雪降る朝の星と月
新年一発目。
銘尾友朗さま主催「冬の煌めき企画」参加作品です。
旧作ですが、ご感想、評価くださったら喜びでハイジャンプします。
よろしくお願いします。
あとがきにキャラ紹介あります。
傘、忘れちゃったな……。
この時期の東京では珍しく雪が積もっていた。地元のように、スノードームを振りたくったような密度の大きい降り方とは違う。大きな雪片が花びらのようにちらちらと降っている。
昨夜は常連さんカップルの結婚祝いだったからお客さんも盛り上がって、店仕舞いが遅くなったから俺も店で寝泊まりしたんだ。昨日は曇っていたけど雨もなかったし、じゃあ傘はいらないやって。
今日と明日は定休日。だからといって家に帰れば仕事があるんだけど。
「このまま帰るか」
この程度なら駅まで十五分歩くくらいは平気だろう。ダウンジャケットを羽織って店を出る。冷気が肌を刺す、午前七時のことだった。
雪はまだ降っている。グレーのダウンには、小さな白い塊が乗っている。
「やっぱ傘いるかぁ……」
店を出てから五分くらい歩いた、人気のない路地で俺は呟いた。
そのままゆっくり歩いていると、手の感覚がなくなるほど冷たくなっていることに気づいた。気づいて、指先を揉んでいると、「おい!」とハリのある若々しい男性の声が聞こえる。いや、それにしても寒い。地元も寒かったけど東京もここまで気温が下がると――
「おい、おっさん!」
また男性の声が聞こえる。
そういえば東京で積もるほど雪が降ったのってどれくらいぶりだっけ? 上京して二十年以上も経つと忘れてるものだな。
「おっさん! 呼んでんだよさっきから!!!」
右腕にパシンッと軽い衝撃を受けた。
「え? あ、俺?」
「他に誰がいんだよ! アンタ周り見てねえな!」
怒り混じりに言う男性は、俺よりも若い。大きい垂れ目にシャープな顔の輪郭、薄い唇がクールな印象を際立たせるイケメンだった。
彼が大きく呼吸をするから、白い息が流れた。俺はどうして彼に呼ばれたのかわからなくて、彼に聞いてみた。
「えっと、何かな?」
俺がそう聞くと、頭が何かに覆われる。見上げると黒い布と、布を支える丈夫そうなカーボンの骨。
「入れよ。頭にも積もってる」
俺を傘に入れた青年の手が俺の頭や肩に積もった雪を払う。若い男の子らしく、彼の手は細長い。
「ありがとう」
「家どこ?」
「ああ、うん。駅跨いで五分くらいのところ」
「じゃあ駅まで行くぞ」
「うん」
俺は、彼と歩幅を合わせた。
雪はまだ止まない。歩きはじめたところに自動販売機を見つけて、彼にホットレモンを買った。彼は華奢な右手を温めるように、熱を持つ小さいペットボトルを転がしていた。
「君は仕事?」
俺が聞くと、「もう終わった」とぶっきらぼうな返事が返ってきた。
「もしかして夜の仕事?」
「一応。ホストだから」
「へー……」
ホスト。癒しを求めて来店した女性に夢を見せるのが仕事だ。彼の端正な顔を見ていると、人気もありそうだ。それに、頭に雪をのっけた中年の男を知らんぷりしないあたり、気遣いが出来る子なのかも知れない。
「それは確かに、周りを見て動くことが求められる仕事だよね」
「そう。おっさんみたいにボーっと生きてるやつには無理な仕事」
「酷いなぁ。俺だって経営者なんだよ? 小っさいダイニングバーだけど」
「経営者? アンタが?」
彼が鼻で笑う。ねえ、さっきからバカにされてる。
なんだよ。俺だってノロマなことは自覚してるよ。年甲斐もなくムキになって反論した。
「いや、店は常連さんがいるくらいには繁盛してるんだよ? もちろん前のオーナーのときから来てくれる方もいるけど!」
「ふふっ! ごめんごめん!」
彼が目をくしゃりと潰して笑った。
笑いが治まった彼が何かに気づいたように、「あれ?」と言った。
「なあ、前のオーナーって……。アンタが自分で開いたわけじゃないってこと?」
「ああ、そうそう。十年前から前のオーナーの下で働いてて、オーナーが引退するときに引き継いだから……もう四年経つかなぁ」
「ふーん、その前って何かやってたの?」
彼の好奇心を含んだ目が俺に向いていた。
「普通に有楽町でサラリーマンやってたよ。化学メーカーの営業だった」
「はあっ!? 普通じゃねえよ! めちゃめちゃエリートじゃん!」
「いやいや時代だよ。俺は同期に比べたらダメな方だったし」
っていうかそれだけで会社絞れるの? すごいね。心の中で彼を褒めながら、俺は若い頃の話を始めた。
