15,その夜、殿下が二の姫の元へきた
すべての準備を整えたラーナはミルドと用意されたお茶を飲みながら、ゆうゆうと自室で待つ。
「ラーナ様、どうお考えなのですか」
「どうって?」
「はぐらかさないでくださいね」
むすっとしたミルドはラーナにうろんな目を向ける。
「はぐらかすもなにも。私はこの国に嫁ぎにきたのだ、婿殿と一緒に過ごすのは当たり前だろう」
「ラーナ様、あなたはもともと嫁げるとは思っていなかった。島にいる時は、離縁されるとお思いで、ここに来てからは、四人の妃候補のうち誰かが選ばれるといいと思っていらっしゃいました」
「さすがミルド。すべてお見通しだな」
「茶化さないで下さい。だからこそ、それでよろしいのですか」
「いいというと?」
「大国ジュノアの王太子妃になることです」
真顔で問いかけるミルドに、ラーナは瞬いた。
「どうだろうね。夕餉をともにするだけのことだろう」
「ラーナ様、大国ジュノアにも事情があります。王太子になってから三年間、殿下はこちらに渡ってきたことがないと女官方から聞きました」
「それはそれは、あの殿下も筋金入りだね」
「仕事熱心で年の半分は国内を飛び回っている方でもあります」
「見かけによらず、有能なんだね」
「さようでございます。だからこそ、国中の者が、伴侶がきまることを今か今かと待ち望んでいるのです。
大国ジュノアの風習では、伴侶のいない王族は半人前とみられるようです。国中の期待を受ける王太子殿下だからこそ、今すぐにでも王太子妃を欲しているのです」
「……、それは私に殿下を誘惑せよと言っているみたいだな」
苦笑するラーナに、ミルドは真剣に詰め寄った。
「お覚悟ください。女官、従者一同、今宵殿下がお渡りになることで、姫様を王太子妃とする方向で動きはじめます」
(お覚悟ねえ……。元々、妃になるために輿入れしているのだ。抵抗する必要はないのだが……)
眉を高く上げ、口を折り曲げたラーナは、天井を見上げる。
「……窮屈ではあるな」
今まで、自由に生きさせてもらっていた島国の生活を思うと、真逆な生活である。子をもうけること、後宮から自由に出れなくなること、海に潜れなくなること、さまざまな制約を課されるだろう。
王太子妃としてやっていけるかどうか、今夜、ともに過ごしながら、ラーナは考える必要があると理解した。
今までのラーナの生活を思えばこそ、その違いを覚悟してほしいと、ミルドは言いたいのだ。
欠損している片腕に視線が向く。
生涯、ミルドと日陰で生きていく予定であったのに、大国に送られ、その中心に座ろうとしている。
欠けているものがある。当人は気にしなくても、相手は気にすることもある。口さがない者もいる。誰がどう出てくるか分からなくても、ものともせず、胸を張って生きたい。
(夫に見放されるようでは、生きにくいか)
妃となるラーナは弱くなる。
たとえ、心のうちで、自身を認めていられても、周囲の見方までは変えられない。心の海原を晴天なまま維持し続けるのは難しいだろう。
身体の一部を欠いたラーナを島の家族は認めてくれた。劣等感を抱かせず、自由に行動してよいとし、海上に居場所と役割を得ていくことを見まもってくれた。
すでに家族から離れたラーナ。独り身であれば、ミルドとともに笑って暮せただろう。飾りの妃であれば、隠遁し、故郷とさして変わらない暮らしもできただろう。
心が晴天の海原を抱き続けるためには、夫のあり様も影響する。 新しい家族と心を通わせる必要がある。対話し、認め合うことができるのか。
ラーナは、片手で膝を叩いた。
(そうか。私にとっても今日は大事な夜なのだ)
心配そうに見つめるミルドに気づく。彼女はラーナをずっと見守り続けてきた。女官とも交流し、情報を得て、冷静に事態を見ている。
良い傍使いだ、とラーナは内心賞賛する。ラーナを思い、盲目になりつつあることを諫め、別の見方を示すきっかけをくれた。
「ミルド、王太子殿下が私を愛してくれるといいな」
ただ呟き、お茶をすする。それ以上は、ミルドもなにも言わなかった。
程なく、食事の準備として、多くの女官が出入りし始める。食事は二階に用意された。ばたばたと準備が進められる様子をラーナとミドルは部屋の端で眺めていた。
一人の女官がラーナの傍にきて、頭を垂れると、今日の予定について説明を始めた。即席でも、妃候補として、殿下を迎え入れる作法も伝えられるものの、二階で夕餉が始まれば、いつもの調子でお話しくださいと伝えられた。
◇
リャンは、ただ食事を一緒に食べたいだけだと言い聞かせていた。
食事を終えたら、遅くならないうちに、前宮に戻るつもりである。
(初めて会ったばかりでは、戻ることが妥当。もし、遅くなり、庭を渡ることを女官たちが渋れば、真ん中の居室で一夜を過ごせばいい)
女官や従者の思惑など知る由もないリャンは一人平和にほくほくと納得し、ラーナの元へと急ぐ。
足元を女官が提灯で照らす。背後からは従者のフェイがついてくる。
リャン以外、皆、真剣だった。リャンが、夕餉が終わればすぐに戻ろうと考えていることなど、お見通しなのだ。
中央から伸びるラーナが住まう一角へ向かう。
胸躍らせ訪ねたリャンは部屋に入る直前で足を止めた。
白っぽい衣を着たラーナが平伏し、「ようこそ、おいでくださいました」と柔らかな声音で迎え入れる。
リャンは息を呑んだ。
妃候補は声をかけるまで、顔を上げない。通例であり、格式ばった習わしはリャンも重々承知している。
「面を上げてください」
かすれた声で呟くと、昼間の快活さがうそのように嫋やかにラーナは顔をあげた。
半歩後ずさりそうになるリャンは堪える。自分から訪問を約束して、逃げ出すわけにはいかなかった。
背後には、フェイが控え、横にも女官がいた。
ラーナの周囲にも女官が控え、ラーナの従者も隠れるように控えている。
(にっ、逃げられない!)
リャンは、女官とフェイの罠にまんまとはまった。