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「――すぐに呼び戻すべきだ。あれはただの伐採部隊だぞ!」
一時は危険な迂回路を使ってまでの進軍と思われたイガヤイム側の動きも、時が経つと確度の高い情報から間違いであったと判明する。
密偵、斥候の類いはごまんといてそれぞれ仕える主が違う。
何処かでは正しい情報を握っていても他者に開示するかどうかは別の話。
権力闘争に固執するエタウィの上層部ともなると足の引っ張りあいは苛烈を極めており、業を煮やした高官の一人が会議の場で激憤したのであった。
「この魔都の防衛を担う戦力までも費やして三方面への侵攻作戦など正気の沙汰ではない! 何処かは陥せるやもしれんがそれでどうする。次に待ってるのはあの無敵の龍騎士なのだぞ!」
高官の懸念はそれだった 。
攻めいった三ヶ所のうち、陥落させられるのは忌々しい赤龍を駆る騎士がいない地点のみ。
最初の侵攻時、赤龍を駆る騎士の存在など情報には無く用意していた大戦力を焼き払われていた。エタウィ側最大の誤算である。
そこからは同様の結果を恐れ小出しに戦力を投入する様子見程度の小競り合い。
だというのに、今回の大規模作戦とくる。大量の怪機素体の戦線投入。脳裏に過るのは件の大敗だ。
高官が二の轍を踏むのは御免と叫ぶのも当然といえる。
「……なればこそ、ではありませんか?」
会議場に血の匂いが流れ込んだ。
「失礼。途中で割り込んでしまった無礼を謝罪します」
男は隻腕ながら会議場の扉を器用に閉めると言葉を続けた。
「無敵の龍騎士、良い表現だ。向かうところまさに敵無し。魔王様が与えてくださった強力な人形ですら敵わない。奴さえ現れなければ容易く王都まで進軍しアムストゥ王の首も獲れたはず……」
自身の研究室から会議場に直行した男は血塗れだ。
先ほどまで己が研究に勤しんでいたせいである。
濃密な血臭は戦場を遠く離れて会議するだけの人間達には些か以上に刺激が強く会議場の人間の多くが眉を顰めた。
「――そんな言い訳を摂政様はいつまで許して下さるのでしょうね?」
その一言に会議場全員の肝が一気に冷えた。
摂政が――あの毒婦がこの停滞を良しとするはずが無いのだ。
全員の意見がこの時ばかりは固く一致する。
「僕は今回の作戦を無意味とは思わない。むしろ、ここでイガヤイムの連中を絶対に叩かなければいけないんです」
「……その理由は?」
はじめに叫んだ高官が男に問うた。
「そろそろ本格的な冬になるからです」
「冬になるからなんだというんだ?」
高官は男の答えに理解を示さなかった。
大して思考する素振りも見せない高官に隻腕の男は内心舌打ちするが温和な態度のまま説明する。
「冬になれば今までのような街道の往来は出来なくなります。イガヤイム側からすれば外部との取引も難しくなるので様々な消費を嫌うようになるでしょう。冬を越すのに必要な食糧と燃料は特にです。そうなればその両方を大量消費する戦闘行為なんてもってのほか」
「なんだこちらとしては願ったり叶ったりじゃないか。我々の人形だって無限じゃない。最近じゃ生産するより消費する方が多いくらいだ。冬の間、休戦するのなら悪い話じゃ……」
「休戦……ならいいですがね」
「なんだ! どういう意味だそれは!」
高官が食いついてくると男は口の端を上げた。
「イガヤイム側にとって我々は酷く面倒な存在でしょう。いつ攻めてくるやもしれない敵であり厳しい冬を越す前に片付けておきたい悩みの種なんですよ」
「待て……つまり、それは」
「このまま放置していたなら一気呵成に魔都を攻め滅ぼしに来る可能性もあります」
休戦等と甘い事を言わずにまだ本格的な冬の到来前のいま彼等は動き出すやもしれない。
全戦力を動員し、守勢から一転して攻勢に打って出て魔都にあの龍騎士を差し向けるかもしれない。
男は朗々と考えられるだけの『最悪』を高官に吹き込む。
「そ、そんな、どうすればいい!?」
「だからこそ、今回の侵攻作戦です」
優しく宥めすかすように男は囁いた。
「手持ちの怪機素体の多くを失う事にはなりますが、それによってイガヤイム側に大きな損害をもたらせます」
主要な街道が閉ざされることで追加の戦力補充は春を待たねばならなくなる。
破壊された防衛網の再構築にも人手と費用が必要となり、エタウィを攻める余力など無くなる。
敵兵と敵防衛陣地を損耗させたとあらばそれは喜ばしい成果として摂政にも報告出来る。
そうしてメリットを並べ立て、今作戦の正当性を男は高官に言い含めた。
「これでも呼び戻すべきでしょうか?」
「……いや、いい。素晴らしい作戦だこのまま進めよう」
高官が納得し、是と言えば話はそれで終いだ。
これ以降に反論を言うものもおらず後は成り行き任せに結果を待つのみとなった。