第十話 月に叢雲、酒に陰 その五
用を足すと手洗い場で顔を洗う。
顔の感覚からして、思ったより酔いが回っているようだ。
部屋に戻る前に水でも貰おうか。
「すまない、待たせた、な……」
席を包む緊張感。先程までのものとは何か違う。
そして見慣れない人物が一人。
「いいから私に付き合え! そんな安いのではなくもっと上等の酒を奢ってやるぞ?」
「お断りいたします」
私より二十は年上の男がルビナを無理に酒に誘っているようだ。
あの量の瓶を見て驚かないのかと思ったが、女将が片づけを始めたようで、机には瓶が二本だけだ。元は……、よそう、酔いが醒める。
「私はこの街を守ってやってるのだぞ? 酒に付き合う位の礼は必要だと思わんか?」
「こ、困りますよ。こちら、連れの方がいらっしゃるので……」
「黙れ! 飲み屋の女将風情が! 引っ込んでいろ!」
成程、酒に酔った非番の騎士か。
道理で周りの常連達が遠巻きに見ている訳だ。
「私の連れが何か失礼を働いたか」
「ディアン様!」
「何!? 連れだ!?」
間に入って声をかけた私に、男は恫喝に近い対応。
これでは破落戸と変わらない。
「貴様のような奴に用は無い! とっとと部屋に引き上げるがいい!」
「そうさせてもらおう。ルビナ、行くぞ」
「はい!」
ルビナを連れて行こうとする私の肩を掴む男。お願い、寝かせて。
「その娘は置いてけと言っているのだ!」
「断る。ルビナは大切な客人だ」
「生意気ぬかすな!」
って! いきなり殴られるとは思わなかった。
しかし酔っているからか訓練が足りないのか、不意打ちでも大した威力は無かった。
酒の効果もあってか、殴られた頬の痛みも弱い。
「ディアン様!」
「大丈夫だルビナ。大した事は無い」
「大した事は無い、だとぉ!?」
ルビナを安心させようとした私の言葉を挑発と勘違いして、正面から殴りかかってくる男。
だが私も騎士の端くれだ。
「いでででででででっ!」
拳を払ってつんのめったところを腕を掴んで捻り上げる。
軽く背を蹴り、膝をついたところで床に組み伏せた。
ふぅ、対人訓練を真面目にやっておいて良かった。
さてこの男、どうしようかな……。
小心騎士の貴重な戦闘場面。
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