神桃楽の店主
私は今、月の浮かぶ夜空から、町の夜景を見下ろしている。
現代のようなギラギラした光ではなくて、提灯や灯籠の穏やかな明かりが美しい。
ヒュウヒュウと音を立てて駆け抜ける風が、少し肌寒くて。
それなのに、私の背中は温かい。
何故だろうか──
(はっ! 危ない危ない。現実逃避している場合じゃないよね! でも敢えて言わせて欲しい。なぜ私と葉月さんが相乗りなの!? タウフィークさんと葉月さんでもいいじゃない!! いや、男性二人で乗るには狭すぎるだろうし仕方ないんだろうけど……)
お腹に回された葉月さんの左腕に、私の体はピシリと固まっていた。
呼吸することすらはばかられるのだ。
「……結奈さん、心配せずとも私は絶対にあなたを落としませんよ? ほら、体の力を抜いてください。大丈夫ですから」
(そういう事じゃない!! )
違う方向に解釈されてしまったが、折角の気遣いを無下にはできず、私はツッコミを飲み込む。
「ありがとうございます」
仕方なく体の力を抜けば、葉月さんにもたれかかる形になってしまい、また体が硬直してしまう。
無限ループだ。
元はと言えば、一反木綿の安全ベルトが一体につき一つだったからだ。
私の腕力では葉月さんを掴まえていられる自信が無いので、自然とこの形になった。
(全てはこの腕のせいか……)
一反木綿の体を握る己の腕を見て、私は心の内でため息を吐いた。
体温の低い葉月さんだが、それでもここまで密着していれば温かい。
華奢で中性的な見た目に反して、葉月さんの腕はしっかりと筋肉がついていて、それが余計に私を緊張させるのだ。
細くて長い指先も、男らしく角張っている。
いつもの檜の香りに紛れて、ふわりと香る漢方薬の匂いは薬師の象徴だ。
甘苦い香りに包まれて思わずドキドキしてしまう。
(……これは新手の拷問かな)
無駄に体力を削られた私は、天中につく頃にはげっそりしていた。
「お二人とも、ご苦労さま! あら? アルミラージじゃない。護衛? 」
天中の出入口で待っていたゆずきさんが、私達に気づいて手を振ってくれた。
「こんばんは。アルミラージのタウフィークと申します。所用があって同行させて頂きました。以後、お見知りおきを」
予想外の同伴者に驚くゆずきさんに、タウフィークさんが恭しくお辞儀をする。
紳士的な所作は手馴れて見えるが、素の姿を見ている私からすれば少々胡散臭い。
しかし、ゆずきさんは「まあ! 」と口に手を当てて頬を赤らめている。
「では、私はこれで。じゃあまたね、葉月、結奈ちゃん
」
キラキラとした騎士の姿を見えなくなるまで見送ったゆずきさんは、完全に騙されていると思う。
確かにイケメン騎士はとても魅力的だし、いいひとだと思うけど……。
「さて、いきましょうか。神桃楽の店主が逃げるといけないから、実は面会のお約束はしてないの。そこで、葉月ちゃん。貴方に上手く交渉してもらいたいのよ。そういうの得意でしょ? 」
言葉が通じなかったら強行手段に出てもらっても構わないから、とにこやかに話すゆずきさん。
つまり脅してでもお話し合いにこぎつけよう、というわけですね? わかります。
ついでに、なぜ葉月さんが呼ばれたのかも分かった。
無口な朔矢さんは脅したりすることに不向きだからだ。
(患者さんの命がかかっているもんね。私も、できるだけ早く皆に良くなってもらいたいな)
簡単に打ち合わせをした後、私達は真っ直ぐ神桃楽の店主が住む家へと向かった。
シンとした町は、襲撃事件の治まった今でも少し怖い。
町角でいきなり襲われやしないかと、私はビクビクしながら歩く。
「ここよ」
町の半ばまで来たところで、ゆずきさんが声を潜めて言った。
どこにでもあるような二階建ての日本家屋だ。
目配せに応えると、ゆずきさんはドアをノックした。
『なんだ? こんな時間に…… 』
『 あなた、あの人達じゃない? きっと、ちゃんと売っているかどうか確認しに来たのよ! 』
『 くそ! お前は隠れていろ』
そんなやり取りが上から聴こえてきて、私はちらりと葉月さんを伺った。
(わぁ。なんか、獲物を見つけた狼みたいな目をしている! 狐だけど。……これは御相手さん、ご愁傷様だね)
ドスドスと階段の降りる音の後、ゆっくりと扉が引かれた。
険しい表情で覗かせた顔は、一瞬で困惑と警戒に変わる。
「誰だ? 」
「薬師の者よ。おたくで売っている甘納豆について、お聞きしたいのだけど」
甘納豆という言葉に、店主はピクリと反応した。
「甘納豆? こんな夜更けに話すことなどない。お引き取り願おうか」
ゆずきさんは肩を竦めて、葉月さんにバトンタッチした。
「今、町のあちらこちらで原因不明の食中毒が流行っています。聞けば、どの患者さんも皆、神桃楽の甘納豆を食べているそうです。何か心当たりはありませんか? 」
一瞬顔を強ばらせた後、店主は目を逸らす。
「ないね。それに、うちの甘納豆をみんなが食べていたというのも偶然だろう。何たって、天中で1、2位を争うほどの人気商品だからな。とにかく、もう帰ってくれ。こんな時間に来て、無礼だぞ! 薬師風情が」
吐き捨てるように投げられた言葉に、葉月さんの目が、ギラリと光る。
「そうですか」
いつもより低い声と、目の笑っていない笑顔に、店主が「ひっ」と喉を引き攣らせた。
(目! 葉月さん、目が怖いです!! )
「心当たりがないのでしたら、お話の場を設けていただくことも可能でしょうね。私達は何も無いと分かれば諦めますけれど、患者さんの命がかかっている以上、話を聞くことなく引き下がることはできません。もし貴方がこの申し出を拒否するのなら、私達は貴方の甘納豆……いえ、貴方の出している甘味全てを食べないようにと、呼びかける必要があります」
話していただけますね? ともう一度微笑む葉月さんに、店主は肩を落として頭を垂れた。
「わかった。わかったから、それだけは辞めてくれ。うちの生活がかかっているんだ」
脅迫終了。
無事に家の中へと招き入れられた私達は、ホッと息を吐いた。
距離が近づくと、嫌でも男の人として意識しちゃうものですよね笑
葉月さんが再び悪狐になりました。
老舗の甘味処の店主も真っ青です。




