救出と脱出
葉月さんが好きだと、私はその場に似合わない感情を抱いた。
だが、今はその感情に浸っている余裕など無い。
現に今、私は喉元にナイフを突きつけられ、葉月さんはそのせいで私に近づけない。
鋭く睨みながら、葉月さんが一歩後退する。
そのとき、ガラス張りの外から、朝日が差し込んだ。
爽やかな朝。
一日の始まり。
そして──
セドリックがニヤリと笑った。
「時間だな」
ナイフをぐっと握り直し、セドリックは私の心臓に目掛けて振り下ろした。
時間はゆっくりと流れている。
死に際を焦らすように。
向かってくるナイフに、私は堪らず目を瞑った。
「やめろ!! 」
切羽詰まった葉月さんの声。
風の切れる音。
鎖から感じる無機質な感触。
私の脳内には、母と父、そして葉月さんの顔が浮かんだ。
(あぁ、これが走馬灯ね……)
すっと体の力が抜けて、頬に一雫の涙が伝う。
「……え? 」
至近距離で聞こえた戸惑いの声と、なかなか来ない衝撃に、私は恐る恐る目を開けた。
涙でぼやけた視界の先で、ゆっくりと崩れ落ちる体。
音を立ててナイフが床に落下した。
そして、私の傍らには、いつの間にか兎耳の騎士が立っている。
「え? あれ? ……タウフィークさん? 」
訳が分からなくて目を瞬かせていると、タウフィークさんは屈託の無い笑顔で応えてくれた。
「久しぶり、結奈ちゃん」
「えっと……お久しぶりです」
ツッコミどころ満載の状況なのに、私の頭は全く働かない。
「説明は後です! 取り囲まれる前に逃げましょう! 」
思わず百面相をしてしまう私の手枷と鎖を外しながら、葉月さんが言った。
そして私は理解する。
葉月さんは初めから囮だったのだ。
タウフィークさんの手に握られた札は、術玉や手紙に貼ってあった目隠し札と同じものであった。
つまり、セドリックが葉月さんに気を取られている隙に、タウフィークさんが背後に回ったのだろう。
(さすが葉月さん。ずる賢い! )
そう感心している間に、拘束具は外された。
そっと着ていた羽織を肩にかけられる。
「結奈さん、失礼します」
「……へ? 」
私の横で片膝を立ててしゃがんだ葉月さんが、私の腿の下に腕を差し入れ、もう片方の腕で腰を支える。
そのまま持ち上げられ、私は慌てて葉月さんの首に手を回した。
所謂【お姫様抱っこ】である。
そんな場合ではないことは、重々承知している。
しているのだが……。
「は、葉月さん! わた、私、歩けます! 」
ぐんと距離が近くなり、私は赤面してしまう。
(顔が! 顔が近いよ!! )
そんな私に一瞬困り顔をするが、直ぐに険しい表情に戻った。
警戒するように耳を動かしている。
「少々急ぎますので、我慢してください。しっかりと掴まっていてくださいね。タウ、行こう」
私の返答を待つことも無く、葉月さんとタウフィークさんは駆け出した。
部屋を出ると、廊下には使用人や侍女、見張りがあらゆる場所で倒れていた。
皆気絶をさせられているようで、ピクリとも動かない。
「おい、居たぞ!! 」
「こっちだ! 」
背後から聞こえる声に、私は反射的に袖から例のものを取り出した。
「結奈さん、それって」
三つあることを確認していると、葉月さんが驚いたように瞬きをする。
「はい! 煙玉です! 薬を作る際に、こっそり作っておいたんです」
得意げにそう言い、私は試しに一つ投げてみることにした。
狙いは、2メートル先にいる見張りの妖。
じっと見据えて──
「えいっ! 」
運動音痴の私だが、何とか煙玉は届いたらしい。
見張りの頭に直撃したソレは、一瞬淡い光を放ったかと思うと、モクモクと煙が出始めた。
だが、威力が弱い。
以前葉月さんと作ったものは、もっと勢いよく煙を出していた。
「葉月さん、葉月さん。大変です! 煙がぶわぁってなりません! モクモクしてます!! 」
語彙力を放り出して、私は葉月さんに報告をする。
すると、葉月さんは何か思い当たることがあるようで、苦笑混じりに「それは──」と説明し始めた。
「こんな時に解説するな! 」
というタウフィークさんのツッコミは、この際無視だ。
「以前作った時は、効果を増量させる術をかけましたから。同じようには行きませんよ。それに、前も言いましたが、神力も妖力も個人差があります。黄泉の貴族であれば妖力は多いのですが、下の者となれば、そこまで量はありません」
なるほど、と私は手を打った。
確かに、この煙玉は触れた者の力量で効果が左右する。
人間の私が触っても煙は出ない、妖力の少ない妖ではほとんど煙が出ない。だったら──
「だったら、神力の多い葉月さんかタウフィークさんに投げてもらえば良いんですね? 」
「ええ、恐らく。……というわけで、タウフィーク。お願いできるかな? 」
この師弟は……と頭を抱えていたタウフィークさんが、諦めたような顔で煙玉を受け取った。
どう変わるのかと興味津々で見ている横で、タウフィークさんが後ろに向けてそれを投げた。
今度は勢いよく煙が吹き出す。
「くそっ! なんだこれ! 」
「前が見えん! 」
効果的面だ。
視界を奪われた追っ手が、右往左往している。
念の為に、最後の一つも投げつけたタウフィークさんが、ボソリと「これは使える」と呟いていた。
仕事に役立てそうなのであれば、私も作った甲斐が有る。
速度を落とすことなく廊下を突き抜け、私達は遂に屋敷の外に出た。
日が登り始め、辺りは明るくなっている。
暫く走ったところで、葉月さんはそっと私を降ろした。
「この先に馬車を待たせています。私は出入り口に細工をしてきますので、結奈さんはタウと一緒に先に行ってください」
そう言いつつ、懐から数枚の札を取り出した。
事前に打ち合わせしていたのだろう。
二人は頷き合い、別々の方向に歩き出した。
タウフィークさんは山道へ、そして葉月さんは屋敷の方へ。
私は一度葉月さんの方を見てから、タウフィークさんの背中を追った。
気になったらわかるまで気が済まない葉月さんと結奈。
そして頭を抱えるタウフィークさん。
常識人はタウフィークさんの方かもしれませんね笑