東京の大学を卒業したあと、化学メーカーに就職した。今の若い子だったら警察や弁護士に助けを求めるようなことが横行していた時代で、俺は「バカでノロマなダメ社員」の烙印を押されて働いていた。同期にミスを押し付けられたり、上司に土下座している頭を踏みつけられることもあった。
もちろんハラスメントもあったけど、山しかない田舎町で誰かに押さえつけられることなく育った俺には、あの仕事自体向いてなかったのかも知れない。
「まあ時代が時代だったし、色々あったね。それで……」
あの時の記憶はほとんどない。だけど、
「俺、備品室のドアで首吊ってて」
彼が息を飲んだ音が聞こえた。
誰かにこの話をするときは、決まって心臓がいつもの三倍速く動く感覚がある。親しい人でも、初対面の人でも、嫌われたくない気持ちが動いてドキドキするんだ。
会社では俺のことで大騒ぎだったらしく、入院していた俺のもとに上役が来て土下座をした。謝罪ではなく、要求だった。
「『頼む辞めてくれ。そして墓場まで持ってってくれ』」
端正な顔を顰めた彼は、右手に持ったホットレモンを見たまま何も言わない。そんな彼に俺は辞めた会社のフォローをしておくことにした。
「でもね、今はだいぶ良くなってると思うんだ。もう辞めちゃったからよく知らないけど、今は倫理的な規範も守らなきゃ叩かれる時代だし」
それに、辞めてからは元オーナーやお客さんたちとの良い出会いが続いて、今までそこそこ幸せに生きてる。
「だからね、俺と同じ会社で俺と同年代の人がお店に来ても責めな――」
「足元!」
「うわっ!」
彼の忠告も手遅れで、左足が足首まで雪に埋まった。
「あはは、嵌まっちゃった……」
笑ながら言う俺を、彼が呆れ混じりに笑って見ていた。
俺の話をしているうちに、最寄り駅に着いた。といっても俺は駅をトンネルのように通過して帰れるから電車は使わないけど。
「ここからならいい?」
「やー、ありがとう。助かった!」
彼は「コンビニで傘買えよ」とぶっきらぼうに顎をくい、と動かした。
クールに優しさを見せる彼に「そうするよ」と答えた。
「あ、そうだ! よかったらコレ!」
俺は彼に、店のドリンクチケット――ドリンク無料のクーポン券――を渡した。
「Stella?」
彼の爽やかなテノールが、店の名前を呟いた。
「そう、Stella。前のオーナーが星野さんだったから。俺は諸星。ちなみにコレ偶然」
「マジで? なんか運命って面白え」
ドリンクチケットを眺めた彼の目が、幼さを残して笑った。
「気が向いたら来て。それじゃあ」
俺が彼に背中を向けると、「なあ、諸星さん」と彼の声。
「ん?」
「アンタ危なっかしくて面白えからさ、今度俺が接客してやるよ」
そう言いながら、彼が出したのは箔押しされた質のいい名刺。
「ノーチェ…?」
名刺には、『Noche 月島潤夜 -Tsukishima Junnya-』と書かれている。
「そう。六年やってて男相手に渡したの初めて。男だけでも来店OKだし、初回は高くないから」
「すごいなぁ……うん、行くよ」
「フッ……じゃあな。滑ってコケんなよ」
彼、潤夜くんは俺に背中を向けて歩きながら、冷めたホットレモンを持った手を振った。
潤夜くんが駅を出たあと、名刺をポケットにしまう。雪はもう止んでいた。積もった朝の新雪を踏む感覚と、彼が立つ夜の世界に招待された未知の高揚感が、俺の中ではすごく手触りが似ていて、今更ながらに、新しい世界に踏み込むんだと感じた。
お付き合いいただき、ありがとうございます。
キャラ紹介
・諸星正恭…42歳。都内にある小さなダイニングバー『Stella』の二代目オーナー。シャープなルックスの前オーナーと違って、のんびり屋で柔和な雰囲気を持ち、常連客をほっこりさせる癒し系。北陸のすっごい田舎町に住む両親に楽をさせたくて東京の大手企業に就職したが30歳で退職。その後、『Stella』の前オーナーに拾われた。潤夜と出会い、煌びやかな世界を知るまでは、ひとり穏やかに暮らしていた。昼はエッセイをWebや雑誌のコラムで不定期投稿して収入を得ている。
・月島潤夜…27歳。本名は高月悠平。超一流のホストクラブ『Noche』のキャスト。ナンバーに必ず入っている。クール系のイケメンでぶっきらぼうに見えるが、困っている人はほっとけない。客への気遣いだけでなく後輩のフォローにも回る。役者を目指してレッスンを受けていたが、当時高校を卒業したばかりだった妹が元カレに騙されて借金を背負ったことから夢を諦め、ホストの道へ。借金を完済した現在でもホストを続けているのは、他にやりたいことがないから。