしなかった。
ましてや、今日の昼過ぎにあったばかりの人に、結婚を申し込まれるなど、想定外であった。
リャンの真顔は崩れない。
ラーナの方が動揺し、顔色が悪くなっていた。
「本気、なのですか」
「はい」
「よろしいのですか」
「いいとは?」
「私で……」
再び沈黙が包む。
意思決定したリャンは惑うことはない。すべての決断が正しいとは考えないものの、ある点までその決断を押し進め、新たな条件なり現象が起きてから再考する癖があった。
「はい」
いままでの奥手で恥ずかしがりで照れやな一面が消え、リャンはきりりと答えを返す。
「他国から輿入れした姫だから、お気を使われているようなら、そのような配慮は不要です」
「そのような気遣いはないです。ラーナ様だから、私はあなたを伴侶としたいと思ったのです」
「なぜ?」
再び沈黙する。
二人の関係はすっかり逆転していた。
ラーナは不安げにリャンを見つめ、リャンは堂々とラーナを見つめる。
リャンは中央の居室を訪ね、小窓からラーナを見とめたことを思い出す。
(男らしいと感じ、目を奪われた。凛とし、麗しい姿は、理想そのものに見えたが……、捉えようによっては、一目惚れ、か)
妃候補たちの前に、ふらふらと誘われるように、自ら進み出た。そんな行為を選ぶ心理を一目ぼれと言わずしてなんと言えばいいか。これぞ運命の出会いと、リャンの胸は高鳴った。
右の大国エラリオが一の姫を望まなければ、左の大国ジュノアが数年遅く妃を求めたら、ラーナがジュノアに来ることはなかった。
リャンはそれを知らない。
本来、リャンが出会うはずは、豪族の妃候補たちと似た、島国ムーナの一の姫や四の姫であった。
ラーナはそれを良く知っている。
二の姫とは、島国ムーナが差し出す本命の姫ではないのだ。ただ、大国エラリオが一の姫を望み、四の姫が幼すぎた今だから、代理できたのだ。
しかし、それもまた縁。知っても知らなくても、出会ってしまった歯車は回りだす。
「私が、あなたに惚れたのです」
リャンが静かに告白すると同時に、ラーナは隻腕を隠している袖を手で掴んだ。
強い力で引き下げると、身頃と袖の縫い目がぶちぶちと裂けた。
瞠目するも、リャンはラーナの為すことを静観する。
袖が引き破られ、はらりと床に落ちた。
船で大国ジュノアに入ってから、ラーナはずっとジュノア特有の衣装を身につけていた。その民族衣装は袖が長く、ラーナの欠けた腕を覆い隠してくれていた。
袖ははためくものの、傷を伴う片腕が露わになり、誰かを不快にさせることはなかった。同時に、好奇な目を向けられることもない。
傷口を見なければ、幼少期に事故で失った小話に、同情を得ることもある。妃候補たちは、お可哀そうに、と言った。
奇異な目、好奇の目、不愉快の目に比べたら、慰められる方がましだった。
ラーナは、欠いた腕を突き出した。
シャチに襲われ喰われた傷は、ぼろぼろのつなぎ目として皮膚に残る。成長に伴い皮膚が伸び、肘の方に傷がずれ、裂かれたような傷痕が肩に向かって走る。
「これが私です。私なのです」
これはラーナからリャンへの無言の宣告。
(私は、妃にはふさわしくない)
裏を返せば、こうなる。
(あなたに私を愛せるのか)