タウフィークの願い
人の手によって作られた道ではなく、敢えて木々の合間を走り抜ける。
ザッザッと草花をかき分け、私は必死に足を動かした。
その数歩手前で、タウフィークさんは周囲に気を配りつつ、目的の場所へと歩を進める。
手は剣の柄に添えられ、いつでも抜刀できる体勢だ。
不意に、道が開けた。
(屋敷の周りが木に囲まれていたから、山を駆け下りている自覚はあったけど……これはちょっとビックリだね)
予想外の情景に、私は思わず足を止める。
そこは街だった。
人の行き交う、とても栄えた街だ。
洋装に身を包んだ紳士淑女、ズラリと建ち並ぶ小洒落た店、当たり前のように行き来する馬車。
まるで中世の映画のワンシーンである。
「よし、行こう。ここは貴族御用達の街だからね。なるべく目立たないように、下を向いているんだ」
「……はい」
そっと囁かれた声に頷いて、私はギュッと羽織の襟元を握りしめた。
顔を伏せれば、タウフィークさんが丁寧な仕草でエスコートをしてくれる。
傍から見れば、貴族の娘と従者にしか見えないだろう。
ゆっくりと歩き、気配を極力消して、道を横断する。
そうして建物と建物の合間にある、細い路地へと入った。
その路地を抜けると、目の前には馬車が一台停まっていた。
「もう大丈夫だよ」
タウフィークさんのその声に、私は知らず知らずのうちに詰めていた息を吐き出す。
「この馬車乗るんだ。信頼における者に手綱を握らせている。安心して良いよ」
「葉月さんは? 」
心細くて尋ねれば、タウフィークさんは「大丈夫」と頷いた。
「葉月はすぐに来る。それまで、君は馬車の中で待機しているんだ。俺はこれから桃源郷に戻らなくてはいけないから、葉月が来たら君とはお別れだ」
お別れという言葉に違和感を覚えたが、私は素直に了承した。
「わかりました。あの、タウフィークさん。助けに来ていただいて、本当にありがとうございました。何とお礼をしたらいいのか……」
ほとんど関わりのなかった私を、こうして助けてくれたのだ。
何かお礼が出来たら良いのだが。
そう伝えれば、タウフィークさんは優しく微笑んだ。
「礼なんて必要ないよ。困っている人達を助けるのは、守り屋の仕事だからね。それに──」
そこで一度話を切って、タウフィークさんは静かに目を伏せた。
「初めての……そして、最初で最後の、我儘だったんだ。その言葉を聞いてやらない兄などいない」
感情を押し殺すようなその声は、明るくて陽気な普段の彼とは、似ても似つかないものだった。
「タウフィークさん……? 」
戸惑いを隠しきれずに声をかければ、タウフィークさんは痛みを堪えるような表情で、ガシリと私の両肩を掴んだ。
「結奈ちゃん、葉月を頼んだよ」
強い思いを秘めた赤い瞳に、私は思わずたじろいた。
「それって、どういう──」
タウフィークさんは胸ポケットから懐中時計を取り出しつつ、私の声を遮った。
「もう、時間が無いんだ。もしも何かあったら、これを葉月に渡してくれ。何も無ければ、結奈ちゃんが持っていて」
いいね? と念を押しつつ、手渡されたのは、ずしりと重みのある巾着だった。
片手に収まるほどの大きさで、紐によって口を縛られている。
「わかりました」
色々と浮かぶ疑問を問わずに、私はしっかりと目を合わせて頷いた。
任された、と伝えるために。
そうすれば、タウフィークさんは幾分か表情を緩め、礼を述べた。
巾着袋を裾のポケットに入れると、私はタウフィークさんと別れて、馬車に乗り込んだ。
(すぐに来るって言っていたけど、まだみたいね。今なら……いいかな? )
路地の先を見据えて、私は狐耳が見えないことを確認する。
そして、着ていた羽織を頭まで被って──
(あー!! どうしよう! 私、今頃気づいちゃったけど、葉月さんのこと好きだ。師匠愛とか言っていたけど、この感情は恋だったのね。……はっ! 羽織から葉月さんの匂いがする!! なんか抱きしめられているような──)
「結奈さん、お待たせしました。……結奈さん? 」
(あ、葉月さんだ。良かった、無事だったのね。……ん? 私、今どんな格好をしているんだっけ? )
私はピシリと固まって、客観的に自分の姿を想像する。
一、馬車に乗っている。
二、他人の羽織を頭から被って、匂いを嗅ぎまくっている。
三、悶えている。
結論、恥ずかしい!!
馬車は、私の「忘れてください!! 」という叫びと共に発進した。




