待ち伏せされました
例によって一反木綿で帰ってきた私達は、日が落ちる前に月夜町へ帰ることが出来た。
「今日のお夕飯は何にしましょうか」
「昨日は和食でしたし、今日は中華なんてどうですか? あんかけチャーハンとか!」
「いいですねぇ」
そんな他愛のない会話をしつつ歩いていると、家まであと数メートルというところで、葉月さんが立ち止まった。
声をかけようとして口を開けた瞬間、葉月さんは私の手を掴んで脇道へと走り始める。
「は、葉月さん? どうし――」
どうしたんですか? と尋ねようとしたが、唇に人差し指をあてて振り返った葉月さんに口を噤んだ。
焦りの滲んだ表情とピンと立った耳が、明らかな非常事態を指している。
ハチャメチャな方向を走っているように感じたが、彼の足に迷いはない。
しばらくして速度を緩められ、私は息を整えるべく、膝に手をついた。
口呼吸をしていたので、喉と心臓がヒリヒリとしている。
「結奈さん、こちらへ」
私の呼吸が整ったのを見計らって、葉月さんが手を引いてくれる。
連れてこられた場所には、木々に守られるように立派な大木が屹立していた。
「ここは?」
「家への隠し経路です」
そう言って木の根本へと案内される。
「ここが……隠し経路ですか? 私たちには小さいように見えますけど」
乱雑に生い茂る草花に紛れて、チワワが通れる程の小さな穴が空いていた。
いくらなんでも、私達には小さすぎる。
しかし、葉月さんは「ここで合ってますよ」と肯定した。
「変化の術を使いますから大丈夫ですよ。結奈さん、術を掛けてもよろしいですか?」
そう尋ねてきた葉月さんの黄金の瞳が焦燥に揺れていて、私は理解するより先に頷いた。
「お願いします」
スっと懐から2枚のお札を取り出されるのを見て、私は目を閉じた。
風が巻き起こるのも、体に変化が起こるのも、もう慣れたものだ。
全身を包んでいた、温かな風が止む。
ゆっくり目を開けると、目の前には美しい白狐が佇んでいた。
ふよふよと宙を浮く2枚のお札が、なんとも言えない神々しさを醸し出している。
「結奈さん、行きましょう」
狐姿の葉月さんに急かされて、私は不慣れな四足歩行で駆ける。
中はずいぶんと入り組んだ細道が続いていた。
変化の術のおかげで暗がりでもよく見えたけれど、それでも葉月さんの指示がなければ私は迷子になっていたことだろう。
「止まってください」
不意にストップがかかり、葉月さんが先頭に立った。
耳をそばだててから、そっと鼻先で壁を押す。
軋んだ音とともに、その壁が押し上げられた。
ペットドアのような開き戸になっているようで、簡単に中へと入ることが出来た。
葉月さんに習って扉をくぐれば、視界は黒から一点、茜色に染まる。
見慣れた居間の風景に、どちらともなく安堵の息を吐いた。
「この壁、扉になっていたんですね。気づきませんでした」
「隠し扉ですからね」
そう答えながら、葉月さんは札を破った。
無事に元の姿へ戻ると、葉月さんは険相な表情で事情を説明してくれた。
「家の方向から、黄泉の妖の気配がしたのです。恐らく鬼のものでしょう。こちらに気がついた様子はありませんけれど、一応まだ明かりはつけないでおきましょう」
「あの、葉月さん。鬼って、まさか……」
血の気が引くのを感じて、私は思わず自分の腕を抱いた。
「わかりません。以前会った野妖なのか、それとも別の誰かか。しかし、その妖が私たちを待ち伏せていたことは確かです」
「そんな……。でも、朔矢さんの情報通りなら、その妖は襲撃事件と関係ありませんよね?」
縋るような思いで聞くが、葉月さんは険しい顔のまま首を震った。
「断言することはできないでしょう。朔矢にはあの野妖のことも、結奈さんが人間であることも伝えておりません。ですから、あのときの鬼が黄泉の妖と繋がっていた場合、私達の情報を売った可能性もあります」
その推測は否めない。
野妖は下卑た存在で、常に目先のお金を求める者。
葉月さんが言うには、人間の誤送は重い罪に問われるらしいので、そのような人間に関する情報は高値で売られるそうだ。
……いや、葉月さんは言わなかったが、人間だけではなく、その人に関わった妖にも害が及ぶのではないだろうか。
私は喉の奥をヒュッと鳴らして、目を見開いた。
「もしバレてしまったのなら、私だけじゃなくて、葉月さんも危ないんですよね? いや、もうとっくに巻き込んじゃっている……」
このまま大人しくしていたら危険な目に遭わずに帰れるかも、なんて愚かな考えをしていた自分が情けない。
目を伏せた私に、葉月さんは芯の通った声で言った。
「結奈さん、私は巻き込まれたとは思っていません」
「……巻き込んでいますよ。だって、葉月さん。私のことを放っておけば、こんな……葉月さんにも薬師の皆にも危険が及ぶようなこと、ならなかったんですよ」
それでもなお、葉月さんは首を振った。
「違います。巻き込まれたのは薬師だけではありません。結奈さん、貴方もです。貴方が責任を感じる必要はない。それに私は…………いえ、ともかく、結奈さんは自分の事だけ考えていれば良いのです」
ね? と笑って見せた葉月さんに、私は曖昧に微笑んだ。
確かに私は被害者なのかもしれない。
でも、時々思うのだ。
素直に私が名乗り出ていれば、助かる命があったかもしれない、と。
やっぱり私は、誰かの犠牲の上で生きていたくはない。
(どうすればいいの?)
そんな疑問が、心の中で重く響いた。




