17,隻腕の二の姫は王太子妃に選ばれる
白い寝衣を身につけているラーナが、腰まである青い髪を揺らし、たんたんと躍るように階段をのぼっていく。
その後ろ姿を見上げるリャンは、階段をのぼり始める手前で、手すりに手をかけ動きを止める。
丸みを帯びた臀部と細い腰回りが目につき、どんなに男性的に見えても、やはりラーナは女性なのだとリャンに気づかせた。
(細い腰のわりに、豊満な臀部をしているのな)
丸く形の良い臀部は、大き目で安産型。
出産は体力もいる。
島国ムーナの娘たちは誰もが海へ潜るという。踊りが好きで、昼夜問わず、暇があれば、踊って遊んでいると聞きおよんでいた。
大国ジュノアで妃教育を受ける豪族の娘たちは、園庭で玉を蹴るような遊びしかしない。舞いもするが、優雅さを尊ぶ。体力差は明白だろう。
王の後宮で過ごすなかでリャンは側妃の出産を遠目に伺う機会があった。出産は一大事であり、その苦しみは、男に耐えられるものではないという。妹を取り上げた産婆が言っていた。『もう少し体力があれば、もっと楽に出産できたろうに……。後宮で静かに過ごされ、産むまで体を労わりすぎなのです』と。
それはどういうことかと、リャンが産婆に尋ねたのは、ただの好奇心だ。
豪族の妃教育には運動は含まれていない。妃候補たちは、芸事を中心に学ぶ。嫋やかさを求められる。
王太子になり、王になる。王太子妃を選べば、次に求められるのは世継ぎだ。
(世には子どもを産むと同時に亡くなる女性もいるという。子どもを産んで、一年で亡くなる者も後をたたない。妃をむかえるならば、安産であってほしいものだ)
ふとしたところでリャンは現実にかえる。王太子という立場、妃を選ばないといけない事情、ジュノアの内情だけで妃となるように呼び寄せられた他国の姫、世継ぎを求められる妃の姿。
(異国で悩んでも相談する相手もなかなか見つからないだろう。後ろ盾がないままに彼女は飛び込んできたのだ)
それはとても勇気がいることだとリャンは素直に認めた。
(嫁いだ姫を島国ムーナに追い返すわけにもいかない。彼女を妃とするのが、互いの友好を示す最良な選択。表向き、他国の姫を正妃にすることに反対する豪族もいるだろうか。
ならば、彼女を守るために側妃として……)
打算を打ち消すように頭を振った。
ラーナに申し訳ない気持ちになる。
(違う、違う。義務とか、国同士の友好とか、そんなんじゃない。こんな風に、心が動くことが初めてなんだ)
憧れを抱かせるラーナの立ち振る舞い。それは、妃教育を受けてきた者とはまた違う魅力がある。
身のこなし方に目が奪われるのは、ラーナに沁みついている島国ムーナで培われた文化によるものかもしれない。
言動をふりかえってみても、懐が深く、優しい。穏やかで、周囲への気配りもできる。時には規律に囚われず、己の意志で選択する。
階段をのぼり始めながら、ラーナの背を見つめるリャンは冷静に推し量る。
顔立ちも美しく。ジュノアにはない青く長い髪は人目をひく。海へ潜り、踊り慣れたしなやかな身体は逞しく、豊かさに加え、頼りがいさえ感じさせる。かと思えば、背後から見た姿は女性そのものの柔らかさを見せる。
(懐が深いラーナ様。困っている私や、妃候補たちを楽しませ、さもそれが当たり前であるかのようにふるまい、押しつけがましくない。
ラーナ様自身さえも、その関係性を楽しんでいるかのようだった)
階段をのぼりきるまでに、リャンは肚を据えた。
(二階の方が階下よりいい。ラーナ様と二人きりで話ができる。互いにどんな人か理解し合わなくては始まらないだろう)
決心が固まった時、リャンは階段をのぼりきっていた。
二階で待っていた女官たちがラーナとリャンの姿を確認すると、食卓用の机に並べられた皿の蓋を取り始めた。
食事には、その文化特有のマナーがある。どうしていいか分からないらしいラーナが、階段を上がり切ったところで、困り顔で立っていた。
リャンはまごつくラーナの横を通り過ぎる。料理皿の蓋を取り払った女官たちが階下へと下がり始めるのと入れ替わるように、席に着いた。振り向き、ラーナに笑いかける。
「どうぞ、お座りください」
リャンは落ち着いてラーナと話をしたかった。
ちょっと目を丸くしたラーナが、リャンの隣に寄る。
「では、失礼致します」
横に座ったラーナが笑む。
リャンの心臓は跳ねて、体が火照る。思いっきり照れてしまい、上手く微笑み返せなかった。
リャンの前にいるラーナは変わらず、優し気であり、奥手なリャンを海原のように広い心で包み込むようであった。
(なんと、心地よいのだろう)
その時、リャンは、ラーナの背後に海を見た。
彼女の背後には、青い空と海が穏やかに広がっている。
幻が示したラーナの心象世界に、リャンは溺れるように、飛び込みたい衝動にかられた。
海のように広い御心に敬意が湧く。心底、待たせたことを詫びたいと思い、真っ先に会おうとしなかったことを後悔した。
「ラーナ様、長らくお待たせしてもうしわけございません。島国ムーナの姫君に面会を申し出もせず、もたもたしていたこと、心よりお詫びします」
「いいえ、気にせずに。この一週間、他の妃候補様方と仲良くなることができました。急な輿入れで、異国の文化に疎い私には、とても素晴らしい文化交流の時間を過ごさせていただきました」
「そう言ってもらえると、幾ばくか心が救われます」
リャンとラーナがほほ笑み合うと、金属の盃が二人の前に置かれた。
盃を手にして、高く掲げるリャン。ラーナも習う。
「今宵、島国ムーナから妃を正式に受け入れたことを表明します」
本心からリャンは、ラーナを妃とする決意を示した。
後悔などすることはないと根拠なく確信していた。