作戦と実行
その日の夜、私は出されたご飯をいっさい食べずに送り返した。
次の日の朝食も、昼食も。
あまりの空腹に胃が痛いが、それでも私は食べなかった。
食事を渡しに来てくれる側近の、困りきった様子から、自分の行動が無駄ではないのだと確信した。
(このままお偉いさんが出てくるのを待つ! 上手く取り入って、少しでも逃げ道の近くへ行かないと)
きゅーっとなるお腹を抱えて、私はそのときをずっと待っている。
ぼーっとしていると頭に浮かぶのは、以前食べた、葉月さんお手製のふわとろオムライス。
トマトケチャップから作ったライスに、絶妙な火加減で作られたオムレツを乗せて、切り開く。
その瞬間、滑るように広がった淡黄の衣に、2人揃って「おお〜」と歓声を上げたものだ。
(あれは美味しかったし、楽しかったなぁ)
それだけじゃない。
手の込んだ料理も多く作ってくれたが、お味噌汁一品にしても、とても美味しかった。
状況が状況な故に、食事の思い出ばかり浮ぶが、葉月さんと出会ってからの日々は、本当に幸福なものばかりだった。
(……葉月さん、怪我は大丈夫かな? 誰かが助けてくれたのなら、今頃何をしているんだろう。ちゃんと休息をとっているといいんだけど。葉月さんは、人には自分を大事に! とか言うくせに、肝心な自分のことを大事にしないから……)
脳裏をよぎるのは、夜遅くまで行燈の点いている葉月さんの部屋と、何やら書き物をしている狐耳のシルエット。
頼まれ物を取りに部屋に入ったとき、私はその書き物の正体を知った。
お札だった。
大量に積み上げられたそれは、種類ごとに分けられていて、どれも独特な文字が書かれている。
文字の終わりに描かれた狐のシルエットからして、恐らく霊狐一族に伝わるものだろう。
(多分あれ、対黄泉の妖用の札だよね。あんなに沢山のお札を手書きで作るなんて……。葉月さん、いつ寝ていたんだろう。いつも笑顔を絶やさないその顔に、疲れを見せたのは1度だけだった。ずっと私のことばかり気遣ってくれて……)
考えれば考えるほど、葉月さんに会いたくて仕方がない。
はぁ、とため息をついたとき、ドアの軋んだ開閉音が聞こえた。
(誰か来る! )
ゴクリと息を呑み、音の方へ視線を向ける。
コツン、コツンと靴の音が反響していて、その音に共鳴するように私の心臓が跳ねる。
ゆっくりと私の牢の前で立ち止まった妖は、私が対面を待ち望んでいた人物だった。
冷酷な瞳で、まるで家畜を見るようにこちらを見ている。
しばらく睨み合った後、待ち望んでいた人物ことセドリック・アッシャーは側近に食事を持ってこさせた。
ホカホカと湯気の立っている器が、小さな入口を通して牢の中へと入れられる。
ふわりと香った匂いに、私は勢いよく顔を逸らした。
「食え」
「食べません」
「毒は入っていないぞ。なんなら証明してやってもいい」
「食べません」
余裕な表情を取り繕うが、お腹がなりそうになる度に冷や汗が垂れる。
素直に聞かないと分かったのか、セドリックは苛立たしそうに舌打ちをした。
「なぜ食べない。食べなきゃ死ぬぞ? 」
そんな愚かな質問に、私は鼻で笑った。
「食べなきゃ死ぬ? どうせ食べても死ぬんでしょう? だったら、どっちにしろ同じじゃない」
「はっ、わからないやつだ。どちらにしろ同じだからこそ、最期くらい美味いもんを食わせてやろうという、私からの粋な計らいが理解出来んとは」
「わかりませんね。何が楽しくて、あなたのご飯にされる運命の中、肥えていかなきゃならないのか。どうせなら、ガリガリになって、食べごたえのない体になった方が愉快じゃないですか? 」
最大限の皮肉を吐けば、セドリックは分かりやすく青筋を立てた。
キッと鋭く睨まれるが、別に痛くも痒くもない。
「残念ながら、食べるのは私じゃない。私としては、貴様のような貧相な娘、味見をしたいとも思わん」
(……おっと、予想外の反撃。貧相ってどこのことを言っているのかな!? なんか胸元が疼くんだけど! )
一度深呼吸をして攻撃を受け流すと共に、私は引っかかりを覚えて眉を寄せた。
「あなたが……食べない? じゃあ、誰が私を現世から呼び寄せたの? 」
「呼び寄せたのは私だ。だが、食べるのは私ではない。……なに、簡単な事だ。人を下界から転送させ、魂を引っこ抜いて、転送機を買えない貧乏人に売ってやる。いわば産業だ。貧乏人だけじゃない。死体の処理が手間だと言う貴族も多くてな。そのような客に売りつけるのだ。需要のある企業だ。そうは思わないか? 」
口角を上げた口元と、全く笑っていない目に、私はぞわりと鳥肌が立つのを感じた。
「人の魂を売ることが企業? ふざけないで! あなた達のせいで、一体どれだけの人間が殺されたと思っているの!? どれだけの人が人生を狂わされたのか、わかっているの!? 」
話を聞いているだけで、多くの人が犠牲になったことがわかる。
怒りにカッとなって声を荒げると、セドリックは可笑しそうに笑い始めた。
「……何が可笑しいのよ」
「お前の言葉全てさ。人の人生を滅茶苦茶にした? 違うね。ここへ連れてこられた人は皆、そういう運命だった」
「どういうこと? 」
意味がわからなくて目を細めると、セドリックはニヤリと笑みを浮かべた。
「我がアッシャー家の経営する人魂生産社では、人間が産まれた瞬間から、質の善し悪しを判断する。妖術を使い、赤子に印を付けることで、その者が成長した頃合が分かるようになっている。そうすれば、後はタイミングを見計らって摘み取るだけさ」
簡単だろう? と笑うセドリックを、私は目一杯睨みつけた。
先程の「運命」という言葉が頭の中をグルグルと回っている。
「運命」を辞書で調べれば、己の意志に関係なくその身に起こる事柄、と書いてあるだろう。
つまり、回避不可。
セドリックがどういう意味で使ったのかは分からないが、人間にとって運命とは、逃げることすら出来ない、とても強大な力なのだ。
(でも……ここで諦めたら、これまでの我慢が水の泡になる。だったら、運命だかなんだか知らないけど、徹底的に抗うしかないよね! )
私は1つ息を吐き、考えていた台詞を口にした。
「先程、あなたは最期に美味しいものを食べさせてくれるといいましたよね? 粋な計らいだと」
「……そうだが? 」
唐突な言葉に眉を顰めながら、セドリックが肯定した。
(脆いけど、言質はとった! もうあとはなるようになれって感じだけど……どうなるかな? )
ドッドッと煩い心臓を抑えて、私はしっかりとセドリックのグレーの瞳に目線を合わせた。
「でしたら、その計らいとして、部屋を一室貸して欲しいです。この可哀想な運命を迎える私に、どうか最期の自由をください」
結奈は少し精神に波のある子ですが、一度「こう!」と決めたら揺るぎません。
疑うことなく突き進む、よく言えば勇往邁進な、そして悪くいえば猪突猛進な性格なのです。




