大切なもののために
……づき! おい、 ……りしろ!
(誰かが……叫んでいる? )
鉛のように重たい瞼と、水の中にいるかのように機能しない耳のせいで、その声の主を確認できない。
やけに寒く感じる。
眠い。
このまま寝てしまおうか。
そう思っているのに、声は私の微睡みをかき乱す。
次第に明瞭になっていく声がタウフィークのものであると判別できた、次の瞬間。
「結奈ちゃんがどうなってもいいのか!! 」
その言葉に、私は反射的に目を開けた。
「……タウ? 」
ほっと息を吐いたタウフィークが、安堵の表情で額に手の甲をつけた。
その手が真っ赤に染っていて、私は気を失うまでの記憶を思い出す。
不覚にも妖術に歩みを止められて、結奈さんが──
「……助けに行かないと」
重たい体を起こそうとしたが、鬼のような形相で止められてしまった。
「馬鹿か! 助けるどころか、今のお前は歩くことさえ困難だぞ」
「でもっ! このままでは結奈さんが殺される! 」
「落ち着けよ。お前らしくない。結奈ちゃんは今のところ大丈夫だ。直ぐには食べられない」
応急処置の途中だったのだろう。
腹部の傷を圧迫されて、私は痛みに歯を食いしばる。
貧血からの眩暈がして、キツく目を瞑った。
その間にも、タウフィークは淡々と話を続けていく。
「今の結奈ちゃんは、桃源郷の食べ物とお前の術のお陰で神力を帯びている。だから、完全に神力が消えるまでは結奈ちゃんは安全だ」
それを聞いて、たしかに今の自分は冷静さをかいていると認めた。
普段なら気がつくはずなのに、全く頭になかった。
「それより、むしろお前の方が危ないかもしれない」
「……それは、この切り傷の事じゃないね」
タウフィークの言わんとすることがわかって、私は苦笑した。
「どうなっている? 」
単刀直入に尋ねれば、タウフィークは眉間に皺を寄せて、目を逸らした。
言い難いことを言うときの、タウフィークの癖だ。
「神力が溢れ出ている。血を流しすぎて、神力が血の代わりになろうと働いたんだろう。呪いが……発動している」
「……そう」
呪い。神様にかけられた呪い。
私の罪を忘れないため、繰り返さないためにかけられた呪いが、なんの冗談か生きるために発動してしまうとは。
皮肉極まりない。
だが、今はそんなことどうでもいいのだ。
すぐにでも体勢を立て直して、結奈さんを助けに行かなければ。
私は向日葵のように明るい彼女の笑顔を思い出して、ぐっと拳を握った。
「何があったのかは大体理解している。取り敢えず、道場へ向かうぞ」
「わかった。……そういうタウは? どうしてここへ?」
頭がぼんやりしていて動かない。
考えることを放棄した私に、タウフィークは苦い顔をしつつ答えてくれた。
「道場でいくら待っていてもお前達が帰って来ないから、なにかあったのだと思ってな。見に行ってみれば、麓にはなにか引きづった跡があるし、血だらけでお前が倒れているし。本当に寿命が縮んだぞ」
「ご、ごめん」
素直に謝れば、タウフィークは何てこともない、というように肩を竦めてみせた。
「別にいい。次からお前の薬が全て半額になるのならな」
「相変わらず、悪賢いね。私の生活を苦しくさせる気?」
「お前にだけは言われたくないな、腹黒狐め。お前は十分顧客がいるじゃないか」
軽口を叩いて睨み合うと、次の瞬間には自然と笑いあっていた。
そうこうしているうちに辛うじて血が止まり、包帯が巻かれる。
荒々しくも正確な手つきは、さすが守り屋といったところか。
「歩け……ないよな。でもほぼ同じ身長のお前を担ぐのは無理だ。悪いけど、肩を貸すくらいしかできない」
「肩を貸してもらえれば十分だよ」
鋭い痛みに耐えつつ起き上がると、面白いくらいに視界が揺れた。倦怠感が酷い。
「ゆっくり行くぞ。下手したら、折角の止血が無駄になる」
その言葉に頷いて、私は立ち上がった。
蝸牛のような速度で歩きつつ、私はこれからの動きを考える。
まずは道場で止血薬と鎮痛薬を作って、それからセドリック・アッシャーについての情報を集めよう。
居場所を突き止めたら、建物の構造や警備の数を探って……
「誰だ! 」
タウフィークの鋭い声にハッとして目を瞬かせる。
いつの間にか、私の目の前に妖が立っていた。
やはり耳が上手く機能していないようで、全く気づかなかった。
私を支えつつ、タウフィークが素早く剣を抜く。
そんな彼を、私は止めた。
「は? いや、明らかに怪しいだろ、コイツ」
狼狽しているタウフィークに首を振って、私はじっとその妖を見据える。
黒光りする角と独特の瞳は、私にとって見覚えのあるものだ。
「あなたは、以前天中にいた鬼ですね」
タウの剣から目を離さずに、野妖が頷いた。
「そうだ。俺は、お前に謝らなければいけないことがある。お前と……人間の娘に」
──やはり、情報を流したのはこの野妖か。
私はそっと息を吐いて、胸を渦巻く黒い感情に蓋をした。
「とりあえず道場まで一緒に来てください。話はそこで」
「……お前がそう判断したのなら従うしかないな。鬼くん。ついでと言っちゃなんだけど、コイツを連れていくの手伝ってくれ。正直一人だとキツいんだ」
「わかった」
両側から支えられるようになって、蝸牛から牛車ほどまで速度が上がった。
道場へ向かう道すがら、私達は無駄口を叩く余裕もなく歩いていた。
散々周囲に細いだの女狐だのと言われていた私でも、やはり重いようだ。
汗の滲む二人を見て、嬉しいような、申し訳ないような。
日の傾き始めた空を見上げつつ、私は再び今後の動きについて思考をめぐらせるのだった。




